新美南吉


 仔牛が ある 日 お父さん牛と お母さん牛の ところへ いつて、「父ちやん 母ちやん、あたい 體の 中が むぢゆむぢゆすんの」と いひました。お父さん牛も お母さん牛も すつかり よろこんで よだれを たらしました。そして お母さん牛が いひました。
「坊や その むづむづするのはね、今に 坊やの 體から 何かゞ 生えて くるのよ、さあ それでは、あの 丘の 南の なの花の 中へ はいつて、ぢつと すはつて ゐなさい、何か 生えて くるまで 待つて ゐなさいね」と いひきかせて、仔牛を 一人きり 送つて やりました。
 仔牛が いつて しまふと お母さん牛は むねを おどらせながら お父さん牛に いひました。
「ね、あの 仔は 世界中で 一番 美しい 仔牛だから、今に きつと 肩の 下から、いつか ほら 丘の ふもとで 池の 上に うかんでた あの 白鳥のやうな 美しい 白い 羽が 二つ 生えますよ」けれど お父さん牛は 大きな 顏を 横に ふりました。
「なにを 馬鹿な。けものに 羽など 生えるもんか。けものに 生える ものは 角に きまつてる。だが あれは、なかなか 勇ましい やつだ。だから きつと 鹿の 角みたいに りつぱな、枝の ある 角が できるだらう」
「おゝ いやだ、あんな みつともない もの。あんな いやな ものが あの かはいゝ 仔に 生える ものですか。きつと 羽が 生えます。もし あの 仔に 羽が 生えないなら わたし、この しつぽを あげても よろしいわ」
「そんな へんてこな しつぽなんか いらないよ、繩つきれの 方が よつぽど ましだ。お前が さう いふなら わしは かう いふ。もし あれに 鹿の 角が 生えないなら、わしは わしの ひづめを やらう」すると お母さん牛は 大きな 顏を できるだけ しかめて、「そんな ひづめより 道ばたに おつこつて ゐる お椀の かけらの 方が ましですわ」と いひました。
 丘の 南の なたね畑の 中で じつと まつて ゐた 仔牛の 頭に、やがて 小ちやく 生えて 來たのは、白鳥の 羽でも なく、鹿の角でも なく、ふつうの 牛の まるい 角でした。仔牛が お父さん牛と お母さん牛の ところへ かへつて 來ると 二人の 親牛は 眼を しばたゝいて よろこびました。そして いひあひました。
「まあ、よかつた。でも 何て りつぱな 牛に なつた ことだらう」

 

出典:青空文庫

ツキヨミノ命は、古事記において黄泉国から戻ったイザナキノ命が穢れを祓おうと禊をした際に生まれた三喜子の一柱です。姉はイザナキノ命の左目から生まれたアマテラス大神、弟は鼻から生じたスサノウノ命で、イザナミノ命は尊い子が生まれたと喜びました。ただし、日本書紀にはイザナキノ命とイザナミノ命の間に生まれたといる話と共に、白銅鏡から生じたとする説も記されています。

ツクヨミノ命はその名の通り月を司る神ですが、一般には農耕の神として敬われています。なぜなら「月読命」の「読」が月の満ち欠けを教える事、つまり暦を読むことを表しているからです。明治初頭までの日本人は大陰太陽暦を用いていたため月の動きで季節の変わり目を知り、これに従って種まきや稲刈りなどの農作業を行っていました。今でも月に供え物をして豊作を祈る行事もあるほどで、農耕にとって月は大切なものだったのです。その月の霊力を神格化したのがツキヨミノ命であり、人々はこの神を農耕の守護神として敬わってきました。

 

広島県の昔話―

むかしむかし、安芸の国(あきのくに)は呉(くれ)の浦(うら)、今の広島県(ひろしまけん)呉市(くれし)の呉の港のあるあたりは、三方山(さんぽうやま)に囲まれて、わずかに船で近くの島々と往き来したり、漁をするくらいの淋(さみ)しい村であったと。

それでも長者と呼ばれる家があって、美しい一人娘がおったと。

長者の娘への可愛がり(かわいがり)ようはひとかたではなく、ゆくゆくは金(かね)のわらじをはいて、金の太鼓(たいこ)で探しまわってでも、三国一の婿(むこ)を迎(むか)えてやろうと常々(つねづね)考えておったと。

娘は姫様のように育てられて、年頃になったと。 

その頃この村にひとりの貧(まず)しい若い漁師がおった。貧しいとはいえ、潮風(しおかぜ)にきたえあげられた黒光りのする体と澄(す)んだ眼を持った景色のいい若者であったと。

長者の娘とこの若い漁師が、どこでどう知り合う(しりおう)たものやら、互いに好き合う仲となり、末(すえ)は夫婦(めおと)になろうと固い約束をかわしたと。

人の口に戸は立てられん。うわさとなって長者の耳に入った。さあ、長者怒ること怒ること。

「親の心子知らずにもほどがある。この親不孝者めが」

と怒鳴(どな)って、娘を部屋に閉じ込めると、相手の若者が住むという浜へ行った。そしたら何と、砂浜に立てた小(こ)んまい掘立小屋(ほったてごや)に暮らすほどの貧乏ったれだ。 

長者の怒りに、更に火がついた。若者に、「わりゃ、こげなとこ住んで儂(わし)が娘に懸想(けそう)するたぁ、何さまのつもりじゃ。二度と会うこたならん。どこへなりと去(い)にさらせ」と、いまにもつかみかかりそうな勢い(いきおい)で悪態(あくたい)をついたと。

 

 

娘と若い漁師は、とうてい添(そ)いとげることは出来ないと悲観(ひかん)して、嵐の吹き荒れる晩、お互いの体を固くしばりあって、海に身を投げたと。海は一晩じゅう荒れた。

次の朝、二人の屍(しかばね)は荒波にもまれて離れ離れ(はなればなれ)になったのか、若者は能見島(のうみじま)に、娘は呉の浦に打ちあげられたと。

月日が過ぎて、若者が打ちあげられた能見島の浜に一本の男椿(おとこつばき)が芽を出し、それとほぼ同じころ、娘が流れもどった呉の浦でも乙女椿(おとめつばき)が芽を出した。二本の椿はそれぞれの地で大きくなった。そして乙女椿がたった一輪、花を咲かせたと。

しばらくすると、呉の浦の乙女椿が夜ともなれば怪しいまでに輝く青白い光を放(はな)ち、能見島の男椿は、それにこたえるようにかすかな光をまたたかせる、という噂が、あちこちで聞かれるようになった。

何年かの後(のち)、能見島の男椿は枯れ果ててしまったが、呉の浦の乙女椿は見上げるような大木(たいぼく)になり、一輪だった花を二輪咲かせるようになった。

呉の沖を通る舟人(ふなびと)たちは、この乙女椿を夜の舟旅の目じるしにするようになったと。

はかない二人の身の上をいとおしんだ長者は、全財産を投げ出し、この椿の木のそばに祠(ほこら)を建てて娘と若者の霊をとむらったと。以来、人々はこの椿の大木を「お椿さま」とか「椿大明神(つばきだいみょうじん)」と呼んでうやまうようになったと。

この祠は、添われぬ男女がお祈りすれば、どんな障害でも取り除いてくれ、逆に仲の良い夫婦者がそろってお参りに行けば、「お椿さま」がうらやましく思って、二人の仲をさくそうな。

いつの頃だったか、お椿さまに仲をさかれた夫婦が、腹を立てて椿の木を伐(き)り倒そうとしたことがあったが、二人は不思議な腹痛(はらいた)を起こし、狂いまわりながら海の中へ落ちて亡くなったと。 

 

 

そんなこともあって、誰も椿の木にさわる者はなくなったと。

 

出典:フジパン「民話の部屋」 

カグツチノ神は火を象徴する神で、古事記によるとイザナキノ命とイザナミノ命の間に生まれた最後の神です。なぜならイザナミノ命はこの子を生んだとき、ホト(陰部)を火傷しそれがもとで亡くなってしまったからです。この死を嘆き悲しんだイザナキノ命は、カグツチを斬り殺しました。するとその血からは雷神や水神が生まれ、死体からは山の神が次々と生まれます。カグツチの母神を死に追いやり、自らも破壊されながら多くの神々を生み出すという性格の背景には、古代の人々が火に対して抱いていた思いがあります。

古代の人々は、火がすべてを焼き尽くす破壊の力を持つと同時に、土器や鏡、鉄器など、多くのものを生み出す生成力があることを知っていました。

そのためあらゆるものを焼き尽くす火の力を恐れる一方で、必要不可欠なものとみなし、火を制御して操る力を求めたのです。この破壊と生成を司る火への思いに裏打ちされた神がカグツチだったのでしょう。

 

岡山県の昔話

むかし、備中(びっちゅう)の国、今の岡山県の殿様が、立派なお宮を造ろうと思うて、国中の大工を集めたことがあった。

たくさんの大工が集まって来たが、国一番のお宮を造れるような、腕のいい大工はおらんかった。

ある日のこと、一人の大工がお城にやって来た。殿様は、今までは、大勢弟子(でし)を連れて来る大工ばかりだったのに、たった一人で来るとは、不思議(ふしぎ)なやつだと思い、「お前、本当に一人でお宮を造れるのか」と、問いただした。大工が、 「必ず、立派なお宮を造ってごらんにいれます。そのかわり、お宮が出来るまでは、仕事場を絶対に見ないで下さい」というたので、殿様は、「面白い、一人でどこまでやれるか、やってみろ」と命令をした。

 

 

その日から、大工は、カキーン、カキーンと仕事をしはじめた。大工の仕事は一日経つと思わぬほど出来上がっている。

<一人でやっているのに、それはどうしたことだ>

と、殿様は不思議に思うた。

ある晩のこと、殿様はこっそり、大工の仕事場をのぞきに行った。すると、どうだ。一人のはずの大工が、何十人もいて、カキーン、カキーンと仕事をしている。それも、みんな同じ顔、同じ姿の大工だ。

「こ、これは、いったい、どういうわけだ。どれが本物の大工だか、見当もつかん」

殿様は、一人の大工を呼ぶと、「大工の頭(かしら)は、どいつだ」と聞いてみた。すると、その大工は、「眼(め)の所に、ほくろがあるのが、わたしたちの頭だ」と、教えてくれた。

お宮は、一日、一日、出来上がっていった。

そうして、やがて、立派な、国一番のお宮が出来た。

殿様は喜んで、喜んで、大工を呼び、「見事な出来ばえじゃ。ほうびを与えよう」というて、持てるだけの金銀を与えた。そのとき殿様がよおうく見ると、大工の目の所には、ほくろがあった。

大工が帰ろうとすると、「一寸(ちょっと)待て、ところで、仲間の大工たちはどうした」と、殿様は聞いた。大工は、何も答えず、そのまま、立ち去ってしもうた。

誰もいなくなった仕事場には、大工の姿形をした木の人形が、たくさん転がっていたそうな。

木の人形に魂を吹き込み、何十人という大工をこしらえて、お宮を造ったというわけさ。

そんなことが出来るのは、日本広しといえども、たった一人しかおらん。そう、飛騨の工匠(たくみ)という大工さ。

 

 むかしこっぷり杵のおれ。

 

出典:日本昔話データベース

イザナキノ命とイザナミノ命の間に、オノゴロ島で最初に生まれたのは蛭子(ひるこ)であった。蛭子とは、三年たっても足の立たない子という意味です。そこで葦船に乗せて流してしまった。最初に生まれた子を棄てたとするこのような記述は、古事記、日本書紀ともにあります。その後のことは分からないが、後世の人々は、神の子が簡単に死ぬはずはないとし、これを恵比寿様と呼び、七福神のひとりとして崇めました。室町時代には、大国主神の子どもで、国譲りを迫られた父の相談に応じたとされる事代主神と同一視されるようになりました。このとき、事代主神は釣りをしていたことから、恵比寿様も魚と釣竿を持った姿で描かれるようになりました。

 

―島根県の昔話―

昔、ある山奥に母親と娘が住んでいた。

二人は、大変貧しい暮らしだったので、娘は長者の家へ奉公に出ることになった。娘は、町の職人に頼んで母の顔の面を作り、母の面をもって奉公に出た。

長者の家での仕事は、朝は暗いうちから炊事・昼になったら掃除・洗濯、風呂を沸かす仕事など重労働であった。それでも娘は、一日の仕事が終わると、自分の部屋の針箱の引き出しにしまってある、母親の面と話をすることを楽しみにしていた。

 

 

ところが、娘が母親の面と話をしているところを、いたずら好きの下男に見られてしまった。下男は娘を脅かしてやろうと、こっそりと母親の面を鬼の面に取り換えてしまった。

そうとは知らない娘が、いつものように針箱の引き出しを開けると、そこには鬼の面が入っていた。「これは母親の身に何かあったに違いない」と思った娘は、夜の暗い中を自分の家を目指して走った。

やがて、暗い山道の中にぽつんと明かりが見え、そこには体格のいい3人の男たちがいた。娘は男たちに捕まってしまい、母のことが心配でしたが逃げることもできず、一晩中たき火の番をすることになった。

そのうち、男たちは賭け事を始めた。火の番をしていた娘の顔は、だんだんほてって熱くなり、持っていた鬼の面をかぶった。そうとも知らない男たちは、娘が鬼になったと勘違いし、小判も持たずにあわてて逃げて行った。

 

 

娘は、無事に家に帰ることができ、もちろん母も無事だった。娘は、男たちが忘れて行った小判をすべて奉行所に届けたが、お奉行様は「おまえの親孝行に免じて神様がくださったんだろう」と、すべて小判を娘に与えた。

その後、娘は母と一緒にずっと幸せに暮らしたそうだ。

 

出典:まんが日本昔ばなし〜データベース〜

イザナキノ命は、イザナミノ命と共に国生みと神生みを行なった神です。二柱の神は初めて夫婦になり、国土を作り、多くの神を生み出して、この世界に様々なものをもたらしたのです。ところが、イザナミノ命は火の神を生んだことで神去り(死ぬこと)、黄泉国訪問を経てイザナキノ命は妻のイザナミノ命と永遠の別離を交わすこととなりました。

黄泉国から戻ったイザナキノ命は、黄泉国の穢れを清めるために、日向国の橘の小門へ向かい、阿波岐原の清浄な水で禊を行いました。その際に脱ぎ捨てた衣服や洗い落とした汚れの中から何柱もの神が現われ、最後に左目を洗うとアマテラス大神が、右目を洗うとツクヨミノ命が、鼻を洗うとスサノウノ命が誕生します。三喜子と呼ばれるこれらの神の誕生を大いに喜んだイザナキノ命は、アマテラス大神に高天原を、ツクヨミノに夜食国を、スサノウノ命に海原を治めるよう命じます。こうしてイザナキノ命は、黄泉津大神となっイザナミノ命とは対照的に、地上世界の大神となる運命を背負いまた。

 

―鳥取県の昔話―

昔、ある小さな田舎の村に一人のお婆さんが住んでいた。このお婆さん、つい最近お爺さんを亡くしたばかりで、もう寂しくて寂しくて、一日中、仏様ばかり拝んでいた。

 

 

そんなある日、このお婆さんの家に一人の旅の坊さんがやってきて、一晩泊めてほしいと頼んできた。お婆さんは、お坊さんならお爺さんに有難いお経をあげてくれると思い、たいそうなもてなしをした。坊さんにご馳走を食べさせ終わると、さっそくお経をあげてほしいとお願いをした。それを聞いた坊さんは困ってしまった。実はこの坊さん、いい加減な坊さんでお経なんかろくに知らなかった。

しかしそうとも言えないので、仕方なく仏壇の前に座った。すると、ねずみが一匹、ちょろちょろと顔を出しているのが見えた。お婆さんはお経が始まるのを待っている。坊さんは覚悟を決め、声を出し始めた。「おんちょろちょろ、でてこられそうろう」するとお婆さんは、有難そうに手をすり始めた。調子に乗った坊さんは、ねずみの様子をそのままお経のように唱え続けた。

 「おんちょろちょろ、あなのぞきそうろう。おんちょろちょろ、なにやらささやきもうされそうろう。おんちょろちょろ、でていかれそうろう・・・。」こうして坊さんは一晩中このお経をあげ続け、翌朝、逃げるようにして帰って行った。

 

 

それからというもの、お婆さんは毎日このお経をあげ続けた。ある晩のこと、このお婆さんの家に泥棒が忍びこんだ。泥棒が家の中をうろうろしていると、お婆さんの声がした。「おんちょろちょろ、でてこられそうろう」驚いた泥棒は、障子の穴からのぞいてみると、「おんちょろちょろ、あなのぞきそうろう」「なんじゃ、おらのいること知ってるでねえか」「おんちょろちょろ、なにやらささやきもうされそうろう」何から何までお見通し、これはきっと山姥かなにかの家だと、泥棒が震えあがって逃げようとすると、「おんちょろちょろ、でていかれそうろう」泥棒は肝をつぶして逃げて行った。

それからもこのお婆さんは、いつも、このお経を唱え続けたそうだ。「おんちょろちょろ、でてこられそうろう・・・」

 

出典:まんが日本昔ばなし〜データベース〜

イザナミノ命は、イザナギノ命と共に天地創造神話の終わりに誕生しました。この二柱の神は地上の世界を生成した神として有名です。

古事記によると、形成されたばかりの地上世界は、まだ水に浮かぶ油のように漂っている状態で、大地はありませんでした。そこで、高天原の神々は、イザナキノ命とイザナミノ命に地上世界を作り上げるよう命じました。まず二柱は、高天原と地上を結ぶ「天の浮橋」に立ち「天の沼矛」で潮をこおろこおろとかき混ぜます。しばらくして矛を引き上げた時、その先から滴り落ちた潮が積もって最初の陸地「オノゴロ島」が誕生しました。イザナキノ命とイザナミノ命はその島に降り立ち国生みを始めます。イザナミノ命の「イザ」は誘うこと、「ミ」は女性を指す言葉。イザナギノ命の「キ」は男性を指す言葉と言われます。

こうして現在の、淡路島を初めとして、四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、本州の「大八島国」が誕生します。二柱はその後も海や川、木や山、風や霧、家や港、食物に関連する様々な神をうみました。ところがイザナミノ命は火の神を生んだときに女陰を火傷してこの世を去ってしまいます。