不安も安心も大荷物の中に。 | 暮らしのひとこま

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おはようございます。

今朝は雨が落ちた様子の寒い朝です。
立春までは一番寒い時期ですから、暖かくして過ごしたいですね。

さて。
昨日、ふと思い出したのですが
娘がまだ乳飲み子の頃、外出時には私は大きなマザーズバックを抱えてました。

特に、日常的な買い物以外は、例えば親戚の家に訪問するような、半日程の外出になる場合、オムツや着替え、タオルやガーゼハンカチ、、それは確かにちょっとした外出ではない万全策をとるような。

大荷物

ニヤニヤ

その荷物を肩に提げ、娘を抱っこしている様を見て、叔母が笑いながら言いました。

「まるで一泊旅行をするくらいの荷物じゃない、何をそんなに入れてるの?爆笑」と。

叔母は大変に楽観的でおおらかです。
そんな叔母の明るさや行動力のある所はとても尊敬していました。


しかし、その時には、何となくいい気持ちがしなかったのです。ショボーン
むしろ、心配性な祖母から父、私へと受け継がれている習性を笑われたような気がしたんですね。


もちろん、これは私自身の観念が生み出す感情ですから、
叔母の真意とは別の話なんですよ。

半日くらいそこで過ごして、確かに荷物の中身で使わないものもありました。
でも、私自身は、娘の世話に万全な備えをしたかったから持っていく事に、ちっとも苦はなかったわけです。

帰宅して、荷物をといて、使ったものを洗濯などに仕分けしてみたら

汗をかいて取り替えた肌着、オムツを変えたときに仕上げにおしりを拭いてあげるガーゼ、母乳を飲ませるときに使うタオルハンカチ、昼寝したときに敷いたりかけておくキルトやタオル
など。

自宅で世話をする際のアイテムたちが、外出先でも同じように役にたってくれて

私が持ち歩いているものは物ではありながら、

母子にとっての
「安心と安全、快適」なんだなと思うのです。

今は、自分の体力の省エネの為に、極力、カバンは軽く小さなもの、荷物は少なく、身軽に出掛けるようにしているのですが

あの頃の自分を振り返って、あんな大荷物を一生懸命提げて出掛けていた、力持ち母さんだった自分に

あなたが抱えている荷物は
たしかに、
いざという時の憂いを心配して備えているものでもあるけれど

同時に
備えあれば憂いなしの、子を想う安心と安全そのものなんだと

そっと耳打ちしてあげたい気持ちです。

私の抱えている荷物には
不安も、安心も実は同時に存在している。

どんな、観念を通して見ているかにより
その評価や意味付けは変わる。

お皿に例えたら
表から見ているか
裏側から見ているか

でも、実は表裏一体であるのだと俯瞰してみることが、
そのもの、こと、人の、一部でなく全体像を見ることができるのかもしれない。

先の入院時
荷物をコンパクト化しておいたら
10日間もいたので、足らないものがあったりした。
逆に、昔のようには使えないものもあり
学びにはなりました。

少々荷物がでかかろうが、人がどんな風に言おうが、

やっぱり
私は安心と安全から、自分が気の済むようにすればいいニヤニヤ

自分が良ければ、それでオール🆗✌️なんだと
思いました。

人は人
自分は自分。

自分が心地よければそれでよし🎵
たとえ、大荷物でもね✨