高校生くらいの頃、よく考えていたこと。
当時一緒にいた友達2人とは、家庭環境が見事にバラバラでした。
父親がもう亡くなってこの世にいない友達、父親が再婚した友達、
そして精神不調に陥って休職中の父親のいる私。
他に置かれた境遇が似ていたので、共通項の話をよくしていたけれど
一緒にいて家族の話題をしなくていいのが居心地良かった覚えがあります。
「父親はいた方がいいのか、いない方がいいのか」
彼女たちの状況もそれとなく知る機会があり、
当時は「父親らしいことのできない父親はいない方がいい」と本気で思っていた気がします。
私の父には申し訳ないけれど。
自分のことでいっぱいいっぱいな人に、父親的役割は望めるものではなかった。
それに、うつ病の家族がいるという状況は
高校生の私には上手く処理できない事柄でした。
働かないで1日中家にいて寝てばかり。無気力で怠そう。
どこに地雷があるかわからないから、何と声をかけていいかわからない。
これを家族外の人にどう説明していいのかわからなかった。
一応、進学校に通っていて、日々の課題や講習をこなすのに必死で
うつ病と言うものを学ぶ余力もなかった。
今のようにネットで何でも調べられる時代でもなかったですしね。
今はどうでしょう。
父親らしい役目って?父親って?と考え出すとキリがなくて
すぐに問いへの回答を放棄してしまいます。
だってそれ以外にたくさん考えたいこととか、調べたいことがあるから。
あとは理想の父親像というのが、そもそも間違えてるかも?とも感じるから。
父親だけに、そして母親だけに
養育者や保護者的な役目を求めるようになっている社会構造自体がおかしいんじゃないかなって思うから。
もちろん、日々子育てに真剣に向き合っておられる方々を非難するつもりはございません。
合う合わない、向く向かないってあると思うのです。
だから子どもの生まれた男性全員が自動的に父親的役割を、
女性全員が自動的に母親的役割をこなさないとならないシステムがおかしいと思う。
もし高校生の私と話すことができるなら
「まあ仕方ないね、残念だけど期待するだけエネルギーを無駄に消耗しちゃうね。
それよりも外に自分の好きなことを見つけに行った方が人生面白いよ、楽しんで来なよ」と言いたいな。
でも、高校生の私は納得するだろうか。たぶん無理じゃないかな笑
なので、父親という括りではなく、
「自分を大事にしてくれる人ならいいけど、大事にしない人なら期待しない方がいい」
「自分と合う人とは一緒にいていいけど、合わない人とは一緒にいない方がいい」
これが今の私にとってベストアンサー。