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ステレオ・タイプ

つらつらと、とりとめのないことを書いています。拙作ですが、小説も載せています。

 

 これは、私の知人が遺した手紙である。括弧内の文章は、本文の横に、後から付け足された文章である。


 

 氷について、私には三つの体験がある。それについて、綴ろう。

 まず、食である。かき氷というものがある。元は水であったことから考えると、食物なのか飲料なのか判別がつかなくなってしまうが、両方の要素を孕んだものであることを、前提としておきたい。私のかき氷体験は小学生の頃に端を発するが、途方もなく薄れてしまった初体験の記憶なので、ここでは、現在の私から最も近く、印象的である記憶について語ろう。今が冬であるから、半年ほど前、真夏の時期の事である。私は友人のKと、彼と交際している女性のYと共に、海水浴場へ出かけた。私は海というものに、自然的な無力感(それはほとんど、恐怖と言っていいかもしれない)を覚えて仕方がないので、気乗りはしなかったが、Yも行くということだったので重い足を運んだ。おそらく、Yがいなければ私はKの誘いを断っていただろう。海に着くと、すぐにKとYは海へ入っていったが、私はもちろん入れるはずもなく、近場の休憩所から泳ぐ姿を眺めていた。私は次第に喉の渇きを感じたので(この感情は、追憶による付け足しである。その当時、どういった思考のもとにいたのかは、定かではない)出店でかき氷を買い、再び休憩所に戻った。それから私は、Yの姿を見ながら、かき氷の上に唾を垂らし続けていた。Yの露わな肉体と、私の心が(これについて、私は語る術を持たない。なので、心、とだけ表記することしかできない。もっとも、語るつもりもないのだが)融解する氷と(私の唾と、純粋な氷と、檸檬のシロップとが)重なって、たまらなく苦しかったことが半年経った今でも忘れられない。しかし、きっと、そのとき、私は、笑っていたことだろう。



 次に、官能である。彼女の、Yの舌は、氷のようだった。冷たく、柔軟に絡みつく氷は、どうしても私を否定しているように感じた。あの夏の日から二ヶ月ほど経った、秋のことである。YとKの交際は続いていたが、仲睦まじく、という風にはいっていなかったのは、私の目からは明らかであった。次第に、私が感じるYの視線はその頻度を増し、そこに込められた鬱積した情念もまた、確かな密度を持って私の中に注がれていた(これはYから感じる視線の時間的要素から計るに、明確な事実であろう。以前までは刹那的なもので、そこにある意味も薄いものであったが、この当時は、視線というものが酔った蛇のように巻きついて、決して離れてはくれなかった)。Yの視線がいよいよ熱量を持ち始めた頃、私は折よく(こう表現してしまうのは、やはり私からも、何か特別な感情を抱いていたからでしょう。しかしこれは決して動物的なものではなく、もっと、理性に富んだ、高尚な感情であったことを心に留めていただきたい)Yと二人のみになる瞬間を得ることができた。私から、告げたいことがあったのだ。が、それもYに伝えることは叶わなかった(誤解しないで欲しい。この告白は、Yにとってみれば拒絶として受け止められる内容のものであったのだ。私はYの期待に応えることはできないはずだった)。二人のみになった途端、Yは溶けたように潤んだ瞳で私を射た。瞬間的に、私の言葉は喉の奥へ消えていってしまった。絡みつく五指の感覚を得た。甘い檸檬のような香りが、Yから漂った。少しもしない内に、彼女は私に、唇を重ねていた。口内に溢れる冷たい唾液と、それよりもずっと冷えた舌が、私の温度を奪っていくようだった(ただ、拒絶しなかったあたりを考えると、私も、彼女の温度と融解したかったのかもしれない。いや、やっぱり、違う)。その日は、唇を離したのち、すぐにそれぞれの帰路を辿った。ただ、その日以降、彼女の視線が注がれるたび、今度は濃密に、体を重ねた。彼女の皮膚は、舌よりもずっとずっと、温かかったように思う(このことはKも、おそらくはYから聞いていることだろうと思う。私がKだったなら、悔しくて、殺してやりたいと思っただろう。実際、そのようにしたかもしれない。しかしこうした思考の一切も、私が私であるために、意味を失くすのだ)。



 最期に、眠りである。冒頭に、三つの体験があると書いたが、実は、これについてはまだ未体験である。冬、つまり、これを書いている今、つい先日のことである。私と、Kと、二人の間にいた彼女は、不意に、本当に不意に、片方を切り捨てた(彼女の中で何か、決断があったのに違いないが、実をいうと、私はこの日を恐れていた。それが私の、最も唾棄すべき、愚劣で、醜悪な、救済の余地のない部分であることは、確かにここに記すことにする)。彼女は、Kと別れ、私を選んだのだ。顔を綻ばせ、私に報告するYは幸福に満ちていた。駄目だ、と思った。Yと私の融解は、私を、鋼鉄の檻に閉じ込めるものだ。薄黄色の、もとは氷だったものを思った。躍動する氷の舌を思った。今、Yが私を選択したという事実によって、私は耐えがたい苦痛を感じ、しかし同時に、ひとつの決断を得た。決して揺るがないものである。凍った、不断の感情である。今は、ただただ追憶に身を任せている。あの海水浴の日に戻りたいと、今でも思っている。ただ、過去や未来ばかりに希望めいたものを負わせていると、私は、私の望むものに指先さえ触れることはできないように思う。今夜、私は、A公園の長い橋から、真下の湖へ落ちる。風を斬る音を抱いて、私は。感覚の一切ない氷になって、私は眠るのだ。起こさないでくれ。


 以上が、彼の遺した手紙の全文である。これを見ることが叶わなかったYに、冥福を祈る。どうか、安らかに。