旅人が、建築現場で作業をしている人に「何をしているのか」と質問しました。
一人目の作業員は「レンガを積んでいる」と答えました。
二人目の作業員は「壁を作っている」と答えました
三人目の作業員は「大聖堂を造っている。神を讃えるためにね」と答えました。
三人とも「レンガを積む」という同じ仕事をしているのに、「何をしているのか」という質問に対する答えが異なっています。
一人目の職人は「レンガを積んでいる」という行為そのものを答えただけです。
二人目の職人は「壁を造っている」というレンガを積むことの目的を答えました。
三人目の職人はまず「大聖堂を造っている」という壁を造る目的を答え、同様に「神を讃えるためにね」という大聖堂を造ることの目的を付け加えています。
人間の行為は必ず「何かのために、何かをする」という構造を持っています。一つの行為の目的には、さらにその目的が存在します。「目的と手段の連鎖」と呼んでもいいでしょう。
この寓話からは、二つのことが読み取れます。
第一に、出来るだけ広く「目的と手段の連鎖」をイメージして仕事をするのが有益であるということ。一人目の職人より二人目の職人、二人目の職人より三人目の職人の方が有意義な仕事ができることは容易に想像できます。
第二に、自分の仕事は私の幸福や私たちの幸福とどうつながるかを考えることです。「目的と手段の連鎖」はどこまでも無限に続くものではありません。「・・・のために」という目的の連鎖は「なぜなら幸福になりたいから」という目的にすべて帰結するからです。
参考文献《物語は、「座右の寓話(戸田智弘)を基に一部を省略しています。イラストは、インターネット上に掲載されている無料画像を使用しています。》