BECK〜直球ど真ん中!世代を超えて響く音楽映画の傑作〜 | 大分のご当地アイドルSPATIO/オフィシャルブログ

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息子と2人で「BECK」を観て来た。
バンドをやりたいとギターを買った息子が観たい、観せたい映画だった。
           
$CINEMA SCOPE/映画とアイドルの部屋

原作はハロルド作石の漫画、監督は「20世紀少年」の堤幸彦。
キャストは水嶋ヒロ、佐藤健、向井理の今をときめくイケメントリオに個性派の桐谷健太。紅一点のポッキー娘・忽那汐里。
これだけで「観たい!」と思わせるのに充分な幸せなキャスティングだ。

ずっとこのつまらない日々が続くと思っていた。
あの男に出会うまでは——

いじめに耐えながらも、平凡な毎日を送るごく普通の高校生コユキ(佐藤健)が偶然にもNY帰りの天才ギタリスト南竜介(水嶋ヒロ)と出会うところから物語は始まる。

所属していたバンドのメンバーと対立した竜介は、新たに才能溢れるメンバー、ラッパーの千葉(桐谷健太)、ベースの平(向井理)を誘い、バンドを結成する。さらに竜介は、強引にコユキとコユキの同級生ドラムのサク(中村蒼)という若いメンバーを加えてバンド・BECKとしての活動を始める。
コユキはギター練習、バンド活動へ没頭していき、いつしか天性の才能を開花させていく。
さらに、コユキは、もっとも自分の才能を評価し、また、応援してくれている竜介の妹・真帆(忽那汐里)に淡い恋心を抱いていくのだった。
そんな中、真帆はコユキが一瞬にして聴く者の心を虜にする「奇跡の歌声」を持つ事に気づく。
やがて日本最大の野外ロックフェス「グレイトフル・サウンド」への出場が決まり、歓喜する竜介たちだったが・・・
竜介の持つギター、ギブソン・レスポールにはあるいわくがあった。
そしてついに、バンドの存亡を賭けた、運命のライブの幕が開く。

直球ど真ん中な最高の青春音楽映画だった。
原作と比べてキャストが云々という毎度お馴染みの批評など、全く無視していい。重要なのは原作の「ハート」を伝えているかどうかだろう。
特にこの映画化で重要なのは「音楽」だ。
当然だが、漫画には「音」がない。映画には「音」がある。
漫画では描けない「音」を映画でどう描くか。そこにスタッフが精力を注いだのは想像に難くない。
そして素晴らしい「音の創造」に成功したと言っていいだろう。
イントロで、あのレスポールの重低音が鳴り響いただけで、自分等70年代ハードロック時代に青春を過ごした者の「ハート」まで鷲掴みにする。
と同時に全くの初体験である、息子世代の「ハート」までも。
そしてそのサウンドを生み出す役者たちの「カタチ」の特訓も並大抵ではなかっただろう。

もう一つ「音」の演出で面白いのが、コユキの「奇跡の歌声」だ。
ここが賛否両論ある部分だが、この映画の中では一切その「声」を聴かせない。それを聴いた人々の「驚きの表情」「感動の涙」というリアクションだけで表現してみせるのだ。
まるで「ゴジラの姿を見せずに、群衆のリアクションだけでゴジラを想像させる」ようなものだろう。
これは映画の手法として「アリ」だと思う。
パンフレットによれば、原作者の「コユキの歌声は聴かせないで欲しい」という提案に、堤監督が応えた演出だったらしい。
チャレンジャーな堤監督らしい演出だ。

演出以外に、こういう予定調和的なストーリー展開を「ベタ過ぎる」と嫌う批評も多いと思う。CMのプランニングなどでも、クリエイティブを自認する人間ほど「ベタ」を嫌う。「ヒネリ」がなければクリエイティブではないと思っている。しかし、このような純粋な青春映画こそ「ベタ」でいいと思う。ど真ん中直球ストレートで勝負すべきだと思う。
なぜなら「青春」に打算や小細工は必要ないから。
まっすぐな熱い思いだけで突っ走ればいいのだ。
自分が「青春映画」が好きなのは、その「ひたむきさ」や「がむしゃらさ」に感動するからだ。
ただ、そこに掘り下げた人物像や緻密な演出がなければ、「ルーキーズ」のような、無意味にがむしゃらなだけの、直球ストレートだが、それがすべてくそボールで四球の山みたいなダメダメ映画になってしまうのだ。

話が逸れたが、この「BECK」。世代を超えて心に響く「音楽」の素晴らしさ。年齢に関係ない夢を追い続ける行動=「青春」の素晴らしさをストレートに伝えてくれる青春音楽映画の傑作だ。

なかなかメンバーが集まらずバンド結成に至っていない息子には、「自分一人でも努力して腕を磨いておけば、いつか偶然の出会いがあり、バンドとしてケミストリー(化学反応)を起こす日が来る」と伝えた。
息子がこの後、ギターの練習を始めたのは言うまでもない。