今日は3.11。東日本大震災からもう12年が経過するんですね。
今の小・中学生はこの大震災の記憶はないし、だんだんと風化してきている面もありますが、私の中ではやはりまだまだ記憶が鮮明に残っています。
当時は自宅にいたのですが、NHKテレビで見た宮城県海岸部を押し寄せる津波の生の映像が衝撃的で、その後にも次々と衝撃的な映像が集まってきて、今でもたまに動画で見たりしますが、当時の恐怖を思い起こさせてしまいます。
電車もほとんど止まってしまい、都心部のターミナルは人で埋め尽くされて、それぞれが徒歩で自宅に帰るという驚愕の有様。車も大渋滞し都内の道路はテールランプ渋滞でまっ赤っ赤。救急車も通れなかったそうです。
翌日以降も電車はなかなか動かずに、駅の前には人が行列を作って電車の運転再開を待っている寒々しい状況が中継されていました。あれを見たとき私は「日本人ってこんな時でも出勤しようとするんだね」とびっくりした記憶があります。
その後は原発が爆発し、阿鼻叫喚の日々。外国人は慌てて東京から逃げ出し、原子炉のメルトダウンもささやかれる中で、当局が必死に否定して回り、「直ちに影響はない」を繰り返す政府高官。
「日本は終わったかもな」そんな風に感じる震災後の1週間あまりでした。
国内でもスーパーやコンビニには商品が不足して欠品騒動が起きて、原発から撒かれた放射性物質が水道水にまじり、ミネラルウォーターを買い占めるなどの騒動もありました。
実際に風評被害も多くなり、放射能ホットスポットなどと騒がれて、東北・関東にはもはや人は住めなくなるかもなどと喧伝されていたのも記憶に新しいです。(実際に原発が大爆発していたらそれが真実になっていた可能性もあったわけですが)
2001年911のニューヨークワールドトレードセンターテロ事件も衝撃的でしたが、2011年311はそれを大きく上回る衝撃を受けました。
私の人生の中でも「日本が終わるかもしれない」、「自分のこれまで積み上げてきた人生もいよいよ崩壊か」、「西日本に移住して農業でもやるか」などと考えたりしました。
実際に西日本に一時的に移住したり、混乱を避けるために関東から脱出する知人友人もいたぐらいでしたので、それだけ生活ストレスが大きかったんですね。
今後は東南海・南海地震が発生したり、大都市直下型地震が発生したりすることも十分考えられるわけであり日本人に生まれた運命をかみしめることになるでしょう。一番の身近な危機は日本国内で住んでいる限りは大災害であり、大都市災害であろうと思います。
郊外で自給自足生活も夢見たりしていましたが残念ながら実現はできていません。この先もまた大災害があれば翻弄される人生を歩むことになるのでしょう。