Obituary (新聞の死亡記事)を読むようになったな。 | gozira hunterのブログ

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上の死亡記事を見た時、あっと思った。たぶんもう40年くらい前に彼に合ってお説教をもらったのは、まだ私め40歳前後くらいの歳だったような気がする。時の経つのは全く早い、人生は瞬きだ なんて諺があるくらいだからな。


サンフランシスコでガンショップを買収した頃だった。彼はATF アルコール タバコ ファイヤー アームスをビジネスとする人達を管理しているアメリカ連邦の仕事をサンフランシスコのダウンタウンにあるオフイスの、トップの位置にいた人物でした。

その中に銃の販売関係者は FFL フェデラル ファイヤーアーム ライセンスの取得が必要となります。

 

 

銃砲店は銃の販売が主ですから、その都度ロッグブックにどこで買って、誰に売ったかをきちんと書いて整理しなければならないのですが、ガンナッツのいい加減の社員を雇うと時々ミスするわけです。毎年のようにATFのオフイサーがチェックに来る。

 

日本から中古銃を輸入してる頃は1回での輸入で、多い時にはまとめて500丁くらいくるし、輸出も日本を初め、オーストラリア、カナダなどへ銃器専門のオークション会社とタイアップし組んでやっていたから、時々ロッグ ブックの付け忘れとなる。こういう事が起きるとATFから呼び出される。

 

そんな事でダウンタウンのATFのオフイスに行ったら、こんな商売をしている日本人はアメリカにはいないから、係の白人女性が、私めの顔を見て、こちらへどうぞ、、と言われて、とうされた個室に上の写真の Kiyoshi Naito さん がいたわけです。どう見ても日本から来たような感じの中肉中背の日系2世。日本語はまったく普通に喋る日本人だった。いかにも人の良さそうな感じのいい人だった。

 

高橋さん 書類をきちんとやってくださいよ。こういう事が続くとライセンを失いますよ、、、なんて言って笑っていたな。

 

 

彼の父親は仏教会の宣教師で彼はサクラメント生まれ、子供の頃は日本で過ごした時期もあり、高校はここサンフランシスコで有名な ローエル ハイスクール、大学はUCバークレーと1流学校を卒業、軍隊も招集されてアーミーのファイナンスを担当していた。

 

 

現在はベイスポが日系人の新聞の様になっているが、一昔前までは日系新聞社があり、長年それも戦前からずっと日系人がサンフランシスコにいなくなるまでやっていた 北米毎日 という新聞社があった。そこの社長もNAITOさんはしていた。まじめでインテリの人物だったのだな。

 

 

彼はクラッシック音楽を聞くのも趣味だった、、と、書いてもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アラスカから帰ってきて、ポイント バローから持ち帰った砂を、娘に頼んで買ってもらったクリスタルの小瓶に詰めて、それと海岸ベリに埋めた小さなジャヤックの遺灰が入っていた骨壷の写真などを5〜6枚添えて、手紙を書いてもらって(私めの英語では上手くかけないので)、一緒にポイント バローに行く前に死んだ友達ジャック、、、彼のワイフと母親に送る作業中に、娘は言ったな、手紙を書きながら涙がでたよ、、と。

 

 

 

その娘が作ってくれたイタリアンスタイルのビーフ シュチュー と サラダ。なかなか良くできてますな。

レッドワインと静かな良いセンスのジャズが流れていた。