4月27日
昨日はぐっちゃんの51歳の誕生日だった。
私は自宅できれいに咲いている蘭の小さい鉢に向かって
「ぐっちゃん、おめでとう」と言った。
でも彼女は永遠の50歳。
先週、がん闘病の末に、あっという間に旅立ってしまったから。
みんなに愛された彼女のことと、
不思議な力で導かれた私とぐっちゃんのことを
ここに記録しておこうと思う。
ぐっちゃんと私は高校の同級生。
中学も一緒だったのに、当時は学年に10クラスもある時代。
お互い存在を知らず、
仲良くなったのは高校で同じクラスになってからだった。
高校時代、ぐっちゃんも私も帰宅部だった。
のんびりゆっくり、その日暮らしで放課後の時間を一緒に過ごしていたっけ。
ダイエットも兼ねて、長距離を歩いてスイーツを食べに行ったり、
ただただ散歩したり、
よく歩いた記憶がある。
野球の好きな彼女と
近くのPL学園の練習を見に行ったり、
野球部の夏の大会の予選を応援しに行ったり、
大阪球場にヤクルトの試合を見に行ったり。
夏休みに、小さな小さな工場でアルバイトもした。
カメラの中の部品をハンダ付けする仕事。
当時、時給515円は破格の高給で、毎日単調な仕事をがまんして続けたっけ。
近所だったので、彼女の家にもよくお邪魔した。
放課後、私たちはそこで何をしていたのか覚えていない。
きっと他愛もないことを来る日も来る日もしゃべっていたんだろう。
まだ小学生の年の離れた妹がいて、すぐ横で宿題をしている。
仕事から帰ってきた働き者のお母さんが、すぐに忙しく夕食の支度をする音。
その光景は鮮明に覚えていて、
私は、決して広くはないその家がなぜか居心地よく大好きだった。
2年と3年はクラスが違った。
ぐっちゃんにもまた新しい友達ができていき、
放課後の時間を別々に過ごすようになっていったのを、
ちょっぴりジェラシーを感じながら眺めていたような気がする。
この頃からすでに、
私の心の中にはぐっちゃんの灯りがともっていたんだなと思う。
そのまま卒業してゆき、
短大も違うところに進学して、
社会人になった。
携帯どころかネットもない世代の私たち。
いつの間にか、年賀状だけで近況を確かめ合うようになっていった。
なので、お互いの20代のことはよく知らない。
数年に一度、たまに同級生を交えて会ったような気もする。
30代40代も、何年かに一回、
私が帰省した際に日程があえば近くでお茶したり、初詣に行ったりした。
でも、もともと今のように頻繁に連絡を取る手段も習慣もない間柄。
それはゆったりと年月を重ねていく中で、特段疎遠になっているとも感じなかった。
なぜなら、私が高校時代を振り返るとき、
真っ先に思い出すのは、ぐっちゃんと過ごしたなんでもない普通の時間だったから。
ぐっちゃんは一目で人にインパクトを与える人ではない。
むしろその逆。
いつもニコニコと笑顔で、機嫌がいい。
可愛らしい声で、
決して人を批判せず、
決して声を荒げない。
一番に押し通すことはないけれど、
ちゃんと自分の意見は持っていたと思う。
控えめで、振り返ると笑いながらそこにいてくれる。
遠赤外線のようにじわっと、効き目が長い。
そんなぐっちゃんの温もりを、
卒業しても私は心の中でず〜〜っと感じていたんだと思う。