小さな灯りを灯すこと。 | 暮らしのひとこま

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こんにちは。

今朝は、よく冷えましたが、暖かな一日になりました。

午後から久しぶりにパソコンで広告作りを。

もう、一年以上、施術の仕事をしていません。
と言うより、治療により体が対応出来ません。

なので、自分に出来ることのみを、仕事でやって来ました。

しかし、治療が変わる度に、体調を崩し、お客様にご迷惑をかけてしまうし、
先の入院で、いよいよ幕引きを考えた方が良いのかとか、色々考えてました。

考えても考えても、答えは出なかったのですが

最近のニュースで、アスリートの方々が引退をしたり、復帰をしたりするのを垣間見ていて

結局は、頭で考えるより、自分が納得するまで答えを出すのは辞めようと思いました。


先日の受診の際に、「癌で仕事を辞めないで」

と掲示物がエレベーターに貼ってありました。

辞めたくないのは当たり前だろう、
しかし、仕事に体が対応出来なくなる治療の現実があることを、真の意味で理解できる人が、これを書いているのか?

解りもしないくせに、綺麗事を言うなというような、憤りみたいなものが、正直ふっと浮かんだ。

でも、
掲示物には悪気はない。
重々承知の上ではあります。
むしろ、(親切心で)相談に乗る窓口という掲示物ですから。

私の中の観念の問題なのであります。

私も治療をしながら長く働いてきましたから。その際なら、「確かにね、すぐに辞めなくても、なんとか働けるよね」と、思ったに違いない。

今は働けないから、憤りが湧くのです。
私の観念が捉える感情問題なのであります。




何かの迷いや決断を自分に迫るとき

どうしようか
と迷います。

しかし、どうしようか
という言葉には、主体がぼやけていて、仕事をどうしようか?とか
お客様に対応出来なくなることで迷惑をかけるからどうしようか?
仕事がなくなったら、経済はどうしようか?

色々なことが一気に浮かんで、問題の核心からそれてしまいます。

そこで、主体を自分に戻すとしたら

私は、どうしたいのか

に質問がなるのです。

私の出した答えは、やはり
やれることをやり続けたい

それによって、お客様への責任も果たしていける

そして、やれる限りやり続けていくことが、自分自身が生ききることなんじゃないかなと、、


だって、私はやはり自分の仕事が好きなんです。
そして、仕事をしている自分が、自分の一部なんですね。

だから、それが欠けていくのは、大変に寂しい

先日から、自分の選んできた商品に癒され、助けられ、身をもって、自分の販売してきたものが自信を持って勧められるものであったと、つくづく感じて励まされました。

昨年、看板から広告を外したら、ご近所さんが寂しいと言って下さいました。

過疎化する町で、私がやって来た小さなサロンも、地域の方々にとっては、小さな明かりの灯る場所だったのかもしれません。

昔、駄菓子屋さんやお豆腐やさんが地域の灯りであったように。

小さな灯りを消すのは、自分の灯りが燃え尽きてからでいいのかもしれない。

まだまだ、販売の仕事なら、話すことができ、足し算引き算が出来、どうにかなる。
セラピーも、声が出しづらくても、文字なら打てる。
自分に培ってきたものは、まだまだスキルという財産として存在している。

だから、小さな灯りをそっと灯していようと思います。

こんな私でありながら
わざわざ会いたいと、訪問してくださるお客様もいる。

小さな灯りを消さないように、私も自分らしく生きていようと思います。

仕事部屋の裏に咲く、山茶花を見習って。