愛という名のもとに
最終回、最後はわりとあっけなく収束していく感じ。
時男と健吾で貴子を取り合ったり、健吾が時男に貴子を頼んだり、時男は貴子を捨てたり、男の論理な感じもする。
まだ男女雇用機会均等法ができたばかりで、男女が対応な関係であるのは難しかった時代なんだなぁ。
仲間内であっちにくっついたり、こっちにくっついたり、こういう関係は大学時代のバイト仲間がまさにそうで、私はそこに加わらなかったからあまりわからないけど、時代なのかしら。
仲間といってもその人から見えるその人のイメージというものがあり、実はみんなそれぞれに悩みがあったりして、人は見かけによらないものなんだと思う。
一つ言えるのは、その時代を共有していれば、何年か後に時代が追いついてきたり、自分が追いついてきたり、真意が後でわかることもあるから、細く長く焦らずに付き合っていけばいい。
私自身は心に残っているのは、高校の時の友達とワープロ練習と言って大学のときに文通したこと。おかげでタッチタイピングはばっちりになったし!当時はカナ変換、ローマ字変換どちらもできたなぁ。
大学卒業してから大学時代の友達とメールをよく書くようになり、その後文通したり、月に一度お互いおすすめの本を貸しあったり、舞台などを見に行くようになった。だんだん忙しくなり一緒に舞台を観に行けなくなり、互いにチケットを譲り合うという妙なことになった。笑
そして、会社の同期が辞めてからひょんなことで文通するようになって、たまにハガキを書きあい美術館に一緒に行ったりするようになった。離れて住んでいるので、たまに長電話もする。3時間とか4時間とかあっという間に話していてびっくり。(←高校生みたい)先日はもと同僚として、転職の履歴書のバックチェックを頼まれた。
私は、仲良くなる人とは、文章や本や舞台などでつながる傾向が強い。
SNSでは薄っぺらすぎて、なかなか血の通うような密なつながりにならないと思う。
昔の友達とは一瞬でその頃の気持ちに戻れて本音で話せる。
色々あっても、仲間っていいな、と思った。
そして、ボブ・ディラン。
風に吹かれながら、歩いていくしかないんだなぁ。
そして、常に自分に問いかけること。どうしたいか、どこに向かいたいか。
自分があってこその仲間だと思う。