最近持ち物を減らしているが、物を通して自分に向き合ってみると、マンネリが一番だということに今更ながら気づいた。
いつも同じ
ということが今の日本ほど忌み嫌われ、疎まれていることはないと感じる。
同じ食べ物、同じ味付け、同じ洋服、同じ形。
自分の中で毎日同じ物は嫌うのに、人と同じ食べ物、服、家、インテリア、価値観はOKなんて、同じの向かう軸が少し違うのではないだろうか?
むしろ自分に合ったものを見つけて、毎日同じことを繰り返す、それが幸せなのでは?と思う。例えば同じ時間に起きること。出したら片付けること。
そう、片付けていてだいたい気づくのは
- 食品ロス→目新しさに惹かれた変わった調味料や簡単にできる味付けキットは結局使って数回
- 積読本→読まないジャンルにチャレンジしてみようと買ったことに満足してタイミングを逃す、すぐやらないとその後はチャンスは来ない
- 衝動買いした服やバッグ→普段買わないジャンル(苦手なもの)や分不相応なものは結局使わない、中途半端な値段(1万〜2万)のものは中途半端な装飾や工夫があってそれが非常に邪魔
- 買うことが目的になってしまったもの、理想を追い求めすぎたものは妄想だけが広がって落差が大きい→インテリアや雑貨
このように、何かスパイスを求めて買う物は結局本当に必要なものじゃない。
無駄な行動を減らしてみると、心の贅沢が味わえる。ちょっと退屈なくらいが本当はいいのかも。
道や電車は毎日少しずつ変えてもいい。食べるものも毎日全く同じ必要はない。しかし味噌汁の具を変えるくらいで、味付けは基本塩味、だしと味噌だけとか。そう考えると結構バリエーションは色々ある。
毎日気合いの入ったメニューでなくてもいい。切っただけ、焼いただけで十分。
それに気づいてからは、気楽になった。
野菜も基本は玉ねぎ、キャベツ、にんじん、じゃがいもが基本。
夏はトマト、きゅうり、なす、みょうが、枝豆。
秋は銀杏。
冬は白菜、かぶ。
春は菜の花。
ベースになるものがあれば、季節のものが新鮮に映る。
普段買う食べ物も、ベーシック。
↓まさに土井先生の言うことは理にかなっている。
マンネリズムを追求していくことが、老いの極意なのかもしれないなぁと。