「道を創る」
世の中には人がつくった道を歩いていく人と
自分で道をつくる人の二通りがある。
以前は後者の人生こそ尊いと思っていた。
だが最近、そうではないと思うようになった。
二つの道は別のものではなく、交錯しているということである。
どんな、偉業を達成した達人でも、それぞれの成長期にそれぞれの道を学び、
その道を踏査していくことによって独自の道をつくり出していったのである。
道をつくった人は、道をつくろうと思った人である。
その思いを強く熱く反復した人である。
行ったり来たりする中で道はできる。
一回通っただけでは道はできない。
このことは歴史が教えている。
「一源三流」という古語がある。
「一源」は誠、誠実である。この誠、誠実を源にして、
1.汗を流す
2.涙を流す
3.血を流す
すなわち、「三流」である。
汗を流すとは勤勉、努力をすること、一心不乱に打ち込むことである。
涙を流すとは降りかかる困難に耐えて人知れず涙を流す、あるいは達成の喜びに
感動の涙を流すこと。
血を流すとは命を込める、命をかけることである。
「一源三流」は人をつくり、道をつくる万古不易(ばんこふえき)の原理である。
松下幸之助もまた、道をつくった人である。
幸之助は明治25年に和歌山の裕福な家に生まれた。江戸時代から続く旧家で、
敷地内には樹齢7百年を超える一本松があり、松下姓はそれに由来するという。
8人兄弟の末っ子だった。
平穏な生活は4歳で一変した。父が米相場に失敗。先祖伝来の土地屋敷を売り払
うことになる。不幸は重なる。幸之助の小学校入学前後、次兄、次姉、長兄と相
次いで病没した。父は大阪に職を得、そのわずかな送金で母子は暮らしていたが、
4年生の秋、小学校卒業寸前で中退(当時の尋常小学校は4年生まで)、大阪の
火鉢屋に奉公することになった。別れの日、駅まで見送りに来た母の涙とその情
景は、生涯、幸之助のまぶたに焼きついて離れなかった。
以降、幾多の変転を経て、幸之助の道作りの人生が始まる。その幸之助に、「道」
と題する一文がある。
自分には、自分に与えられた道がある
広い時もある せまい時もある
のぼりもあれば くだりもある
思案にあまる時もあろう
しかし 心を定め 希望をもって歩むならば
必ず道はひらけてくる
深い喜びも そこからまれてくる
道をつくった人は、道をつくろうと思った人である。
その思いを強く熱く反復した人である。
行ったり来たりする中で道はできる。
一回通っただけでは道はできない。