『喜怒哀楽』 | マンション管理組合コンサルタント ㈱CIP須藤桂一の日記

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破綻する長期修繕計画の改善、マンション管理委託品質向上や大規模修繕工事のムダやムラを適正化する管理組合コンサルタントをしています。

いまや「ソーシャル・ディスタンス」という言葉を聞かない日はありません。
「社会的距離」などと直訳されますが、日本語にはもともと「間合い」
という言葉があります。「間合い」とは、単純に考えれば「相手との距離」です。
でもよく考えると、この言葉はけっこう奥深いと感じます。
そして、実際この言葉には豊かな意味合いが含まれています。

真っ先に思い浮かぶのは武術です。相手が斬りかかってくる始動の
タイミングを見切って、同時に斬りかかる。ボクシングでいえばクロスカウンターです。
自分と相手との間境(まざかい)を、ここぞという究極のタイミングで
見切って動く。ここでの「間合い」は、生死を分ける境界線です。

「話す」という行為にも間合いがあることは経験的にわかります。
「息が合う」「しゃべりの間(ま)が悪い」「トークの勘所を押さえている」、
言い方はいろいろあるりますが、これらはすべて「間合い」のことです。

この「間合い」は、マンション管理組合でも大切なことだと思います。
どんなタイミングで、どんな言葉を、どんなトーンで話すか?
空気を読みながら、勇気を出して話し出します。
「間合い」がうまい理事さんや、そうでない理事さんがいます。

これは、スキルではなく、単なる経験です。
何度も、何度も、失敗したり、すべったりして、身につけるものだと思いますが、
まずは、コロナ対策の「ソーシャル・ディスタンス」から始めましょう。
ということで、皆さん、元気でしょうか?


以前、致知出版社の藤尾社長から、著書が届きました。
その本の中から・・・
 『喜怒哀楽』

少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。
殊に母親の溺愛は近所の物笑いの種になるほどだった。
その母親が姿を消した。
庭に造られた粗末な離れ、そこに籠もったのである。
結核を病んだのだった。
近寄るなと周りは注意したが、
母恋しさに少年は離れに近寄らずにはいられなかった。
しかし、母親は一変していた。
少年を見ると、ありったけの罵声を浴びせた。
コップ、お盆、手鏡と手当たり次第に投げつける。
青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。
少年は次第に母を憎悪するようになった。
悲しみに彩られた憎悪だった。
少年六歳の誕生日に母は逝った。
「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに、
少年は全身で逆らい、決して棺の中を見ようとはしなかった。
父は再婚した。少年は新しい母に愛されようとした。
だが、だめだった。
父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。
少年が九歳になって程なく、父が亡くなった。
やはり結核だった。
その頃から少年の家出が始まる。
公園やお寺が寝場所だった。
公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともある。
そのたびに警察に保護された。
何度目かの家出の時、
義母は父が残したものを処分し、家をたたんで蒸発した。
それからの少年は施設を転々とするようになる。
十三歳の時だった。少年は知多半島の少年院にいた。
もういっぱしの「札付き」だった。
ある日、少年に奇跡の面会者が現れた。
泣いて少年に棺の中の母を見せようとした
あの家政婦のオバサンだった。
オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。
死の床で母はオバサンに言ったのだ。
  「私は間もなく死にます。あの子は母親を失うのです。
  幼い子が母と別れて悲しむのは、
  優しく愛された記憶があるからです。

  憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。
  あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、
  死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。
  そのほうがあの子は幸せになるのです」
少年は話を聞いて呆然とした。
自分はこんなに愛されていたのか。
涙がとめどなくこぼれ落ちた。
札付きが立ち直ったのはそれからである。

作家・西村滋さんの少年期の話である。

この新型コロナで非常事態宣言の今、
とっても、考えさせられました。