2020年。Netflix."JUON ORIGINS".
三宅唱監督。高橋洋脚本、
これは映画ではなく、連続ドラマの体を為しているものの、ブツ切りにされた180分弱の映画だとして鑑賞することも可能だった。
荒川良々が演じる小田島の調査報告の記録という側面もあるが、この作品の基調を創りあげているのは1980年代から1990年代を生きた河合聖美(里々佳)の青春物語だろう。
物語はつじつまが合っていなかったり、キャラクターの自己同一性が疑わしく思われたり、実在の事件に接続する手つきが安直だったりと、優れた出来とは到底言い難いクオリティでしかないのだが、それはすべて脚本のダメさに由来する。
『きみの鳥はうたえる』という、日本映画だとは信じられない程の素晴らしい映画を創った三宅唱監督の演出が、ダメな脚本によって、より一層光り輝いて見えてくる。
悪いクラスメイトの策略によって。聖美がレイプされてしまうというエピソードの心なさは惨たらしい。
しかし、同時にあの時代に学生として生きていた私たちの心の痛みを呼び起こす効果もあった。学生時代に〇〇が妊娠したらしい、誰彼にレイプされた、輪姦された、といった真偽の定かでない噂は、童貞の過剰な想像力によって男子生徒間では高速度で拡散していた。
密かに憧れていた少女がレイプされたという噂を耳にした途端に、それまでは軽口をたたき合うほどには仲良しだったものが、根拠のない潔癖症のせいか、会話を避けるようになったという残虐な経験があった。
噂の当事者にさせられた女子は孤立した存在となりフェイドアウトしていき、後には誰もその後の消息を知らないという事態になることがあった。周囲から排除されたことを自覚した少女の絶望的に暗い瞳の色が忘れがたく、現在も記憶につきまとって離れない。再会することが可能なら、あの時の自分の幼稚さ、排除の身振りを実行した犯罪者であったことを懺悔したい、という想いで息が苦しくなった。
物語は聖美の地獄めぐりの旅路による青春残酷物語として語られていき、これが一応はホラー作品であることを忘れがちになるほどに、ホラーの演出にはあまり冴えた部分は見られなかった。
女性のキャラクターに対する扱いが酷いように見えて、わずかながらも救いは用意されてもいる。
第2話で、聖美をレイプさせるように仕向けた当事者である芳恵(大和田南那)がディスコの闇に消え去る場面、切ない系ダンス曲のAmandaBの、"THIS WAS MEANT TO BE"という聴いたこともない曲の哀切な旋律の中で、芳恵が先に彼岸へ旅立った真衣(葉月ひとみ)の霊に向かって、「ごめんね。」とつぶやく。
ここで芳恵と真衣とは、ただの悪役から、悲劇的な青春ドラマの登場人物へと大きく跳躍している。
しかし、問題は河合聖美という物語の登場人物の取り扱いにある。
1980年代後半から1990年代にかけて、浮かれ騒いでいた時期であったが、実際は何も楽しいことなどなかった。さまざまな面での圧力の大きさによるつらさ、恋愛のうまくいかなさから来る女性不振、他の誰彼と比較して自分にふさわしい立場が得られていないのではないかという自意識を持て余した感覚、バブル時期を懐古する風潮もあるが、二度と戻りたくないどころか思い出したくもない時代である。
バブル経済などもあったが、1980年代後期から2000年前夜までは総じて暗い時代であった、という河合聖美の物語の総括は自分自身の切実な経験にも符合するところが少なくない。
聖美の肉体に仮託された1990年前後の物語だという風に見れば、三宅唱監督の叙情的な演出が冴える、ホラー風味の青春ドラマ、ただし残虐を極めるという非常に面白く見ることが出来た作品だった。
知っている俳優が少ないが、それぞれに無駄に力が入っていない自然な演技で物語の殺伐として乾いた感触を際立たせていたように映った。小田島役の荒川良々と聖美役の里々佳との二人は熱演だった。当時の風俗、髪形や衣類への繊細なこだわりもドラマを格調高い高品質なものにしていた。