「若い頃の苦労は買ってでもしろ」とか「成功のためにはたゆまぬ努力が必要」だというフレーズは日本人は大好きですよね。
終身雇用の労働社会でも働き方改革の中でもいまだに残業を強いたり、テレワークでの効率化を軽視したり、労働者の努力の可視化を世のどこの職場でも非常に重要視します。
まあ、確かにそういう「日々の努力が実を結ぶ」、「頑張っている」という文化・側面は分からなくもないんですが、こと投資や事業で利益を出すことにおいていうと「いかに労力を減らして」、「いかに効率的に利益を出すか」という点が重要だと私も思います。
私も20代でセミリタイアを検討し始めて、40代までにはそれを実現させましたが、結局何のためにリタイアするかといえば「ラクをするため」ですよね。
いかに無駄な労力を減らして、かつ利益を出せる(生活ができる)ライフスタイルにつなげるかということを主眼に置いて取り組んだのは言うまでもありません。
不動産投資でも株式投資でも、いかに労力をかけずにほったらかしでも利益を出せるようにするか?これが投資の場合は重要視されます。労働と投資では重きを置く視点がだいぶ異なります。
日本社会はどちらかといえば農耕型社会ですので、厳しい環境でも汗水垂らして働くことがことさら重要視されますが、投資や事業の世界ではいかに涼しい顔して正当にかつ効率的に素早く利益を上げられるかがとても重要だとも思います。
ただし、その価値観が行き過ぎると違法な行為に手を染めてしまう者も後を絶ちません。利益を追い求める行為自体は悪ではないものの、どんな手(ズル)を使ってでもということになると世の中が無法地帯になってしまいます。
この辺の心理的抑制が人間にはうまく働きにくいので、特に日本人の場合には新たな投資や異分野の事業がバクチのように感じられ、胡散臭いものになっているきらいはありますね。
お金儲けというとネガティブな要素で語られることが多い日本の社会。そうは言ってもお金欲しさのために我慢して働いているというのがほとんどの日本人労働者の偽らざる実態でもあります。
お金儲けそのものには悪い印象を持っていたとしても、お金そのものはもっとたくさん絶対的に他人より欲しいというかなり矛盾して倒錯した価値観を持っています。
過大な労力や時間の無駄を排除して効率的に利益や成果を上げていくというのが働き方改革の真意だと思うのですが、働き方改革には日本人に苦手な投資の視点が必要なんだと考えられます。
それゆえに日本人には働き方改革の実行は難しく、これまでの努力が無駄とされることに異常なほどの執着心(サンクコストの呪縛)を持っているのですね。
新たな成功を収めるためには過去の成功を捨て去らなければならないわけで、そこには大きな犠牲が伴う。生物が進化するということは多くの犠牲を伴いながら新たなものを作り出すということにもなるので、努力や根性ではなく呪縛や遺恨を乗り越えることから始まるのかもしれません。
日本が高度経済成長した以前には大きな戦争があって、全国で木っ端みじんにやられたというのが日本の変化をもたらしたのはあながち嘘ではないでしょう。今後は戦争という形ではありませんが、経済衰退と人口減少という大きな災いが多くの犠牲を伴って、長い時間をかけて新たな時代を作り出していくのでしょう。(その頃には今いる私たちは生きていないかもしれませんが)