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ほんわか循環する生活

そんな社会に行くためのメモ書きのようなブログです

脅しの論法

 

たぶんこんな用語はありません笑

私が勝手に使っている言い回しです。

 

 

「そんなこと言うならな、もう迎えになんか行かないからな」

父が母と喧嘩したときに、よくやる論法です。

もっと言うと、幼少期から私たち子どもが父にやられていた論法です。

 

綺麗な表現をすると

Aをするなら、その代わりにBを取り上げます。

なので、Aをしないでください。

ということです。

よく小さい子どもを育てているお父さんお母さんがやる論法です。

Bには漏れなく相手の大事なものが入ります。

時には相手にとっての致命傷になるものだったり、生命を脅かすものであることもあります。

 

 

「そんなこと言うならもう出て行け」

これくらいならどの家庭でもあるでしょう。

 

「そんなことならな、父さん死ぬわ。父さんなんか死んだらいいんだろ」

どこの依存彼女かよな発言ですが、うちの父が子どもらに言った発言です笑

何度も言われてどの時期かも覚えてないですけど、確実に小学生時代もあったはずです。

 

今ならあれは虐待だったなあという事案はいくつかありますが

兄や弟がそこまで毒されずに(それでも心の傷にはなったと、妹、姉ながらに思う)素敵な男性になったのはすごいなあと思います。

 

 

奇しくも心理学の学部と院を卒業し、子どもに関わる仕事で虐待家庭もそれなりに見てきたので

大人になった私は、武装ができるようになりました。

父母と同居するにあたって、また脅しの論法を使われることがあったら

心の中に住んでいる子どもの頃の私を守るために戦うぞと。

 

 

しばらく前に、ワクワクくんの件でまた家族内で紛争が勃発し

「そんなことならな、父さん出てくわ。父さんが出て行けばいいんだろ」

と始まりました。夜中の23時です。

後述の理由で、少し記憶が飛んでいるのでどんな言い争いになったのかは覚えていませんが

また脅しの論法が始まったなと冷静な大人の私と、感情をグラグラ揺らされる子どもの私が出てきました。

 

父を説得し、なんとか出ていくのは阻止できたものの、

心身のエネルギーがごっそり持っていかれ、翌日は意気消沈し、静養するしかできませんでした。

なので今となっては、どんな論争になったのか思い出せません。

思い出したくもないのでしょう。

 

 

エネルギーパンパイアってたぶん本当にいます。

 

 

あの日、私は父ではなく、目の前にいない別の何かに自分のエネルギーをごっそり持っていかれたのを感じました。

心身のあまりの消耗具合に、もうこういうことはやめようと思いました。

 

 

 

今、色々なところで分断が起きています。

さまざまな抗争や口論も起きています。

ですが、対決するのは、彼らの土俵に上がるということです。

彼らが最も喜ぶ手段なのです。

分断や対決が起こることすらも意図された騒動なのです。

 

対決することで、対立関係にある両者ともが結局は彼らにエネルギーを与えてしまうのです。

それは一方通行なエネルギーの搾取で、循環ではないのでしょう。

 

 

それも一つの素敵な体験かもしれませんが、私はもうその遊びはやめようと思いました。

土俵にも上がらず、観客にもならず、

そっとその場所から離れて別の楽しい遊び場へ行こうと思います。

 

 

対決以外にもきっと道はあります。

それしかないと思わされているだけなのです。

 

この社会がおかしいと思うなら、彼らと同じルールで戦わない方がいいのです。