アラスカで働いて永住した、ワイルドの日本人がいたな。 | gozira hunterのブログ

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アラスカにも昔から日本人が住んでいる。上の写真の左側の人、ウッデイ 小林さんは、日本の大学を卒業後しばらくしてから、子供の頃からの憧れ、、アラスカで生活してみたい、ハンテング、フィッシング、などのアウト ドアースポーツなど、アンカレッジをまずは目指して出発した。

 

アラスカ永住を決めてから50年の歳月が経った。彼は日本の経済が良かった80年代から90年代の頃は、日本からくるスポーツマン相手にハンテングやフィッシングを案内したり、日本のGUNマガジン社などから頼まれてアラスカのハンテングやフィッシングなどの紀行文などを書いて投稿していた。生まれは東京で肉屋の倅だったそうな。

 

同じ世代の日本人で銃関係の仕事をアメリカでやって活躍してたのが、アラスカのウッデイ 小林、サンフランシスコのアンデー 高橋(自分のこと)、テキサスのターク 高野の3人が本格的に、このビジネスで生活していた。3人とも日本へ帰らないな。

 

かわり種だが、アラスカに トラッパー伊藤 という日本人がいるそうな。名のごとくトラッパー(罠)を仕掛けて獲物を取り、その毛皮を売って生計を立てていたそうだが、近年毛皮が売れないので、観光ガイドなど時々やっているらしい。現地のアラスカ ネイテーブの女と結婚して、日本には帰らないらしい。一度あってみたいものだな。

 

 

 

 

 

アラスカは他の州と違って川や湖が多く、道路が少ないので、川を産卵期にサーモンが海から、あちこちの川へ産卵するために川が溢れんばかりに登ってくる。そこえ上のようなフロートの付いた飛行機で川の上に降りたり、登ったりして、魚を釣る。アラスカのスケールは広大なのだ。また地上の滑走路のない砂利道や荒野にはデカいタイヤの付いた、短い滑走路からでも飛び立てるブッシュ プレインがここでは活躍しているが、危険がいつも付きまとう仕事で、小林さんの話によると。彼がハンターを案内してから知り合った数十人のブッシュ パイロットのうち半数近くが事故で死んでいるそうな。

 

 

 

 

 

 

 

6月半ば、アンカレッジ空港の外は寒くはなかったが、周りの山々はまだ残雪が残っていた。

 

 

 

 

 

アンカレッジとフェアーバンクス間のデナリ 国立公園に沿って走る観光列車。天井もガラス張りルームがあり、レストランも備えていて食事をしながらゆったり走る。10年ほど前に乗ったことがある。なかなかいいムードの電車だったな。

 

 

 

 

100年前の??すごく頑丈にできている、雪カキ列車が、陳列してあった。

 

 

 

 

フリーウエイを走っていたら、なんと、めったにお目にかかれない ダール シープが断崖絶壁の隙間をグループで歩いていた。このシープはハンテング ゲームだが値段が高くハンターの憧れの獲物のひとつだ。

 

 

 

 

 

 

小林さんの案内で、アンカレッジの有名なレストランへ連れて行ってもらった。

サーモン、ラムのスペアーリブ、アサリのソテー、イカのフライ、パスタ? など、小林さんの奥さんおすすめメニュー。

 

 

 

奥さんの父親はJALのパイロットで、奥さんはアンカレッジの学校を出てから、ここで仕事をしていた時に小林さんと知り合い結婚したそうな。1人娘はアラスカ高校の時、ライフル射撃大会でアラスカ州チャンピオンだった。乗馬が好きで、いっとき自分の馬を持っていたそうな。今ではコロラドに移って大学院にいっている。アラスカ的生活ですな。

 

ちなみに、うちも娘が2人いるのだが、まったくスポーツはしなかった。柔道か空手の選手になってもらいたかったのに。こればかしは思うようには、いかないもんでした。

 

 

 

 

 

 

 

アラスカはホテル、エアーポートなど、デカいアラスカのポーラー ベアー(白熊)やブラウンベアー や上のムースの剥製があちこちで見られる。