元世界チャンピオンが残していった遺品整理の数々。 | gozira hunterのブログ

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1988年、長年全米ピストル ラピッドファイヤー射撃のチャンピオンだったここカリフォルニア州はストックトン生まれの

ボブ チャオ という中国系アメリカ人がいた。この業界では有名な男だった。彼のやっていたサンフランシスコのガンショップを建物ごと彼から買い取った。

 

彼は1948年のロンドン オリムピックアメリカ代表で、ブロンズ メダルに輝いた男だった。

 

そのおびただしい数々トロフィーのうち、50くらいを残していったので、彼が去った後もずっと私めの手元に残しておいた。

 

 

 

ちなみに私の会社名は高橋をとって、 HIgh Bridge Arms Inc  ボブ チャオから受け継いでから2014年までビジネスをやった。最初うちのお客さんは、海面から高い位置にある ゴールデン ゲート ブリッジやベイブリッジから名前を取ったと思っていた。

 

この私の会社がやめた時、これが最後のサン フランシスコのガンショップとなり、この銃社会のアメリカのこと、地元はおろかあちこちのアメリカの新聞社や外国の イタリアやブラジルや日本からも共同通信というメデアも日本人女性記者がニューヨークから取材に来ていた。新聞、テレビ ニュースにもなり、時の人のような感じで、インタヴューに応じていたな。アメリカの大都会でガンショップがなくなったのは、珍しい事なのでした。

 

 

そうです、もうここ、サンフランシスコには、ガンショップはありません。

 

 

 

 

 

 

その他、古いホルスターやブーツなどは、ガンショップをやっていた時の残り物も取っておいた。

 

このブーツなどは足が小さめなので多分、イギリス軍の女性将校が履いていたような説明の書いたカードがついていたが、乗馬用のブーツかもしれない。これなどは昔このサンフランシスコ周辺で盛んにやっていた ガン ショー があり、銃の展示即売や、いろんな銃関係のアクセサリーなどが毎週のようにベイエリアのどこかで盛んにやっていた、のんびりした良き時代だった。

 

 

 

 

 

古いホルスターなども出てきた。

 

 

 

 

上のものはブレット モールド 鉛を溶かしてこの道具の中に入れて型を取る道具。多分60年−70年経ったもので、アメリカ製、現在はこれを造っていた会社は製造をしていない。全部ピストル用の弾頭を作る道具。

 

 

今回、日系の運送屋に持っていって問題になったのがこの道具。銃関連のものは送れない、、と。だが日本の経済産業省の輸入の許可を取れば送れるでしょう。なぜなら長年銃やいろんな銃に関連のある道具類を日本へ送っていた、ビジネスの経験があるからです。

 

弾(AMMO)は弾頭、薬莢、火薬、雷管と銃弾を作る道具がなければ、作れません。(専門的用語になるが)。

 

 

日本にこれらを送る友達は銃は持ってませんので、この色々の型がとれるウエイトの異なるモールドで、いろんな型をとり、なにかのアート作品を作るか、釣りのウエイトに使うアイデアでした。

 

 

 

とにかく、もう昔から日本国は銃関係には厳しくなるばっかしで、アメリカでは小学生でも買える空気銃も日本では、20歳になり警察指導の講習を何日か受けて、テストをして合格してやっと買って良いという許可がでるお粗末。銃砲所得の許可が厳しいので、若い人は射撃や狩猟をやらなくなった。その結果どうかというと、日本の山々や畑はイノシシや鹿が増えすぎて農作物が荒らされたりの被害続出、日本はアメリカと違って銃の犯罪など微微たるものなのに。

日本国もいい銃を戦後たくさん造ってアメリカにも輸出をしていたが、日本の銃所持が厳しくハンターや射撃人口が年々激減したので銃のメーカーは倒産、現在スポーツ用銃を造っているのは数社のみとなってしまった。馬鹿げた日本国の行政だ。

 

ちなみに、日本以外のアジアではチャイナ、コリア、ロシアなども、今でもろくな射撃や狩猟用銃は造れない。アメリカを筆頭にドイツ、イタリア、ベルギーなどは未だにいい銃を造っている。

 

 

平和で優しい、物価も安い、いい国 日本もいいけど、なんか規制ばっかりじゃ〜日本国は萎縮するばっかり、どうにも情けない。

 

 

アメリカで銃の仕事を足掛け40年やった、私めの感想でした。多分私めが日本人では、アメリカで最初で最後のガンビジネスマンでしょう。