花のサンフランシスコ スコット マッケンジー どうした。 | gozira hunterのブログ

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最近 YOUTUBE を見ていると、5分おきくらいに、1967−8年頃、日本でもポピュラーだったアメリカの歌 サンフランシスコ (日本名 花のサンフランシスコ)の街角動画が出てくる。この花のサンフランシスコの風景と明るい感じの歌と演奏に乗せて、スコット マッケンジーが明るく健康的に歌っているが、、この町が汚くなってホームレスが増えて、、昔とは違うよ、、というような 感じで歌と景色が流れる。

 

50年代には トニー ベネット が 思い出の サンフランシスコ を歌っていたが、、、そのずっと前の戦前か戦後がよくわからないが、日本人が作った(多分)サンフランシスコのチャイナタウン という歌もあり、ヒット した。

 

 

私自身1968年にスコット マッケンジーの歌に合わせて、念願の国といおうか、夢の国といおうか、船で横浜大桟橋から2週間かけて貯金を全部はたいて船に乗った、、、、ゴールデンゲート ブリッジの下をくぐり遂に着いたのが、サンフランシスコのフィシャーマンズ ワーフだった。最初の印象は  きれいな町だ、、透きとうるような青い空、清潔感漂うような空気、空には真っ白なカモメが飛んでいる、60年代の東京の薄汚れたスモッグの空の下に長いこと住んでいたので、もうただ感動するだけだった。船から下を見ると黒人が働いているでわないか、黒人を身近に見たのも初めてで、これだけでも 感動した。

 

 

これだ、 美しい町   花のサンフランシスコ 歌とぴったしではないか、と思って、感動の連続だった。

 

 

 

それから50年の歳月が流れた。そして 花のサンフランシスコがコロナで変わった。それともアメリカの経済が全体的に壊滅してきたのか世間ではジャーナリストやらエコノミストやらが、いろんな能書きをこいているが。

 

 

 

下の写真はダウンタウンからたったの数ブロック離れたほどの商店通り、ほとんどの店のシャッターが降りている。コロナの後遺症は、まだまだ元には戻らないようだ。

 

 

 

 

昨日、久しぶりにサンフランシスコのシビック センターの前の方にあるファーマース マーケットへ行ってみたが、車が多く駐車ができないので、ダウンタウンを散歩してみた。噂ではヒルトンホテルが近々閉鎖するそうな、周りにホームレスが多くて、臭くて汚くて、もう商売やっていられないらしい。上の写真もよく見るとゴミが散乱、ホームレスのテントも見える。ここからヒルトンまでほんの数ブロックしか離れていないしまつ。

 

 

 

 

ヒルトン ホテルのドアーは一つだけ空いていた。上の写真のドアーは閉まっていた。

 

昔は、1990年前後の20年くらいは日本人の観光客で賑わっていたんだがな〜。もうそういった人種はいない。

 

 

 

 

 

ユニオン スクエアー こんな有名なダウンタウンの一角も、歩いている人は殆どが観光客みたいだった、静かだな。

 

 

 

同じケーブル カーのパウエル ストリート 人が少いな。ガランとしている。

 

 

 

 

 

 

 

この人の集まるサンフランシスコの中心街でも、どこを見ても FOR LEASE 貸店舗のサインばかりが目についた。

上の広告などは、ケーブル カーの始発の一番賑やかな界隈なんですが、店が閉まっている。

 

それでも一度は乗ってみたいサンフランシスコ名物のケーブルカー、観光客は世界中から来ているようで、長い行列だった。ここからこのケーブル カーに乗って丘を越えて終点のフイシャマンズ ワーフまで行くのだろう。そして、そこのまずいシーフードを食いに、、なんて言ったら悪いな、観光客に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、日本から進出してきた UNIQLO の店もこのケーブル カーの走る近くでビジネスをやっていたが、今回店が見えなかったが、コロナで撤退したのかな。

 

 

 

いつまで続くやら、大変な時代に入っているのかな、世界中で洪水、火事、地震、疫病、戦争  天災と人災、誰かに仕組まれた戦争と、、。

 

それらの世界と自分の住んでいるアメリカと、生まれ育った日本と、、、なるようにしか、ならないのだろうかな。