今朝は雨が落ちた様子の寒い朝です。
立春までは一番寒い時期ですから、暖かくして過ごしたいですね。
さて。
昨日、ふと思い出したのですが
娘がまだ乳飲み子の頃、外出時には私は大きなマザーズバックを抱えてました。
特に、日常的な買い物以外は、例えば親戚の家に訪問するような、半日程の外出になる場合、オムツや着替え、タオルやガーゼハンカチ、、それは確かにちょっとした外出ではない万全策をとるような。
大荷物
![ニヤニヤ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/037.png)
その荷物を肩に提げ、娘を抱っこしている様を見て、叔母が笑いながら言いました。
「まるで一泊旅行をするくらいの荷物じゃない、何をそんなに入れてるの?
」と。
![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png)
叔母は大変に楽観的でおおらかです。
そんな叔母の明るさや行動力のある所はとても尊敬していました。
しかし、その時には、何となくいい気持ちがしなかったのです。![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/017.png)
むしろ、心配性な祖母から父、私へと受け継がれている習性を笑われたような気がしたんですね。
もちろん、これは私自身の観念が生み出す感情ですから、
叔母の真意とは別の話なんですよ。
半日くらいそこで過ごして、確かに荷物の中身で使わないものもありました。
でも、私自身は、娘の世話に万全な備えをしたかったから持っていく事に、ちっとも苦はなかったわけです。
帰宅して、荷物をといて、使ったものを洗濯などに仕分けしてみたら
汗をかいて取り替えた肌着、オムツを変えたときに仕上げにおしりを拭いてあげるガーゼ、母乳を飲ませるときに使うタオルハンカチ、昼寝したときに敷いたりかけておくキルトやタオル
など。
自宅で世話をする際のアイテムたちが、外出先でも同じように役にたってくれて
私が持ち歩いているものは物ではありながら、
母子にとっての
「安心と安全、快適」なんだなと思うのです。
今は、自分の体力の省エネの為に、極力、カバンは軽く小さなもの、荷物は少なく、身軽に出掛けるようにしているのですが
あの頃の自分を振り返って、あんな大荷物を一生懸命提げて出掛けていた、力持ち母さんだった自分に
あなたが抱えている荷物は
たしかに、
いざという時の憂いを心配して備えているものでもあるけれど
同時に
備えあれば憂いなしの、子を想う安心と安全そのものなんだと
そっと耳打ちしてあげたい気持ちです。
私の抱えている荷物には
不安も、安心も実は同時に存在している。
どんな、観念を通して見ているかにより
その評価や意味付けは変わる。
お皿に例えたら
表から見ているか
裏側から見ているか
でも、実は表裏一体であるのだと俯瞰してみることが、
そのもの、こと、人の、一部でなく全体像を見ることができるのかもしれない。
先の入院時
荷物をコンパクト化しておいたら
10日間もいたので、足らないものがあったりした。
逆に、昔のようには使えないものもあり
学びにはなりました。
少々荷物がでかかろうが、人がどんな風に言おうが、
やっぱり
私は安心と安全から、自分が気の済むようにすればいい![ニヤニヤ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/037.png)
![ニヤニヤ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/037.png)
自分が良ければ、それでオール🆗✌️なんだと
思いました。
人は人
自分は自分。
自分が心地よければそれでよし🎵
たとえ、大荷物でもね✨