辰年にベン・シャーンを見る
昨秋のこと、小田原の駅前でチラシを受取った。詩人アーサー・ビナードの講演会案内だ。あまりメディアに出ないから名前の記憶がない。内容が原発に関することで、その是非を巡って国論が二分され、自分でも明快な結論が得られず、ただ避難する人に同情するしかないのがもどかしく、講演を聴いてみる気になって秦野に出掛けた。
原子爆弾の開発の経緯から、広島、長崎での投下、世界で二千回に及ぶ水爆実験、ソ連や米国での発電所事故そして今回の福島と、目から鱗が落ちるような話に原発の功罪を改めて考えさせられた。会場で図書の販売が行われていて、ベン・シャーンの絵本『ここが家だ』が目にとまった。彼の作品は30年前、東京のどこかのデパートで見て、絵を通じて世の中の不条理を告発する画家としての姿勢に感銘した記憶が微かに残っている。絵本を買い求めた。第五福竜丸事件を画家が絵を描き、詩人が文章を添えたもので、日本絵本賞受賞作品だ。小学生のころ、ビキニ環礁で水爆実験が行われ、珊瑚による死の灰を浴びた焼津のマグロ漁船船長久保山愛吉さんが亡くなった事件が甦った。あの時、新聞やラジオは、マグロが食べられないと騒いだが、我が家には関係なかったなあ、と想いながらページをめくった。
20年ぶりに彼の回顧展が神奈川県立近代美術館葉山舘で開催されることになって「芸術新潮」誌が特集を編み、NHK「新日曜美術館」でも取り上げられた。
広い会場を埋めた絵画、ポスター、デザイン等、彼の画業の全貌を見ながらその偉大さを思い知らされた。少年時代、石版工として磨いた表現力が活かされたデッサンも、なぐり書きのように見えて一点一点が完成度の高い世界を展開している。アメリカ政府から依頼され、大恐慌下の全米各地の民衆を撮った膨大な写真も、ユダヤ人として祖国を追われた出自を偲ばせる視点で捉えていて興味深い。第五福竜丸事件を描いた作品は一室に展示されていた。福竜丸を彼は船名から『ラッキー・ドラゴン』と称していた。ある雑誌に事件のレポートが掲載されたとき、彼がその挿絵を手掛けたのが関わる直接の動機だったが、根底には戦時下での日本への原爆投下へ対する強い怒りがあったようだ。辰年になって初めて見る展覧会でラッキー・ドラゴンというのも不思議な因縁を感じる。日本で彼の作品を最も多く蒐集しているのがなぜか原発の被害を受けた福島県立美術館というのも単なる偶然なのか。
さて、年が改まり、今年も雑文を書き続けるか逡巡したが、ベン・シャーンの展覧会を見て、その印象を書き留めておきたいと思った。気分を変えようとタイトルも変えてみる。新聞連載で愛読していた瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』から借用して『月々曼荼羅』としてみた。深い意味はないが、薮にらみの世界観を読んでいただけたら嬉しいなとささやかながら祈っている。(克)