オールド ダイバー ホンジュラス。 | gozira hunterのブログ

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ホンジュラスの Roatan Island は世界ベストNo2の ダイビング スポットである。ちなみにNo1はオーストラリアのグレイト バリア リーフ と言われている。

 

 

 

 

今回の旅では長年、ほんとうに長年、一度ここに行って潜って見たかったが、月日は流れに流れて気がつけば、もうスキュバ ダイビングを中米のロアタンまで行ってダイビングをしようなんていう気にもなれなかった。まず一緒に行く友達もいないが、今回はヱル サルバドルに友達ができたので、中米3ケ国が身近なものとなった。それまでは東南アジアのタイやフィリッピンで旅の途中ダイビングをしていた程度だった。

 

ダイビングを始めたのは日本で、もう半世以上前の話で19歳の時だった。21歳の時に潜水士というプロのライセンスも取った。

当時試験の会場が 水産大学内 だった。この頃海外へ行くのには本当に難しい頃であったので、なんとかして当時60年代の貧しい日本経済の頃、粗衣、粗給、粗食、の生活から脱出するのには、外国へ行くしか自分には方法が見つからなかった。遠洋漁業のマグロ船に乗りたい、金になるし、世界が見られる。しかし船に乗るコネなどまったくなかった。そんな中で日本の大手オイル会社が、中近東の、今では会社の名前も場所の名前も忘れたが、  日本人の水中作業ダイバーを募集している、、という話があり、友達の相棒が当時大学生であったが、水中溶接などの仕事を習い始めた。この仕事は金になる。普通の労働者の約10倍だった。当時大学出のサラリーマンの月給が2−3万円だった頃。中近東へ行けばダイバーは朝1時間、午後1時間水中作業をして20−30万円だった。現在なら200万円−300万円の月給というところだろう。

 

 

 

 

 

やっと希望の海外へ、しかも金になる、しかし、なかなかゴーのサインがおりなかった。若い頃はのんびりと気楽に待てない。他の友達の1人が1966年船で半年かけてアメリカ大陸を横断旅行をして日本に帰ってきた。そして彼からアメリカへ行けば、レストランで働きながら学校へ行って英語の勉強ができる、、と、それを聞いてすぐに行動を起こした。とりあえず横浜大桟橋から船に乗って片道切符と500ドルを握りしめて、2週間かけてアメリカへ、着いたところがサンフランシスコだったというわけでした。
 

しかし、アメリカに来てからは学校と仕事で、しばらくはもう、ダイビングをするの余裕など全くなかった。

 

 

ちなみに、一緒に中近東へ行って一緒に仕事をする予定だった仲間は、私めがアメリカに立った半年後に念願の仕事が取れて、2年契約を2回計4年間中近東で海中作業の仕事をした。金をしっかり稼いで日本に帰ってから、潜水作業会社を設立した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヱル サルバドルでサーファー ペンションを経営する三郎さんに、ヱル サルバドルからダイビング スポットのあるロアタン島までの、パッケージ ツアーで、 エアー(ヱル サルバドルからロアタンまでフライト時間は約1時間)、ホテル4泊をとってもらった。合計約900ドルだった。ダイビングは1本40ドル、レンタルウエットスーツが1日5ドルと、けっこう安かった。4日間、4本ダイビングした。

 

 

 

 

 

 

 

 

上の写真の右がダイブ マスターかな、カナダ人、ロアッタン島に永住して、海底案内をしている。彼いわく私めが彼のお客さんで、いままでで一番の年配者だといっていた。そして一緒にダイブした他の彼のダイバー客にもそう言って紹介していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回のダイビングで、ここロアタンで海底散歩している人達の殆どがすべてがマッチロイ肌をした白人ばかりだった。聞いてみると彼らはカナダ人で東海岸のトロントからだった。オレ達のような考えでは、カナダと中米? すごく遠いところだなーと想像を単純にしてしまうが、なんとカナダのトロントからいっきに南下して約5時間飛ぶと、ここホンジュラスに着いてしまうのである。だから、ここでバケーションを楽しんでいる若いカップルも、リタイヤ―したオールドカップルも、ほとんどがある程度の金と暇のある白人のカナダ人、、ということになるのだった。これにはすこし驚いたな。アメリカ在住の日本人が、ここアメリカの西海岸からハワイに行くような感じだった。

 

 

 

 

 

写真には取らなかったは、すごいデブの腹の出っ張った50年配の男、、、相撲取りのような250ポンド(120キロ)くらいのがいたので、見学だけかと思っていたが、同じくデブの彼のワイフと一緒にダイビングをしていたのには参ったな。ウエットスーツはもちろんオーダーメイドだろう。でも水中ではふわりふわりと普通にみんなと一緒に泳いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここの スプラッシ インが経営するホテルとダイビング サービスに泊まった。なんと、ここの経営者はパウロという名の、日系ブラジリアンの男だったな。残念ながら彼のラスト ネイムを聞くのを忘れた。

 

 

 

 

 

はい今日も1日ダイビングご苦労さんでした。ビールでも飲んでリラックス。さすが世界第2位のダイビング スポット 結構な海底の眺めでしたな。