あなたは今、どんな服装ですか?
ロリータからギャル男まで、自由、かつ様々な服装が街を彩る日本ですが、世界には、風習や信仰上、よしとされる衣服を身にまとう女性が、たくさんいます。
そして残念ながら、服装が女性の自立を妨げている状況も見受けられます。
世界の女性は、どのような服装をしているのでしょうか。
またそれは、女性の自立ににどのように影響しているのでしょうか。
トルコ国会は2月6日、イスラム系与党である公正発展党(AKP)が提出した、女性が大学でスカーフを着用することを許可する憲法改正案を可決しました。
トルコはイスラム教徒が国民の99%を占めます。
イスラム教では「身体を覆い、信心深く見えるような装いをすること」が宗教上の表現とされることから、女性が外出する時はスカーフをすることが一般的となっています。
しかし、1980年の軍部によるクーデター以降、トルコでは、政教分離(世俗主義)を国是とし、これを徹底するため、公務員や大学生は、スカーフを着用してはいけないことになりました。
これに意義を唱えたのが、今回提出された、憲法改正案です。
与党は、「スカーフ着用の解禁は人権の観点から必要である」「スカーフを着用できないことから、高等教育を受けることができない女性がいる」と主張しています。
一方でスカーフ着用に反対する軍、司法界、学界関係者は、「もしスカーフ着用を許せば、着用に対する圧力をかけることになる」と述べています。
他の国でも、宗教上よしとされる服装に対する論争が起こっています。
ニカブ(顔を隠し、眼だけを出す衣服)は、イスラム教の聖典「コーラン」の"美しいところは人に見せぬよう。胸にはおおいかぶせるよう"という考え方から、着用されているものです。
国民の9割をイスラム教徒が占めるエジプトでは、2007年に、不審者対策等の理由から、大学でニカブ禁止令が出されました。
ニカブ着用に賛成する人は「信仰の自由」を、反対する人は「ニカブは義務ではない」と主張し、トルコ同様大きな議論を巻き起こしました。
またドイツでは、2006年に、ニカブを着用して登校したイスラム教徒の女子学生に対して、「コミュニケーションに支障がある」として、2週間の停学処分を下しました。
ブルカは、頭からつま先まで文字通り全身を覆う衣服です。
前を見るために隙間がある目の付近も、ベールやメッシュで隠されています。
タリバン政権時代のアフガニスタンでは、女性は外出時のブルカ着用を強制されていました。
1996年11月に出された「宗教警察の布告」では、ブルカ着用だけでなく、近親者の同行も義務とされました。2001年、アフガニスタンの首都カーブルからタリバン勢力が撤退、ブルカを脱ぎ外出する女性たちは、タリバンからの開放の象徴として、メディアでも大きく取り上げられました。
その一方で、根強い「伝統」―男性は女性に対して支配力を持たなければならない、女性は顔も姿も覆うべきだ―という考え方が消え去ったわけではなく、今でも「身の安全を守る手段」として、ブルカを身に着ける女性が大半を占めています。
アジアでも、女性の服装に対する風習があります。
「纏足(てんそく)」は、1000年以上前に中国で生まれた風習です。
女性の足の指を、親指を残してみな折ってしまい、大きくならないようにします。
「足の小さい女性は歩き方が可愛らしく、また、うまく歩けないため男性が支配しやすい」というのが、纏足が好まれた理由です。
清王朝の時代には、纏足でなければ結婚が難しいほどでした。
しかし19世紀後半以降、西洋文化が浸透するようになると、西洋の女性の足(=纏足をしていない足)の方がエレガントであるという考え方となり、纏足の女性は減っていきます。
中華民国が誕生する頃には、纏足は法律で正式に禁止されましたが、辺境地方では1950年代まで続いていました。
信仰の自由は保障されるべきであり、信仰に伴う服装での自己表現は、自分の存在を周囲に示す上で大変重要です。
しかし外的な圧力によって、その服装をすることが、本人の生き方の選択肢を狭めることになるのは、とても残念なことです。
ダイバーシティとは、人種、性別、年齢、身体障害の有無などの外的な違いと、価値観、宗教、学歴、生き方、考え方、性格、態度、などの内面の違いを受容し、その個性を活かし能力を発揮できることです。
皆が、自分の信仰に誇りをもち、好きな服装をして、希望通りの生き方ができるようになれば、社会は渋谷の若者のファッションに負けない、キラキラ輝くものになるはずですよね。