アメリカでしぶとく生き残っている日本人達、ハハハ。 | gozira hunterのブログ

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先週のこと、ここサンフランシスコで元旅行社を経営していた日本人やそこで働いていた人達の新年会(かなり今年は送れたが)をやった。これが忘年会になる年もある。今回集まったのはたったの15〜16人だった。毎年このグループのオルガナイザーをしている人が、たった10年前のメンバーのリストを見せてくれた。それをみると、なんとたった10年前にはまだメンバーが50人近くいて、この頃は毎年40〜50人集まり、フィッシャーマンズワーフのレストランの部屋を貸ぎり賑やかに皆元気よく明るくやっていた。今回集まったメンバーは数人を除いてみんな70年代の歳になっている。そしてこの歳になってもまだ働いているのもいる。50数人のリストの中にはすでに他界したメンバーも5〜6人いたし、病気などで参加できない人達からも連絡があったようだ。

 

最初の会った頃は、みんなけっこう突っ張っていた20代半ばの青年達だった。まったく月日の立つのは早いもんだと痛感する。

 

 

 

もちろん60代くらいで仕事を辞めてから日本へ帰った夫婦も多い。これらはある程度の資産もあり、子供たちもアメリカで育ち独立して生活しているので親達は日本へ帰り家を買ったり、マンションを買ったりして老後の日本の生活を楽しんでいるようだ。その逆もいる。いろいろと紆余曲折があり、気がつけば老人となり1人でアパートに住んで、毎日のように酒でも食らっているのもいる。もう日本へは帰らない。そういう人達の延長のように、独り身の長年の知り合いがひっそりと死んで、最近葬式に行った。

 

若い頃米国に来て、学校へ行ったり仕事をしたりしてしばらくここで、やってはみるが結局この国で生活していく自信がなく日本へ帰る、、、というのがほとんどだろう。要するに環境に順応できない日本人の若者たちだ。それでもチャレンジするだけでもまだマシなのだが、最近はなんか日本から来る若者があまり見当たらない。昔は日本レストランで働きながら学校へ行っている日本人の学生がどこのレストランにもいたもんだった。

 

こんな昔話をしても、つまらないかな。そうかもしれん。半世紀も前の話だから、時代が違うのかも知れない。

 

 

 

それでも一言つけ加えると、上のパーテーやってる親父どもは、まったくゼロからスタートした連中ばかりだから、根性はあるのだろう。米国に来た頃はまったく金もない、英語は喋れない、読めない、書けない からのスタートでしたから必死に働いた。

 

今日のレストランは、なんとプレシデオというミリタリー ベースのあるところ。ここは第二次世界大戦の頃、日本軍向けの情報機関のあった建物ですが今でもそのまま残っていて、その中にあるメキシカン レストランでした、けっこうセンスのいい店で屋外、もう誰もマスクなどつけていませんでした。

 

 

 

 

私がオーダーしたのは チリ レアーノ チリの上になんかよくわからないが、クリスピーのチーズと小麦粉を練って油で揚げたものかな、珍しいチリ レアーノでした。

 

写真は取らなかったが、ドリンクは メキシコのコロナ ビール。コロナが流行ってから、このコロナ ビールは誰も買わなくなった、、、なんていう冗談がいっときはやったようです。