月ごと酔夢譚望外編
ゆく年くる年
わずか10坪に満たない小さな家庭菜園だが、自分で野菜作りを始めてみると意外と管理が大変とつくづく実感している。
数年前、小田原北条五代祭りの武者行列を見るため、大工町通りを歩いていたら、銀行の駐車場の一角に鉢植えの蚕豆が置かれていた。あまりに実が立派なので感心して見ていると、近くにいた係員から「これは生ゴミから作った堆肥で育てたものですよ」といわれた。堆肥の作り方は簡単で、必要な基材は市が提供するから取り組んでみませんかというので、数日後、近くの支所で行われた説明会に出かけてみた。鉢植えやプランターでの栽培なら自宅でも野菜作りができそうだと興味が湧いた。
各家庭で生ゴミを処理するようになれば、現在焼却のため使用される重油代が、年間で数億円も節約できるのでこの制度を是非普及させたいと、そのとき、市の職員から説明された。我が家には野菜作りができるような畑はないが、プランターでならできそうなので早速堆肥つくりに挑戦してみた。家の隅の雨がかからないところで、ダンボール箱に基材と称する米ぬかとおがくずを入れ、そこに台所から出た生ゴミを入れてかき回しておくだけのことである。時々、天ぷら油の廃油を混ぜると醗酵による熱で虫も湧かないという。基材は定期的に支給されるので、新しいのが届いたら、古いのはそのまま放置しておけばいい。自然にさらさらの堆肥が出来た。
残念ながら野菜作りの知識が無いので、とりあえず植木の根元などに埋め込んでいた。しかし堆肥の効果を知りたくて、いつかは家庭菜園を借りて野菜作りを本格的にやってみたいと思っていた。
わが蓮正寺地区には家庭菜園があちこちにある。自宅では堆肥を処理するスペースは無いので、思い切って酒匂川近くにある家庭菜園の地主を訪ね、空いている1区画を借りることにした。非力だから鍬もスコップも小さめのものを用意した。ビーバートザンから苗を買ってきて植え、雑草を刈り、水を運んで苦労したあげく、食卓に並べられるものが収穫できたのはミニトマトとゴーヤと茄子だけだった。知識が無いのは周りの人が助けてくれた。
曰く「連作しないように」「この茄子は水を与えすぎて根腐れしている」「韮は早めに刈れば次に柔らかい葉が伸びて食べられる」「サヤエンドウには霜よけに笹を回りに立てよ」「肥料を買うならJAが安い」などなど通りがかるたびに声をかけてくれるのはありがたい。多分内心では、何も知らないのだなとあきれているのだろう。
スーパーにいくと野菜の値段が妙に気になり始めた。苗と肥料代を計算すると野菜作りは随分と割りが合わないと感じながら、それでも畑に足を運ぶのは自分が育てたものが確実に成長して行く過程が目の当たりに出来たからだろう。
もうひとつには、家に閉じこもっているのに比べて気分転換が図られたことか。
家庭菜園からは富士山の雄姿を眺められる。特に冬の富士は素晴らしい。そして手前に箱根連山がたおやかな稜線を連ねる。その東側には矢倉岳が美しい姿を見せる。金時山は隠れて見えないが、矢倉岳に続くなだらかな尾根は多分足柄山だろう。9月、古稀を迎えて体力を試そうと自宅から金時山を目指して歩き、帰路、道に迷い、山の中で一晩を過ごしたのはあのあたりだったのだろうかと鍬を持つ手を休めてながめたりする。どのあたりで道に迷ったのか、もう一度、同じ道を辿って検証してみたかったがいまだ実現していない。
さて今日は大晦日。一年を振り返ってみて自分にとって一番大きな話題が家庭菜園での野菜作り挑戦とは、なんとわびしい日常かと慨嘆する。
新聞を開くと、アベノミクスという活字が毎日躍っている。これにも縁が無かったなと嘆かずにはいられない。数年前、証券会社の営業マンに電話で勧められて投資信託を買ったことがある。「これからは新興国・BRICsの時代です。どこもインフラ整備で資金需要が活発だから、高配当が得られます」という。定期預金金利が馬鹿馬鹿しいほど低いので、分配金でときどき小旅行が楽しめ、サラに孫との食事代ぐらい手にできればと、言われるままにブラジルレアル建て投信を購入した。ブラジルはサッカーのワールドカップやオリンピックで景気がよさそうに思えた。確かに収益分配金は毎月振り込まれてきたが、実際には運用は芳しくなく、さらにその後の急速な円高によって資産評価が急落。大幅な損失を蒙ってしまった。この商品には、同じような高齢者が、虎の子をはたいて投資して、思惑が外れて損失を出し、証券会社の苦情が寄せられていると新聞で読んだ。
投資信託は元本が保証されていないことなど、承知しているから文句は言えないが、為替リスクの怖さを骨の髄まで身に沁みた。結局、泣く泣く解約して別の国内の投信に乗り換えたが、それも冴えない展開のようだ。その後、アベノミクスによって急激な円安となり、外貨建て投信もあのまま所有していれば損失は取り戻せたのだと思えば悔しい。野菜作りも資産運用もその道の練達者には敵わないと得心せざるを得ない。
まあ、この1年、気ままに好きな芝居が観られて、気楽に知らない町のウォ―クを楽しみ、気のおけない友人と酒を酌み交わすことができたことは恙なく古稀を迎えた自分にとって望外の幸せといわざるをえない。
それ以上、欲を張ろうとは思わないが、できれば新年は読書の時間を作りたい。これからも毎年、そんな思いを繰り返しながら過ぎていくのだろう。
「月ごと酔夢譚」もいよいよ最終章。他愛のない雑文、ご愛読くださいまして本当にありがとうございました。(克)