毎年一回この独演会は開催される。開催者は3年生存率5%と言われる小細胞がんを克服し、抗がん剤の後遺症に悩まされている人物だ。樋口さんと言う。彼のキャッチフレーズは「笑いは最高の抗がん剤」。学生時代は落研、社会人になり、東レに在籍したがここでも、趣味として演じ、全国社会人落語選手権で優勝したことがある。

 この会を知ったのは平成17年の春に、中咽頭がんの手術で2カ月入院したときだ。家内がある新聞の夕刊を持参し、こんな記事が載っていると渡された。読んでみると年に一度、がん患者と家族だけを招待し「いのちに感謝の落語会」を開催して、患者と家族を勇気づけている樋口さんを紹介していた。

 5月に退院してすぐに新聞社宛てに、この会に入会したいのだがどうすれば良いか問合せの手紙をだした。すると樋口さんから書簡が届き、家内と私を勇気づける言葉と、今年は9月に開催するので所定の手続きを来場して欲しいと記されていた。

 直接返事をいただき感激し、もちろん当日は会場に行った。会は深川江戸資料館・小劇場で、全国から会員が集い、入口で樋口さん夫妻とボランテイアの方々が迎えてくれ、あまりの盛況にびっくりした。まず夫妻に名乗りをあげ、招待いただいたお礼の挨拶をした。午前と午後の二部制で、私は午後の部3:30~だった。樋口さんの高座名は「羽太楽家 はじ鶴」と言い、協賛者は毎年変わらないが、柳家小三治の門下、喜多八(三三の兄弟子)他、鳴物まであり本格的だ。中入りの前後に「はじ鶴」さんは演ずる。

 それともう一つ楽しみがある。跳ねた後、老舗のどぜう屋、深川高ばし「伊せ喜」で、どぜう鍋に舌鼓を打つことだ。昨今の健康状態から、この小さな幸せをいつまで味わえるか、はなはだ心許ないが。

 今年の会は9月12日(日)で、あいにく五十三次とぶつかってしまった。幹事に欠席の連絡をした。

 樋口さんはメデイアにもたびたび登場しているので、ご存知の方もいるかと思いますが、1952年生、42歳のときに悪性の肺がんを発症。右肺の1/3を切除。手術前に二度、手術後に三度の抗がん剤治療。入院生活は八カ月、自宅でのリハビリを五カ月、現在も抗がん剤の後遺症と見られるしびれで、両手足は感覚がない。著書も「いのちの落語」「生きてるだけで金メダル」他多数あり。興味のある方は「樋口強」で検索してください。

9/10 だぼはぜ

 いつ雨が降ったか記憶にない。とにかく晴天が続く。こんな日は午前中に

出かける用事を済ますか、家の周りの草取りをしてたっぷり汗をかき、水の

ような風呂に入る。午後はクーラーを利かせ新聞を隅々まで読む。読むほど

暗鬱となる。昨年の今頃の昂揚感は何だったのか。

 変哲がない毎日の気分転換に上野で「誕生!中国文明」展を観た。3千

年昔の工芸技術に驚嘆。古代の中国は実にミステリアスだ。その後、渋谷BUNKAMURAで「ブリューゲル版画の世界」展に回ったがこちらは若者で

随分賑わっていた。細密な作品なので静かに鑑賞したかったが、無理だった。

また、開港1年目を迎えた富士山静岡空港を見学する機会があった。神奈川

県民としては生涯訪れることがないと思っていたので参加してみた。空港に

1時間滞在する間、着陸機は韓国からの1機のみ。夏休み中とあって子供連れ

の見物客がいたのがせめてもの救いだった。維持費の赤字年間5億円は県が

補填するという。県民の血税だ。それでも必要な空港だったのか。余計なお

世話だが。酔いどれ仲間の五十三次ウォークは炎天下を2回も歩いた。みんな

元気一杯だ。

 先月から出産のため我が家に来ていた次女が市立病院で、無事に男の子

を生んだ。わが夫婦にとっては二人目の孫である。健診等のためしばらく家

にいることになる。しばらく賑やかになりそう。(克)

 正月に兄弟姉妹が集まったとき、アメリカの会社に転職する弟が「落ち着いたら遊びに来て」と言った。転居の挨拶の「お近くにお越しの節は・・・」くらいに思ったが、姉と妹は、半年たったらもう落ち着いたと思ったのか、それぞれ娘を連れて出掛けた。私も誘われたが、ビジネスでしかも単身赴任の弟を思い遠慮した。ビデオなど見せてもらい、遠慮したのを悔いた。もし一緒に参加していたらこの月記帳ももう少し華やかな話題が書けたろうに。

 さて、五十三次ウォークは庄野、亀山、関まで歩いた。鈴鹿の山並みを眺めて、いよいよ次回は鈴鹿峠越えかと武者震い。京都は近い。もうひとつの五十三次は今月2回歩く予定だったが、連日の熱中症のニュースにビビったのか2回目は中止となった。炎天下や土砂降りの雨の中を歩いて初めて達成感が味わえるのに。

 暑さは苦にならないが、この時期、出掛けたくなる展覧会も無い。だが横浜そごうの鴨居玲展は日動画廊の長谷川智恵子氏のトークショウがあったので出掛けた。没後25年のこの画家の人気は少しも衰えない。作品を一手に扱っていた長谷川氏の話は彼の私生活に触れて面白かった。この日午前中、近代文学館で開高健の世界展を見た。10代の頃、貪るように読んだのがたまらなく懐かしい。鴨居玲は睡眠薬をウイスキーで呷って帰らぬ人に。開高健は晩年グルメ作家として知られるようになったが、彼も若い頃はトリスウイスキーの宣伝部で活躍していた。ウイスキーは鴨居と開高二人を語るのに避けられない共通項だが、もうひとつは二人とも58歳で亡くなっているのに気がついた。

 南足柄で柳家三三の落語を聴く機会があった。9月には小田原でもやるという。更なる精進を期待したい。

 この稿を書こうとしたらPCの電源が入らない。修理には2週間はかかるという。「私の月記帳」も前月で終りかと思ったが、念のため古いPCのアダプターを繋いだら作動した。アダプターの故障に気付かずPCを使用し、バッテリーを使い切ってしまったらしい。多分2・3名しか読まれていないだろうこの雑文もどうやら繋ぐことができた。(克)