★“自立”へ想像力巡らせ 原発計画拒んだ町の記録映画、監督の思いは http://bit.ly/1gwKPJB (神奈川新聞)
30 年以上前、原発立地計画を住民の反対運動によって断念に追い込んだ町があった。紀伊水道を挟んだ徳島県阿南市と和歌山県日高町。「ノー」の声を上げた人々 を追ったドキュメンタリー映画「シロウオ 原発立地を断念させた町」が静かな反響を呼んでいる。横浜市鶴見区在住で監督のフリーライターかさこ(本名・笠 原崇寛)さん(38)の出発点は「3・11の前に人々はなぜ原発の危険性に気付き、立ち上がれたのか」だった。
原発は便利だし、地方も潤う。つまり必要悪である、と。そう思うことで目を背けてきたのです。あの事故が起きるまでは-。自身のことを、かさこさんは率直に振り返った。
そして2011年3月、福島第1原発の事故は起きた。ふるさとを丸ごと追われ、低線量被ばくの不安を背負わされた人々。「だから、もう目を背けていられな くなった」。福島だけでなく国内にある原発を今後どうしていくのか。再稼働か、否か。原発問題をテーマにした映画制作を持ち掛けられ、頭に浮かんだのが 「原発を拒否した町の人々の声」だった。
住民たちが原発反対の声を上げ、立地計画断念に追い込んだ場所が全国に34カ所もある。やはり3・11後に知ったことだった。
「国策という大きな力にのみ込まれるようにして原発はできていったと思っていた。多くの人が原発問題を考えるようになり、将来に向けた選択を迫られている今、原発を拒否した人々が何を考え、どう行動したのか。そこに大きなヒントがあると思った」
■ □
撮影の舞台となった阿南市と日高町は40キロほどの海峡を隔てて位置する、いずれものどかな地方都市だ。
阿南市では1976年に四国電力が蒲生田原発の計画を発表。日高町では67年に町議会が誘致を決議したことで、関西電力の日高原発の計画が浮上した。
反対運動に携わった人にカメラを向け、声を拾っていった。
阿南市の民宿経営の女性は当時の戸惑いを語った。
〈原発が来たら道が広がるとか、いろいろ言ってくれたけどね。道が広がっても人間が住めなんだらしょうがないけんね〉
日高町の元漁師の男性も同じだった。
〈お金じゃない。とにかくこの海と、健康に暮らせる、昔からの自然そのままの村、町が欲しかった〉
映画では、いずれの土地でも漁師を中心とした1次産業で働く人たちが立ち上がり、反原発運動が湧き起こった経緯を伝えている。
かさこさんは言う。「考えるべき点は人々の多くが原発反対の理由に自立を選んだことだ」
例えば阿南市の漁師の男性は言った。
〈駄目なもんは駄目という覚悟でした。考え方の中に政治的な思想もない。純粋に自分らが漁業を永続的に営めるかどうかが最大の争点ですから。それ以外、何もないです〉
日高町の元漁師の男性も語っている。
〈(原発立地で)お金をもらったって一時のもんでしょう。どれだけのお金をもらってもね。やっぱし毎日毎日こつこつ、こつこつ働いて、稼いだお金がよっぽどありがたいと思ったですね〉
かさこさんは「人々は変わらないふるさとで漁や農業を営み、暮らしていくことの尊さに気付き、将来にわたって想像力を巡らしていた」と取材を振り返り、続けた。「私たちは今、どうだろうか」
■ □
タイトルの「シロウオ」は蒲生田原発の立地予定地だった阿南市内の川に生息する小魚の名から取った。
上流に小石を投げ入れ、餌と勘違いしたシロウオが上流に向かっていくのを一網打尽にすくい上げる。そんな伝統漁が行われていた。
投げ込まれる小石を原発マネーに例えれば、こうなる。餌と思いこんで群がるのと、おびえて逃げ出すのとどちらが正しかったのか。捕まらなかったのが反対の声を上げた人々ではなかったか-。
かさこさんは言う。
「豊かな漁場であったため漁業が生計が成り立っていた面もあるが、人々が求めた幸せが必ずしも経済的な豊かさばかりではなかったことが大きかったのではないか」
ほかにも気付かされたこともある。
映画の中で、かつてバス運転手だった元阿南市議は「行政を反対にさせないと(原発立地は)止められないと思った」と出馬の経緯を振り返り、日高町役場職員 から町長となった男性は「推進派と反対派が分かれて、互いの結婚式に親でも兄弟でも出なくなるようになった。こんなことじゃいかんと思い切って町長選に出 た」と語った。
かさこさんは「国や大企業といった大きな権力と対峙(たいじ)するには、ただ声を上げているだけじゃ届かない。まず自治 体を動かすために、政治に参画していったことが有効だった」とみる。政治参加への敷居は高いという現実はあるが、「問われているのは一人一人が難しい問題 に対し、思考停止をやめることではないでしょうか」。
蒲生田原発は79年、日高原発は90年に計画が白紙に戻された。この間、双方で漁師を中心に連帯が生まれ、互いの運動を手伝ったエピソードも映画は伝える。
18人のインタビューを振り返り、かさこさんはかみしめるように言う。「自分、目の前のあなた、将来の孫子の日常に想像力を巡らし続けること。原発に賛成 でも反対でも、生活に根ざした理由、根拠を自分の中に持つこと。それが大事だった」。今はもう、ただちに脱原発に向かうべきだと考えている。
かさこ(本名・笠原崇寛=かさはら・たかひろ)
フリーライター、カメラマン。大手消費者金融を経て編集プロダクションなどを経験。2012年にライターとして独立。著書に「検証・新ボランティア元年-被災地のリアルとボランティアの功罪」(共栄書房)など。
◆映画「シロウオ 原発立地を断念させた町」
1960~70年代にかけ原発の立地計画があった徳島県阿南市と和歌山県日高町を舞台に、計画が白紙化されるまで反対運動に携わった住民や自治体関係者に インタビューした長編ドキュメンタリー。2013年11月末に完成。要望などに応じ全国で上映会を続けている。県内では1月25日に横浜市鶴見公会堂で初 めて上映され、県内外から約250人が来場した。
30 年以上前、原発立地計画を住民の反対運動によって断念に追い込んだ町があった。紀伊水道を挟んだ徳島県阿南市と和歌山県日高町。「ノー」の声を上げた人々 を追ったドキュメンタリー映画「シロウオ 原発立地を断念させた町」が静かな反響を呼んでいる。横浜市鶴見区在住で監督のフリーライターかさこ(本名・笠 原崇寛)さん(38)の出発点は「3・11の前に人々はなぜ原発の危険性に気付き、立ち上がれたのか」だった。
原発は便利だし、地方も潤う。つまり必要悪である、と。そう思うことで目を背けてきたのです。あの事故が起きるまでは-。自身のことを、かさこさんは率直に振り返った。
そして2011年3月、福島第1原発の事故は起きた。ふるさとを丸ごと追われ、低線量被ばくの不安を背負わされた人々。「だから、もう目を背けていられな くなった」。福島だけでなく国内にある原発を今後どうしていくのか。再稼働か、否か。原発問題をテーマにした映画制作を持ち掛けられ、頭に浮かんだのが 「原発を拒否した町の人々の声」だった。
住民たちが原発反対の声を上げ、立地計画断念に追い込んだ場所が全国に34カ所もある。やはり3・11後に知ったことだった。
「国策という大きな力にのみ込まれるようにして原発はできていったと思っていた。多くの人が原発問題を考えるようになり、将来に向けた選択を迫られている今、原発を拒否した人々が何を考え、どう行動したのか。そこに大きなヒントがあると思った」
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撮影の舞台となった阿南市と日高町は40キロほどの海峡を隔てて位置する、いずれものどかな地方都市だ。
阿南市では1976年に四国電力が蒲生田原発の計画を発表。日高町では67年に町議会が誘致を決議したことで、関西電力の日高原発の計画が浮上した。
反対運動に携わった人にカメラを向け、声を拾っていった。
阿南市の民宿経営の女性は当時の戸惑いを語った。
〈原発が来たら道が広がるとか、いろいろ言ってくれたけどね。道が広がっても人間が住めなんだらしょうがないけんね〉
日高町の元漁師の男性も同じだった。
〈お金じゃない。とにかくこの海と、健康に暮らせる、昔からの自然そのままの村、町が欲しかった〉
映画では、いずれの土地でも漁師を中心とした1次産業で働く人たちが立ち上がり、反原発運動が湧き起こった経緯を伝えている。
かさこさんは言う。「考えるべき点は人々の多くが原発反対の理由に自立を選んだことだ」
例えば阿南市の漁師の男性は言った。
〈駄目なもんは駄目という覚悟でした。考え方の中に政治的な思想もない。純粋に自分らが漁業を永続的に営めるかどうかが最大の争点ですから。それ以外、何もないです〉
日高町の元漁師の男性も語っている。
〈(原発立地で)お金をもらったって一時のもんでしょう。どれだけのお金をもらってもね。やっぱし毎日毎日こつこつ、こつこつ働いて、稼いだお金がよっぽどありがたいと思ったですね〉
かさこさんは「人々は変わらないふるさとで漁や農業を営み、暮らしていくことの尊さに気付き、将来にわたって想像力を巡らしていた」と取材を振り返り、続けた。「私たちは今、どうだろうか」
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タイトルの「シロウオ」は蒲生田原発の立地予定地だった阿南市内の川に生息する小魚の名から取った。
上流に小石を投げ入れ、餌と勘違いしたシロウオが上流に向かっていくのを一網打尽にすくい上げる。そんな伝統漁が行われていた。
投げ込まれる小石を原発マネーに例えれば、こうなる。餌と思いこんで群がるのと、おびえて逃げ出すのとどちらが正しかったのか。捕まらなかったのが反対の声を上げた人々ではなかったか-。
かさこさんは言う。
「豊かな漁場であったため漁業が生計が成り立っていた面もあるが、人々が求めた幸せが必ずしも経済的な豊かさばかりではなかったことが大きかったのではないか」
ほかにも気付かされたこともある。
映画の中で、かつてバス運転手だった元阿南市議は「行政を反対にさせないと(原発立地は)止められないと思った」と出馬の経緯を振り返り、日高町役場職員 から町長となった男性は「推進派と反対派が分かれて、互いの結婚式に親でも兄弟でも出なくなるようになった。こんなことじゃいかんと思い切って町長選に出 た」と語った。
かさこさんは「国や大企業といった大きな権力と対峙(たいじ)するには、ただ声を上げているだけじゃ届かない。まず自治 体を動かすために、政治に参画していったことが有効だった」とみる。政治参加への敷居は高いという現実はあるが、「問われているのは一人一人が難しい問題 に対し、思考停止をやめることではないでしょうか」。
蒲生田原発は79年、日高原発は90年に計画が白紙に戻された。この間、双方で漁師を中心に連帯が生まれ、互いの運動を手伝ったエピソードも映画は伝える。
18人のインタビューを振り返り、かさこさんはかみしめるように言う。「自分、目の前のあなた、将来の孫子の日常に想像力を巡らし続けること。原発に賛成 でも反対でも、生活に根ざした理由、根拠を自分の中に持つこと。それが大事だった」。今はもう、ただちに脱原発に向かうべきだと考えている。
かさこ(本名・笠原崇寛=かさはら・たかひろ)
フリーライター、カメラマン。大手消費者金融を経て編集プロダクションなどを経験。2012年にライターとして独立。著書に「検証・新ボランティア元年-被災地のリアルとボランティアの功罪」(共栄書房)など。
◆映画「シロウオ 原発立地を断念させた町」
1960~70年代にかけ原発の立地計画があった徳島県阿南市と和歌山県日高町を舞台に、計画が白紙化されるまで反対運動に携わった住民や自治体関係者に インタビューした長編ドキュメンタリー。2013年11月末に完成。要望などに応じ全国で上映会を続けている。県内では1月25日に横浜市鶴見公会堂で初 めて上映され、県内外から約250人が来場した。