「悪人」~今のあなたに大切な人はいますか?~ | 大分のご当地アイドルSPATIO/オフィシャルブログ

大分のご当地アイドルSPATIO/オフィシャルブログ

大分のご当地アイドルSPATIOが所属するモデル事務所シネマスコープが運営する活動ブログ

期待の「悪人」を観た。

$CINEMA SCOPE/映画とアイドルの部屋-悪人

原作を読んだのは大分前だが、真綿で首を絞められるような息苦しさと、やり場のない怒りを覚える作品だった。

これが映画化される、そして監督が「フラガール」で絶賛された、今最も期待される若手監督・李相日と聞いて期待しないはずがない。

そして、その期待は裏切られる事なく、スゴい映画になっていた。
本年度「告白」と賞を争うであろう素晴らしい出来だ。

(以下オフィシャルサイトよりストーリー抜粋)
きっかけは九州の田舎町で起きたひとつの殺人事件だった。
保険外交員の娘(満島ひかり)山中の峠道の崖下で絞殺死体で発見されたのだ。捜査線上に湯布院の老舗旅館の息子で福岡の大学に通う大学生(岡田将生)が浮かび上がる。事件当日の夜、被害者を車に乗せて峠道を走っていたらしく、行方をくらませているらしい。
被害者の父(柄本明)は、やり場のない怒りに打ちひしがれる。

(以下オフィシャルサイトより抜粋)
土木作業員の清水祐一(妻夫木聡)は、長崎の外れのさびれた漁村で生まれ育ち、恋人も友人もなく、祖父母の面倒をみながら暮らしていた。
車だけが趣味で、何が楽しくて生きているのかわからない青年。

一方、佐賀の紳士服量販店に勤める馬込光代(深津絵里)は、妹と2人で暮らすアパートと職場の往復だけの退屈な毎日を送っていた。

「本気で誰かに出会いたかった…」
孤独な魂を抱えた2人は出会い系サイトで出会い、刹那的な愛にその身を焦がす。しかし、祐一は、連日ニュースを賑わせていた殺人事件の犯人だった。
「もっと早く出会っていれば良かった…」

そんな祐一の自首を止めたのは光代だった。
殺人犯との許されぬ愛…。
生まれて初めて人を愛する喜びに満たされる光代は、祐一と共に絶望的な逃避行へと向かう。
やがて地の果てとも思える灯台に逃げ込んだ二人は幸せなひとときを迎えるが、その逃避行が生んだ波紋は被害者の家族、加害者の家族の人生をも飲み込んでいく。

なぜ祐一は人を殺したのか?
なぜ光代は殺人者を愛したのか?
引き裂かれた家族の運命はどうなるのか?
絶望のどん底に突き落とされた人間たちが、善悪の葛藤のなかでもがき、そしてその先にひとつの謎が生まれる。

いったい誰が本当の“悪人”なのか?

その答えが明かされたとき、
物語は、衝撃と感動のクライマックスを迎える。(引用以上)

いや、実際にはこの映画で「誰が悪人なのか?」の答えは出ていない。
むしろ自分には「何が悪人を作り上げるのか?」の問いかけの方が重要な気がした。
その答えを探す為の舞台が、福岡、佐賀、長崎という北部九州の片田舎であり、彼らの使う言葉がすべて「方言」であるというのも重要だ。
その土地と方言というリアリティが、この物語をまるで、実際の事件の再現映像のように見せている。
つい先日起きて、いまだ未解決の別府・明礬の看護士殺人事件も思い出させるし、この手の事件がニュースに載らない日はない位、日常事になっている。
これらの報道を見るたびに「なんと惨い事を。犯人はなんと極悪人なんだ。」と誰もが思うはずだ。

しかしこの作品は、「殺人犯=極悪人」とは決めつけない。
殺人を犯してしまった背景と、誰にでも殺人を犯す可能性があることを見せつけてくれる。
なぜそうなってしまうのか?

その答えを提示してくれている(かもしれない)長セリフがある。
容疑者だった大学生が捕まるが、殺人は犯していない事がわかり釈放される。
その後何事もなかったかのように、友人との飲み会の席で、被害者の娘をバカにし、あざけり笑う大学生。
それを見ていた被害者の父(柄本明)が、容疑者の態度に嫌気がさしている彼の友人の大学生に対して、独り言のようにいうセリフがそれだ。

「あんたには大切な人はおるね?

その人の幸せな様子を思うだけで、自分まで嬉しくなるような人ですたい・・・
アイツ(娘)にもおらんと思います。
おらん人間が多すぎるのよ。

今の世の中大切な人がおらん人間が多すぎったい。

大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。
自分には失うものがなかっち、それで強うなった気になっとる。
失うものもなければ欲しいものも無い。

だけんやろ
自分を余裕のある人間っち思い込んで、 失ったり欲しがったり、一喜一憂する人間を馬鹿にした目で眺めとる。
そうじゃなかとよ
本当は、それじゃ駄目とよ・・・」

このセリフは心に響いた。
涙が溢れた。

大切な人がいて、その人の幸せそうな姿を思うだけで、人は生きていける。
大切な人がいないから、一人で生きていると思うから、人は生きるのが辛くなる。
実は目の前に大切な人がいるのに気づいてないだけなのかもしれない。
本当は大切な人のはずなのに、憎み、恨み、争い、言葉の暴力を振るったり、実際に手を上げたり、保護責任を放棄したり。
あまりにもそんな事例が多すぎないだろうか?

もう一度、自分自身に問いかけてみよう。
「今の自分にとって大切な人は誰なのか?」を。

あなた自身が「悪人」になる前に。