ぐっちゃんと東京で会ったことが2回ある。
1回目は数年前。
大好きな福山雅治のライブに来たから、せっかくなので会おうと連絡があって、
一緒に東京駅の丸ビルでランチを食べた。
そのときぐっちゃんは、
国指定の難病になってしまったと私に告げた。
症状が出たら病院に行くという、対処療法しかないらしい。
むしろ、この病気やとわかるまでが大変やってんけど、
これからずっと付き合っていかなあかんねん、そう言っていた。
2回目はこの2月の上旬。
千葉の病院を受診することになったから、東京駅で会われへん?と連絡があった。
東京駅で合流して、
たまには女子らしいもん食べよう!と私たちはパンケーキで有名なお店に行った。
シェアすればよかったねと笑いながら、
ボリュームたっぷりのそれを一皿ずつ食べていろんな話をした。
そして、「私、がんが再発して肺と腹膜に転移してるねん」
もう今の病院ではすることがないと言われたこと、
治験の対象になるかを聞きにきたと告げた。
とっさに私はどう答えていいのかわからなかった。
浅はかな頭の中で、ぐるぐるぐるぐる考えて
ほら、ぐっちゃん、樹木希林さんかて全身がんやって言いながら上手に付き合ってたやん。
いけるって、共存していけるって、というのが精一杯だった。
でも、本気でそうも思っていた。
克服した人もいっぱいいるやん。
治験を受けることができたら、また東京にくるようになる。
その時はまた連絡するね。そう彼女は言った。
途中の駅まで彼女を送って、電車の中で別れた。
どんな思いで来たんやろう。
帰りの電車で一人になると、涙が出てきた。
連絡くれてありがとう。
勇気いったやろ。とラインしてみた。
うん。
ほんまは黙って帰ろうかと思っててん。
でも、二度と東京には来られへんかもと思って。
来れたらええな。
連絡ちょうだいな。
それから待てど暮らせど、彼女から連絡はなかった。
「誰にも言ってないねん」という彼女の言葉に、
その後の体調を伺うのもはばかられ、私はひたすら待った。
医療関係で働く人に治験のことを尋ね、
私が思っているよりはるかに彼女の状況が厳しいこともわかってきた。
それでも、待って待って1か月以上経過して、ようやくラインを送ってみた。
実はあれから具合が悪くなって入院して、
いまは自宅看護でなんとか生きてるわ
生きてるわ
そんな状況やったんかと、背中に冷や水が走った。
ぐっちゃん、呑気でごめん。
家に会いに行っていいかと聞くと、
体調のいいときだけになると思うけど、ええでと返事がきた。
私は3日間用意して大阪へ行った。
1日目は熱と戦ってるねんと、
2日目は下がったけどまだしんどい。
3日目に会えることになった。
何を持っていこうか考えたけど、昔からある懐かしい花屋へ行くことにした。
年取ったけど相変わらず陽気なおっちゃんは、
見舞いやったらこのビタミンカラーのんにしとき。
自信作やで〜と、ぜんまいの入った春らしい明るい花籠を勧めてくれた。
近所で引っ越していたぐっちゃんの一家。
その家には初めて伺う。
明るいその部屋で、
病院のようなリクライニングするベッドが置かれ、
ぐっちゃんは点滴やら機械やらと管でつながったまま横になってた。
思わず涙が出そうになったけど、
自分のことについて多くを語らなかった彼女に、
あのときは無知でごめん。
あれから私も人に聞いたりして、ぐっちゃんの状況について少しはわかってるつもり。
なんか、私にしてほしいことはある?と聞いた。
ないわあ
すぐに彼女は答えた。
誰か会いたい人とかいる?
う、、、ん
クラスのみんなとか会いたい気持ちはあるけど、こんな姿になってるしなあ。
会ったら会ったでみんないい人やから心配するやろうし。
あんまり誰にも言ってないねん。
わかった。
ぐっちゃんが言えへんのやったら、私も黙っとくな。
うん。
もっと具合が悪くなったらな、
緩和ケアの病院に行くねん。ぐっちゃんはそう言った。
それから、枕元で高校時代の話やら懐かしい話をいっぱいした。
昔の話はよう覚えてんのになあ、と笑いあった。
知らん間にぐっちゃんの手をずっとにぎりながら。
いくら友達でも、手を握ったのはその時が初めてだったかもしれない。
こんなにシワシワになってしまって。
ずっと絶食絶飲やから、10キロも痩せてしまってん。
自分の手を眺めながら、ぐっちゃんは少しさみしそうに言った。
食べることもないからな、1日のリズムがないというか、楽しみもないねん。
それでも、ビタミンカラーの花かごは本当に喜んでくれた。
きれいやわあ。
癒されるわあ。
ええなあ。って。
夕方の看護師さんがやってくるまで、
気づけば3時間も私たちは話し続けた。
ぐっちゃん、
また来るな。
そう言って、私はその部屋を後にした。
別れるとき、
もう頭を起こすことはできず、
目だけ一生懸命こちらを向いて見送ってくれた彼女の表情が今も忘れられない。
ぐっちゃんはあのとき、もう会われへんことを知っていたのかなあ。
お母さんが、マンションの廊下から、
私が敷地の外に出て見えなくなるまで、ずっとずっと見送ってくれた。