オーマイガー、自分が書いた本が、日本で39,800円。 | gozira hunterのブログ

gozira hunterのブログ

ブログの説明を入力します。

 

 

 

日本の友達から連絡があり、高橋さんの書いた中古本が現在39,800円の値段がついてるよ〜、、と。冗談だろう、、いやホントだよ、上の切り抜きがそうです。

 

この本は60歳の時、還暦を迎え、人生の一つの節目ということもあり、本を一度は書いてみたかった。1980年代から1990年代の日本経済がダントツに良い時期、アメリカできりできない、拳銃&ライフル射撃ツア―がブレイクして日本の若者達が毎日のようにツアーに参加していた。会社名は ゴールデン ウエスト スポーツ ツアー社。この会社は射撃ツアーとアラスカ、カナダ、アメリカでハンテング案内とメキシコのマーリン フィッシングのツアーをやっていた。

 

その頃、日本からくるお客さんたちが、あなたの話はとても面白いから、本を書いたらいいですよ、、なんてよく言われたので、その気にもなっていた。そこで50歳の後半の頃からぼつぼつ書き始めて(手書き)原稿用紙を積み上げた、そしたらワープロでうってくれ、、と言われて、やったこともないワープロを勉強して、そしたら確か、デスクにしてくれ、と。専門家を頼んで原稿を校正したり、こんな事を書いたらマズイです とか、、、なんだかんだと本を出すまではいろいろと、初めてのこともあり大変だった。

 

最初は自費出版する予定だったが、当時かなり売れていた 月刊GUN誌 と長年の付き合いだったので、そこの社長が毎月特集記事で2年間出してから本にします、と言ってくれた。GUN誌がスポンサーになり出版にこぎつけた。原稿料はなし、原稿料の代わりに500冊もらったので、射撃ツアーに来るお客さんに1冊20ドルで売り、センセイのサイン入り あっという間に全部売ってしまった。

ちなみに出版元は2,000冊売れると元が取れるのだそうだ。

 

 

これは本のバックのイラスト。場所はユタ州の荒原地帯、ここでアメリカ大陸横断鉄道の線路工夫をメキシカン労働者達と一緒にクソ暑いデザート(荒原)でひと夏働いた。ユタ州オグデンの町で買った散弾銃を仕事が終わると誰もいない広大なデザートに分け入って大型で足の長いうさぎ(ジャック ラビット)のハンテングをよくやっていた。だれもいない地平線の続く原野 狩猟ライセンも無い ゲームワーデンもいない。動くものは、うさぎでも鳥でも、なんでもブッ放していた。その風景を自分でだいたいのイラストを書いて、絵を書くのが得意な我が弟 トランペッタの 芸名 タカパーチ に描かせた。彼は日本でたった1人の 人間ジューク ボックの大道芸などを中心に、いろんな音楽活動をしている。

 

特徴をよく掴んでいるな。それにしても筋肉もりもりはいいが、足がやけに短いな〜。

 

 

 

 

最後に本ができあがるときに、推薦文を映画監督の 押井 守さんに書いてもらった。

彼が毎年映画を作るため、ここベイエリアにあるジョージ ルーカス スタジオ に来た。。そこで特撮の仕事をしていた。押井さんが日本から連れてきた、特撮グループの送り迎えや、食事の案内などを私がやっていた。

 

押井さんの制作した映画の中の銃撃音を録る仕事では、日本ではできないので、こちらの広大な射撃場と話をつけて、動かないボロ車を買ってきて、銃弾をいろんな口径の拳銃やライフル銃でボデーをバリバリ撃ったり、ウインドーのガラスの破片が飛び散るシーンや、はたまた銃弾が肉に突き刺さる音を録るために、最初は牛の足を1本買うことにしたが、値段が高いので、安い豚の足付きを半身にしたのをチャイナ タウンで買ってきた。それを材木を組んで縛り付けて、これもまたブスブスを銃撃、はたまたマネキン人形に防弾チョッキを着せて撃ってみたり、まったく鬼才といわれる押井さんと一緒に映画の仕事を手伝うのは本当にエキサイトした。とてもいい経験でした。そんなわけで彼のヘルパーを長いことやっていた。これだから彼の作る映像は本物なのです。

 

 

仕事が終わった後に、この銃弾を撃ち込まれた豚の半身を大雑把に切り分けて家に持って帰った。家だけでは食いきれないので、友達の日本人に電話をしたが、誰もいらないという。小さくスーパー並にカットしてあればもらってもいい、、、と、どうにも日本人はデッカイ料理はだめだな。ハンテングでもやっている人なら問題は無いのだが、日本人はゴルフくらいきりやらないのが多い。それでも沖縄から来て旅行社で働いているのがホイホイとやってきて10キロくらいの豚肉チャンクを持って帰ったな。残りは全部我が家で処分した。豚料理の日々がしばらく続いた。

 

そんなわけで、押井 守 さんに頼んでブックの帯を書いていただいた。