オススメ最新作(※ネタバレあり)
歌が上手い人のライブに行くと、自分も歌がうまくなったと錯覚する。
スポーツの凄いシーンを観ると、自分もできるような気がしてくる。
ノーランの作品を見終わった帰り道は───自分の頭が良くなったのでは?と錯覚します。
彼の映画は難解なことが多いです。
映画鑑賞に留まらず、知的体験の領域に踏み込みつつあります。
だからこそ2回目が楽しい。
1回目はひたすら圧倒され、翻弄されるまま。
真に娯楽として享受できるのは2回目以降。
(自分の理解力に比例してではありますが…汗)
是非、2回以上劇場でご覧ください。
さて、公開前からいろいろと物議を醸した世界的な話題作『オッペンハイマー』。
科学的な偉業と、その恐ろしさ───それらを天秤にかけながら、本当に作るべきだったのかを論じきれずに手を出したことを、諌めているように感じました。
『OPPENHEIMER』
[邦題:オッペンハイマー]
(2023→2024)
本作は伝記映画です。
原爆の恐ろしさや影響については多く言及されておらず、観了後はどちらかというと科学者の苦悩・栄光・挫折、原爆を世に放った側・者を中心にしたビフォー・アフターの出来事───アメリカ国内の政治劇としての印象が強く残ります。
もちろんそれが悪いというのではなく、『オッペンハイマー』という人物の生涯を描く伝記物としてはこの上なく秀逸な作品であることには違いありません。
特に被爆国日本においてはセンシティブなテーマですが、そのテーマにどれだけ向き合った作品かというと、痛烈な批判や怖さは感じにくいものの、事の重大さや重さみたいなものは十二分に伝わる深遠な作品だと感じました。
あくまでオッペンハイマーの生涯を通して↑のテーマを内包した作品と捉えると良いのではないかと。
これまで圧倒的なイマジネーション・世界観の構築・ビジュアル構築といったところがベースにあってキャリアを積んできたノーラン監督ですが、今作では史実という制約があり、自由な発想で世界を構築することも無ければ、圧倒的なビジュアルやキャラクターを作り出すことも難しいわけです。
正直、彼のこれまでのフィルモグラフィーの中でも同じく史実を扱った『ダンケルク』はあまり見返すことの無い作品だったり、実話ベースの作品にはあまり魅力を感じにくいというのもあり、今作の公開前に一抹の不安を抱えていたのも正直なところ。
しかし。
蓋を開けてみれば、これがまた全体的にひじょーーーにサスペンスフルな仕上がりになっており、その圧巻の語り口に惹き込まれました。
ここまで惹き込めるのは、やっぱりノーランの手腕。
伝記物で且つアーティストではない人なので「音楽」という付加価値も付けにくい真実を、映画にしてこれだけ売れてしかも評価も得られちゃうなんて(過去の監督の実績や名声の影響も多分にあるとは言え)凄いことです。
それが出来たのは、ノーランが得意とする時間を使ったマジックというか演出の賜物ですね。
それではその辺りも含めたいくつかの本作の魅力ポイントをピックアップして紹介しつつ、本作をお薦めしていきたいと思います。
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■『オッペンハイマー』あらすじ
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一人の天才科学者の創造物は、
世界の在り方を変えてしまった。 そしてその世界に、
私たちは今も生きている。
第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。
これに参加した J・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。
しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。
冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだった―。
世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは。
今を生きる私たちに、物語は問いかける。
(映画『オッペンハイマー』公式サイトより)
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■全体評
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前述の通り、原爆や核について事の重大さや重さみたいなものは十二分に伝わる深遠な作品ではあるものの、直接的な反核のメッセージ性は薄めだと個人的には感じました。
もちろん、この映画をしっかり理解すると、反核というメッセージがありありと浮き彫りになるんですが、直接的な被害の映像は皆無なので、その恐ろしさに観客全員が辿り着く訳ではない事を考えると、果たしてこれをどう日本人として受け取ると良いのか考えあぐねました。
───と、いう感じに1回目鑑賞後はなっていたのですが、これはもしかしたらノーランから人々への挑戦なのかも?と2回目の鑑賞で思いました。
オッペンハイマーのセリフで「われわれ科学者は理論の先に怖さを想像できる。しかし普通の、一般の人々は理解しない──それが使われるまでは」というものが出てきます。
ロスアラモス内で雨の中行われた討論会に、飛び入りでオッペンハイマーが参加するのですが、その時の「本当に投下する意味はあるのか?ドイツ・日本の敗北は見えているのに?人命を奪う理由に?」などの議論に彼が放り込んだ言葉です。
ここがオッペンハイマーが明確に核を落とすことを(その時は)容認していた場面であり、物理学者としてのエゴが頂点にあった時のように思えるのです。
怖さを想像させる努力をし、理解のための努力をすべき世界へ舵を切らなかった瞬間とも取れる訳で。
そのシーンを提示しながら、今作でも明示的な恐怖を描かずに難解な内容で反核のメッセージを込めたのは、「もう、今の皆なら分かるよね?分からないとダメだよね?」というメッセージに聞こえました。
ただ、技巧故に、また描こうとした側面故に、遠回しであるため、予告のナレーションにあった「我々は今も、彼が変えた世界に住んでる」ということを実感はしにくいのはあると思います。
よくよく考えるとすごい怖いんだけどね、という。
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■映画としての『オッペンハイマー』
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物理学の話だったり政治の話が絡みつつ、時間軸も行きつ戻りつするので、難解な作品です。
しかも3時間w
事前にキャラクターと相関図を予習しておくのと、そもそも史実をある程度理解しておくと、より本作を堪能できると思います。
個人的には↓のような物理学や量子力学とは?という触りの触りを少し覚えてみる、みたいな事をしたのですが、それも鑑賞に役立ちました。
♪♪事前予習にオススメの動画
↓こちらはネタバレの解説記事となります。鑑賞後にお読みください。
【ネタバレ】映画『オッペンハイマー』複雑なストーリーを時系列ごとに徹底考察 | FILMAGA(フィルマガ)
そしてそして。
映画としての特徴といえば───『プレステージ』『ダークナイト』以降で特に顕著な、ラストシーンに用いられる編集のマジック(演出)、"ノーランタイム"。
時系列をシャッフルし、ラストに観客の感情を揺さぶる起爆剤(映像やシーン)をギュッと集める手法は今作でも健在。
劇中で起こることの全てが終わり、ストローズの不正が暴かれオッペンハイマーが後世で名声を回復したシーンを観てもなお、爽快感は皆無。
妻のキティによる痛烈な一言や、アインシュタインの「こちら側へようこそ、地獄の門を開いた者よ」といったような死神的な発言を挟み、オッペンハイマーの自省の言葉で我々がいま住んでるこの世界の恐ろしさを提示して物語は幕を閉じます。
この余韻にむかって今作の全てが作られたと言っても過言ではない訳で。
観られた皆さんはどう感じ、何を考えましたでしょうか?
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■『オッペンハイマー』の"音"
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今回は過去作に比べても音響がすごく印象に残りました。
史実故に映像でトリッキーなシーンはあまりなく、どちらかというと「音」の演出が目立ったからかもしれません。
無音という音を効果的に使うことで原子爆弾が初めて爆ぜる瞬間の怖さを表していたり。
大歓声と共に鳴らされる賞賛の足踏みが、オッペンハイマーの心に重圧をかける不快な轟音に聴こえたり。
ルドウィグ・ゴランソンの変化球すぎるリズムの楽曲(たった数分の間に4回も5回もリズムが変わる!!)と、その音量の大小でぐっと観客をスクリーンに惹きつけたり。
そちらの演出の方が印象に残った映画でした。
そして、本作のサントラについて。
ハンス・ジマーとの名タッグから、ルドウィグ・ゴランソンとのタッグに移行して早くも2作目。
『TENET』のサントラも好きでしたが、オープニングの曲以外はあまりリピートして聴くくらいにはなれず。
今回のサントラはメロディアスなスコアが多かったですね。
あとは、どれか一曲が突出して、というよりは全体を流して聴いて雰囲気を堪能する仕上がりになってる気がしました。
それもあって全体を聴けるアルバム的なサントラになっています。
(とはいえ、めっちゃ分かりやすいメロディがある!って訳でもありませんがw)
その中でも比較的繰り返し聴いてる一曲をご紹介。
(これがまさに楽曲の中で何度もリズムが変わってる曲ですw)
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■歴史としての『オッペンハイマー』
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モノクロで描かれるFusionのパートは「水爆反対」を契機に対峙したストローズ氏の策略を中心としたパート。
ある意味このパートの主役はロバート・ダウニー・Jr.演じるストローズです。
Fusionで語られたことの根っこにあった出来事が、高等研施設近くの池のほとりで交わされたオッペンハイマーとアインシュタインの会話。
その会話に被害妄想を抱き、執着し、拗らせたそれを勘違いしたストローズ。
ストローズは所謂政治家であり策略家ですが、そんな彼が見ている個人の目先のエゴや嫉妬なんて軽く飲み込む恐怖──そしてそれはFissionのパートを経てオッペンハイマーやアインシュタインが気付いてしまった世界の終末──を予見させて映画は幕を閉じます。
ストローズの存在が現代の我々の暗喩で、そんな目先のことを見てる場合じゃないよね?と言われてる気がしました。
国務長官など含めて、投下目標地の選定会議のシーンは、不思議なほどモヤモヤしている自分がいます。
長崎や京都、東京や広島とどこに落とすか=どこの人間を殺すかという議論です。
これなんかよく考えると、否、よく考えなくても本来あってはならない議論ですよね…。
そうなった背景に旧日本軍の問題や、太平洋戦争に至るまでの日本人の取ってきた選択や行動もおおいに問題があり、すべてが連綿と繋がっていますが、それでも市井の人を誰かが平然と殺すための打ち合わせをしてたかと思うと、心がザワザワする自分がいました。
これがいわゆる愛国心と言われる気持ちなのか、人命が数字で扱われ軽視されてるように見えることへの反感なのか違和感なのか、未だに判断がついていません。
本作中、唯一救いというか気持ちが落ち着いたシーンがあります。
オッペンハイマーの盟友で、彼が去った後の原子力委員会の委員長も務めたイグジラード・ラビ氏。
彼が、マンハッタン計画に参加するかしないかの際にオッペンハイマーに対して言います。
「長年紡いできた物理学の行き着く先が、大量破壊兵器なのか?」と。
この言葉や態度が一番ぐっときました。
彼が言うこの問いが、本作中で唯一、且つ明確にこのプロメテウスの炎を生み出さんとする人や世相に背を向けるものだったからです。
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■あとがき
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それにしても、2023年から今年にかけて、映画界には不思議な縁が見えてましたね。
『ゴジラ-1.0』と『オッペンハイマー』が同年公開となり、同じ年のアカデミー賞で賞賛を浴びた訳ですから。
オッペンハイマーがいなければゴジラの成り立ちは違った可能性もあるわけで。
(というかそもそも存在してなかった可能性もある訳で)
そんな両者が同じ年にアカデミー賞の受賞をして同じ舞台に立つというのは、歴史の皮肉とは思いたくないものですね。
なるべく長く永く平和が続き娯楽を享受できる世を願う、という人の気持ちが結実した結果と捉えたいです。
日本はアメリカとの距離は変わらないどころか近づいてる節があり、ロシアが戦争を仕掛けてる世の中です。
自分の子供の世代で自衛隊が軍に、隣国のように徴兵が義務化されるなんて世の中でないように、この両者が脚光を浴びてることを歓迎し慶びたいと思います。
最後に改めて。
長年ファンとして追いかけてきたクリストファー・ノーラン監督が初めてのアカデミー賞作品賞と監督賞などに輝いたこと、本当に本当に嬉しく思います!
え?まだ獲ってなかったんだっけ?!という驚きの声がたくさん聞こえてきた今回の受賞。
いやー、感慨深い。
名実ともに現代の大巨匠となったノーラン監督、次は是非オリジナルの物語を!
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■予告編
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