仔羊が川で水を飲んでいるのを狼が見つけ、もっともらしい口実を設けて食べてやろうと思った。そこで川上に立つと、お前は水を濁らせ、俺が飲めなくしている、と仔羊に言いがかりをつけた。仔羊が、ほんの唇の先で飲んでいるだけだし、それでなくても、川下にいて上流の水を濁すことはできない、と言うと、この口実が空を切った狼は、「しかしお前は、昨年俺の親父に悪態をついたぞ」と言った。

一年前はまだ生まれていなかった、と仔羊が言うと、狼の言うには、「お前がどんなに言い訳上手でも、俺としては食べないわけにはいかないのだ」。

悪事を働くことが決まっている人の所では正当な弁明も無力である、ということをこの話は解き明かしている。

 

 

「イソップ寓話集155」

愛知県の昔話

昔、三河国の田代川を挟んで、三栗ノ谷(みぐりのたに)と川下ノ谷(かわしものたに)に、鬼の一家が住んでいた。

 

三栗の鬼と川下の鬼の一家は大変仲が悪く、いつも大きな岩を投げ合う喧嘩ばかりしていた。ところがある日、三栗の鬼の一人娘が川下の鬼の一人息子を好きになり、そのうち娘の腹が大きくなった。両家の鬼は、仕方なく結婚を認めてやり、やがて子供が生まれた。

 

 

しばらくして、大変な干ばつが起こり、田畑の作物は枯れ食べるものがなくなり、孫が病気になった。かわいい孫をどうにか助けてやろうと、三栗の鬼は祈祷師に拝んでもらった。祈祷師が「信州の伊那八幡の弁天様の水を飲ませれば孫は助かる」と言うので、さっそく三栗の鬼は伊那八幡まで走った。走り疲れた鬼の前に、弁天様が現れ「岩を掘って湧水を飲ませれば、孫は助かる。ただし道具を使ってはならない」と告げた。

 

 

急いで帰った三栗の鬼は、真言(マントラ)を唱えながら、素手で岩を掘り始めた。「おんぼろだやそわか、おんぼろだやそわか、おんぼろだやそわか、おんぼろだやそわか」爪は剥がれ肉はちぎれ白い骨が見えても、ガリガリと音を立てながら夜も昼も掘り続けた。

 

ようやく岩にくぼみができ、とうとう岩の穴から水が湧いてきた。三栗の鬼が、岩の井戸水をお椀に汲んで孫に飲ませると、すっかり元気を取り戻した。それからの両家の鬼たちは、仲も良くなり、湧水により畑も潤い、息子たちはめでたく結婚式を挙げた。

 

出典:日本昔話データベース

ライオンが寝ていると、鼠が体の上を走った。ライオンが起き上がり、鼠を捕まえ、ひと呑みしようとしたところ、鼠は命乞いをして、助けられたなら恩返しをすると言ったので、笑って逃がしてやった。

そしてライオンは程なく鼠のお陰で命拾いすることになる。猟師に捕らえられ、ロープで木に縛り付けられたところ、鼠がうめき声を聞きつけ現れ、ロープをかじり切り、ライオンを解き放って言うには、「あの時あなたは、私からお返しを貰うことなどあてには出来ぬとばかり、私を笑って馬鹿にされたが、今こそ分かって下さいな。鼠にも、恩返しはできるのです」。

時勢が変われば、いかな有力者でも弱い者の助けが必要になる、ということをこの話は解き明かしている。

 

 

「イソップ寓話集150」

愛知県の昔話

ある山里に成信という若者が一人で住んでいた。

 

ある年の夏、成信が田んぼで仕事をしていると一人の娘が通りかかり、倒れ込んでしまった。

成信は家に連れて娘を介抱した。2、3日経つと娘はすっかり具合が良くなり、成信の身の回りを世話するようになった。成信が娘の素性を訪ねると、「ここにおいて欲しい」と言う。

 

 

こうして娘は成信と暮らし、よく働いた。その秋、二人は夫婦になり、男の赤ちゃんが産まれ、もりめと名付けた。しかし、もりめが重い病気にかかってしまい成信はつきっきりで看病をした。その甲斐あって、もりめは元気になったが、ほったらかしにしていた田んぼは荒れ放題になっていた。

 

 

成信はなんとか田んぼを耕したものの、明日1日で田植えをしなければならないと娘に話した。翌日、成信が田んぼに出かけると、田んぼに全部苗が埋まっていた。しかしそれはすべて逆さまに植わっていたのだ。そのこと娘に言うと、娘は田んぼへと走りだし、いつしか白い狐の姿になって走っていた。

 

そして「世の中よかれ、我が子にくわしょ。検見を逃がしょ、つと穂で稔れ」と歌うと、逆さに植わっていた苗がみなひっくり返った。しかし娘は狐であることを成信に知られたので、山へ帰らなければならなかった。成信は追いかけるが、娘は狐の姿になって消えていってしまった。

 

その年の秋、検見の役人がやってきたが、成信の田んぼだけは稲が実らず、成信は年貢を納めないで良いことになった。役人が帰ったあとに、稲の穂がどんどん実り、成信はいつまでも田んぼを眺めていた。

 

出典:日本昔話データベース

ある教会で、神父さんが猫を可愛がっていました。お祈りをするときにも、何時も猫を手放さずに側に置いていました。

 

 

その神父さんが亡くなって、二代目の神父さんもその猫を飼ったのですが、お祈りをするのに邪魔だったので、猫を祭壇の横に繋いで置きました。三代目の神父さんもまたその猫を繋いで飼っていました。四代目の神父さんは猫が嫌いだったので、その猫が亡くなった後には猫を飼いませんでした。しかし、猫がいたほうが村の人の受けが良いと思った神父さんは、石で作った猫を置いておきました。五代目の神父さんは石の猫を見たときに「じゃまな石の猫だなぁ」と言って、祭壇の上の場所におきました。

 

その後に交代した神父さん方も、それをどんどん引き継いでいき、その教会ではお祈りをするときに石の猫が祭壇の上にいるのが当たり前になっていました。何年かが過ぎたときに、ある村人が「あの石の猫は、何でお祈りの場にいるのですか」と聞きました。ところがその質問に答えられる人はもう誰もいなかったそうです。

 

 

我々の生活の中にもこういうことってありませんか?例えばマナーや決め事にしても、何でこうなったのか、これはやってはならない。これはやるべきだということに対し、どんな歴史があったのか、どんな話し合い、プロセスがあったのかを考えてみるのも良いのではないかと思います。

 

参考文献《物語は、インターネット上に掲載されている動画を基にアレンジしています。イラストは、インターネット上に掲載されている無料画像を使用しています。》

静岡県の昔話

男の子の投げた石にぶつかったタヌキが、金玉を使って仕返しをする話

西伊豆の土肥(とい)のよこね峠の先の「おとい村」に、たろべえという男の子と母親とで暮らしていた。

 

 

ある日、たろべえが畑の石ころを林の中に投げ込んで遊んでいると、誰かに当たった音がした。だが、あたりを見回しても誰もいなかったので、気にしないことにした。

 

ある日、たろべえが、薪(たきぎ)を売りに行った帰り道の事。提灯をつけて暗いよこね峠を急いでいると、目の前に山のようなものがあり道を遮っていた。よこね峠を何度となく行ったり来たりするが、どうしても先に進めないたろべえは、すっかり怖くなり倒れ込んでしまった。

 

 

朝になって目を覚ますと、背負いカゴの中にあの時投げた石ころが入っていた。それを見てタヌキに仕返しされた事に気が付いた。それから数日後、再びよこね峠を通りかかるとまたまた3つの山が現れた。もう怖くないたろべえは、謎の山を思いっきり蹴飛ばすと、大きな悲鳴とともに、赤く腫れたおおきなふぐり(金玉)を抱えた古ダヌキが泣きながら山へ逃げて行った。

 

狸を返り討ちにしたたろべえも、あの時に石を投げたことを反省し、その後はもう石を投げなくなった。

 

出典:日本昔話データベース

穀物を売り買いする商人の所でトムという名前の若い男が働いていました。賃金は週に2ドルでした。長い年月そこで働いていたトムは、ある時に自分の賃金はなぜこんなに少ないのかと思い主人に「もう一人のトムは週に6ドル貰っているので、なぜ自分は2ドルなのですか?」と尋ねました。その穀物商の所では、もう一人同じ名前のトムという男が働いていたので、主人は「まあまて、そのうちに理由を教えてやる」と返事をしました。数日後、その穀物商の下の道を10台余りの荷馬車が隊列を組んで通りかかりました。

 

 

主人は急いで2ドルのトムを呼んで「道を降りて行って何を運んでいるのか聞いてこい」と命じました。トムは道を下り、戻って来て「トウモロコシを運んでいるそうです」と報告しました。主人は「どこへトウモロコシを運んでいるか聞いてこい」と、また命じました。トムはまたまた道を下って馬車まで駆けていき、戻ってきて「トウモロコシを市場に運んでいるそうです」と報告しました。主人は、またまた2ドルのトムに「急いで戻って、誰に頼まれて運んでいるのかを聞いてこい」と命じました。荷馬車はもう村はずれに差し掛かっていたので哀れにもトムは犬のように走らなければなりませんでした。

 

トムは走って戻り「隣町の町長さんに頼まれた荷物だそうです」と報告します。主人は「トウモロコシの値段を聞いてこい」と更にトムに言いました。トムは戻って、トウモロコシの値段を伝えると主人は「ここで少しまっておれ」と言いもう一人のトム、つまり6ドルのトムを呼んで「道を降りて行ってさっき通った荷馬車の商人たちの様子を見てきてくれ」と命じました。6ドルのトムは馬にまたがって荷馬車を追いかけました。少ししてトムは戻って来て「あの人たちは隣町の町長さんに頼まれてトウモロコシを市場に運んでいる商人たちでした。それで売値を聞いてすぐさまそれより少し高い値段で買うと申しましたら、重い荷物を運ぶのに疲れたので、うちの倉庫に荷をおろすと決めてくれました。今こちらに向かっています」と報告しました。穀物商の主人は、「これでもう一人のトムとお前の賃金が違うことが分かっただろう」と言いました。

 

 

この寓話から得られる教訓にはどんなことが想像できますか。この職場には二人のトムが働いていました。一人は週給2ドル、もう一人は週給6ドルでした。2ドルのトムは主人から言われたことはしっかりとやる若者でした。しかし、言われたことしか出来ない男である。一方6ドルのトムは、言われたこと以上の仕事のできる男である。2ドルのトムは「一を聞いて一をやる」男でしかない。一方、6ドルのトムは「一を聞いて十をやる」男であった。その違いは主人から「〇〇を聞いてこい」という指示を受けたとき、「主人はどうしてそれが知りたいのか」を想像できるかどうかの差なのです。

 

参考文献《物語は、インターネット上に掲載されている動画を基にアレンジしています。イラストは、インターネット上に掲載されている無料画像を使用しています。》

静岡県の昔話

心をいやす水音が聞こえる、不思議なカメの話

昔、伊豆の河津川に得体のしれない化け物が棲んでいる噂がありました。ある人は川の主、またある人は河童だろうと言いましたが、誰ひとりとして姿を見た者はいませんでした。

 

ある年のこと、川沿いの谷津の棚田は、一日中田植えで賑わっていました。このあたり一帯は栖足寺(せいそくじ)の田んぼ、でこの日は寺の田植えでした。

 

村人たちは、一日無事に働き終えて川岸で鋤や鍬を洗い、馬の身体を洗っていましたが、馬が突然暴れだしました。村人たちが何事かと駆けつけてみると、馬の尻尾に河童がぶら下がっていました。

 

 

村人たちは河童を生け捕りにし、「河童を殺そうか、打ち叩いてやろうか」と話し合っているところへ、栖足寺の和尚と小僧がやってきました。和尚は「わしに免じて殺生なことはやめてほしい」と言い、河童を逃がしてあげました。

 

その夜、和尚が眠っていると、あの河童がやってきました。「和尚さんのお言葉通り、遠くの地へ参ります。つきましては、このカメ(瓶)を大切にしてください」と、カメを和尚さんに渡して、どこかへ去っていきました。

 

 

不思議なことに、このカメからは水が湧き出るような音が聞こえました。この水の音に聞き入った和尚は、すっかり気持ちが良くなり、その晩はぐっすり眠ることが出来ました。朝になって目が覚めた時は生き返ったかのように、満ち足りた清々しい気持ちでした。

 

不思議なかっぱのかめの話は村中に広がり、多くの村人がこのカメの音に聞き入りました。この音を聞くと、悪意は霧のように薄れ、村人たちの心は清々しく晴れていきました。また河津川に出水がある時には、恐ろしい水の唸りが聞こえたそうです。おかげで村人たちは洪水から身を守ることが出来ました。

 

和尚は、かっぱのかめを寺の宝として大切にするよう言い伝え、今も栖足寺に大切に祀られているそうです。

 

出典:日本昔話データベース

旅人が、建築現場で作業をしている人に「何をしているのか」と質問しました。

 

 

一人目の作業員は「レンガを積んでいる」と答えました。

二人目の作業員は「壁を作っている」と答えました

三人目の作業員は「大聖堂を造っている。神を讃えるためにね」と答えました。

三人とも「レンガを積む」という同じ仕事をしているのに、「何をしているのか」という質問に対する答えが異なっています。

一人目の職人は「レンガを積んでいる」という行為そのものを答えただけです。

二人目の職人は「壁を造っている」というレンガを積むことの目的を答えました。

三人目の職人はまず「大聖堂を造っている」という壁を造る目的を答え、同様に「神を讃えるためにね」という大聖堂を造ることの目的を付け加えています。

 

 

人間の行為は必ず「何かのために、何かをする」という構造を持っています。一つの行為の目的には、さらにその目的が存在します。「目的と手段の連鎖」と呼んでもいいでしょう。

 

この寓話からは、二つのことが読み取れます。

第一に、出来るだけ広く「目的と手段の連鎖」をイメージして仕事をするのが有益であるということ。一人目の職人より二人目の職人、二人目の職人より三人目の職人の方が有意義な仕事ができることは容易に想像できます。

第二に、自分の仕事は私の幸福や私たちの幸福とどうつながるかを考えることです。「目的と手段の連鎖」はどこまでも無限に続くものではありません。「・・・のために」という目的の連鎖は「なぜなら幸福になりたいから」という目的にすべて帰結するからです。

 

参考文献《物語は、「座右の寓話(戸田智弘)を基に一部を省略しています。イラストは、インターネット上に掲載されている無料画像を使用しています。》

静岡県の昔話

昔、伊豆の対島(たじま)に福泉寺(ふくせんじ)というやぶれ寺があった。この寺に住む住職は次々に行方不明になり、今では誰も住む者がなくなってしまった。村人たちは、福泉寺の奥にある大池の主が池に引き込んでしまうのだと言った。

 

それから何年かして、美濃の国の名のある武将が、何か思うところがあり出家した。僧になった武将は対島を訪れ、対島の美しい眺めを見て、ここを入定の地と定めた。そこで僧は、福泉寺のことを古老に聞いた。古老が言うには、福泉寺の森の奥に大池があり、夜中にその池の方から牛の鳴き声のような恐ろしい声が聞こえると言うのだ。僧は、それならば今晩、福泉寺に泊まり化け物の正体を見届けると言い、古老が止めるのも聞かず一人で福泉寺に向かってしまった。

 

夜、福泉寺の本堂では、静まり返った闇の中で僧の読経の声だけが響く。すると池の方から化け物の咆哮が聞こえた。僧が本堂から外に出てみると、そこには赤牛がいた。僧は赤牛に向かって、「もしそなたに仏性(ぶっしょう)があるなら人間の姿になって話してみなさい。」と言う。すると赤牛は夜叉(やしゃ)の女の姿になって本堂に入ってきた。

 

 

赤牛を目の前にして一切動じない僧を見て、赤牛は問いかける。「主(ぬし)は命が惜しくないのか?」僧はこれに応えて言う。「自分は命に執着はない。そなたには仏性がある。仏の功徳(くどく)を聞かれてはどうか。ここに来た理由は救われたいがため?」

 

赤牛はこれを否定する。「自分は魔界に生を受けたもの。仏法などには縁はない。ここに来た理由はお主を殺そうと思ったからだ。しかし、お主は今までの僧とは違う。ここの住職は自分を恐れ、なかには討ちかかってくる者までいた。それでやむなく池に引き込んで沈めてしまった。しかし、ここにきて殺生が嫌になった。」

 

僧は言う。その心こそが仏性であると。僧は続けて自分が出家した経緯を話す。「自分が出家を思い立ったのは、戦で多くの人を殺したがため。私とそなたは同じ悩みを持つもの同士で、その二人がここで対峙するのも、仏のみ心によるものであろう。」

 

 

こう言って僧は、夜を徹して赤牛に仏の道を聞かせた。そして夜が明ける頃には、僧と赤牛は二人で手を合わせて読経していた。すると赤牛の身体が光り、これまで夜叉の女の姿であったものが美しい女の姿に変じた。これは赤牛が発心(ほっしん)したためであった。

 

女の姿に変わった赤牛は、本堂をでて大池に向かった。すると歩く道は白い光となり、赤牛を導くように大池の方に向かって伸びた。女の姿の赤牛は念仏の声とともに大池の水面上で消える。翌朝、このことを聞いた古老は、なんとも有り難い話であると感嘆した。

 

出典:日本昔話データベース