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『ジュブナイル』で山崎貴監督に惚れてから二十数年。
山崎監督の作品が良かれ悪しかれ世間的にはどんな評価を受けようと、ずっと追い続けてきました。
そして同じく『Good Luck!!』『WATER BOYS』『LORELEI』で作曲家・佐藤直紀さんに惚れてから二十数年。
未だに佐藤さんがどの作品の劇伴を手掛けるかを気にする日々。
そして、子供の頃一番熱狂していたものは何かと問われれば間違いなく『ゴジラ』と答え、自分の好き嫌いの物差しの根っこに「平成vsシリーズ」が組み込まれてるほど好きな存在。
その3つが掛け合わさる日が来るなんて…泣
好き×好き×好き=鼻血もん、です。
2022年の製作発表から早一年。
初日に鑑賞しましたが、上映終了後、拍手が起きました。
イベント上映でもない、キャスト登壇などない平場での上映にも関わらずそんな体験ができるのは、映画ファン・ゴジラファン冥利に尽きます。
(これまでの映画ファン人生の中で『インフィニティー・ウォー』『エンドゲーム』『ノー・ウェイ・ホーム』など、コアなファンがついているシリーズ作品のみです)
さぁ、ゴジラ祭りのはじまりです。
『ゴジラ-1.0』
(2023)
本作の魅力───これね、とにかく「音」だと思います!
まずは「ゴジラの歩行と咆哮」、シンプルだけどこれらの「音響」が素晴らしい!ここに惚れました!
ゴジラなど怪獣の迫力を感じる上で、そのふたつって基本中の基本かもなのですが、ここまでフォーカスをあてて魅力を爆発させた作品って国産ゴジラにおいては意外と少ないです。
本作の企画の核には「体感すること」があるようですが、映像的なゴジラの演出にこの上ないほど表れていますが、何よりそのずっしりと重さを感じる歩行の映像と音、そして観るものを圧倒する咆哮に一番表れていると感じました。
鑑賞から数日経って、何度もフラッシュバックというか脳裏によぎったシーン───つまり余韻として残ってるポイントでした。
映画鑑賞後、ひたすら色々な記事やインタビューや動画など読み漁ってますが、その中でこのゴジラの咆哮をどう収録したか?というのが好きな製作エピソードのひとつです。
その製作方法というのが、なんとZOZOマリンスタジアムのだだっ広い空間で大音量でゴジラの咆哮音声を流しそれを収録する、というもの。
監督は当初「録音の音声を流して、その録音を採用するってどうなの?」と半信半疑だったそうですが、これが凄かったようで。
本当に外でゴジラが、しかも目の前で咆哮しているように感じたそう。
ホントおっしゃる通りで。凄かった。
ワタクシ、この咆哮を映画館の大迫力の音響環境で聴きに行くだけでも、お金出せますw
そしてそして、「音楽」ね。
本作のスコアがねぇ、最高なんす。
かの有名なゴジラのテーマについて、公式に世に出てる範囲でいうと今作の音源が新録としてはかーなーり、久しぶりのものですよね。
(『シン・ゴジラ』の際は新録したものの劇中には採用せず、伊福部昭先生の音源をクリーニングしてそのまま使用してるので)
現代の最高の音響や設備、演奏やサウンドメイクにより蘇ったゴジラのテーマは泣けるほど素晴らしい。
もちろんそこは素晴らしいのは聴くまでもなく分かりますが、さらに今回は佐藤直紀さんのオリジナルスコア───『ゴジラ-1.0』という映画に一番合うように創られたサウンドが格好いいんです…!
詳しくは後述します♪
そもそもですが、ワタクシ、ゴジラファンのひとりでございます。
家にはそれなりにフィギュアや関連本やグッズがあったりします。
小学生の時に観ていた「vsシリーズ」が自分にとってのゴジラです。
ただ、よくよく考えると「ミレニアムシリーズ」はちょうど自分がゴジラから離れていた時期に公開された作品で、『シン・ゴジラ』は(後述しますが)ちと複雑な思いを抱えた作品だったので、本ブログでここまでゴジラ愛を爆発させるのは初めてかもしれません。
2023年───ゴジラ愛、カミングアウトです。
ゴジラの魅力とは?
核の申し子やメタファーとしての怖い存在。
怪獣王として子供の憧れになり得る存在。
それは怖い・悲しい存在でもあり、格好いい存在でもあるように、シンプルさと複雑さ、どちらでも語れる存在であることが魅力なのかもしれません。
ゴジラを観ていると、日本の伝統芸能・歌舞伎において役者が登場した時に合いの手を入れる気持ちがとても良くわかります。
(こちらも観たことはないですが)プロレスで悪役レスラーが人気があるというのが理解できます。
「よっ!!待ってましたっ!!!!」
2023年末は大きな作品がない分、久しぶりに「お正月はゴジラ!」という風潮が生まれるのでは?という期待も込めて、とにかく多くの人にこの作品を映画館で観てほしい…!お祭りになってほしい!と願うばかり。
(vsシリーズで育った身としては、ゴジラはお正月映画という感傷もありw)
年間100〜150本ほど映画館で観るのですが、その中でも特にモチベーション高く、そこに向けて生活を整えて行ったりする推し活的なことをしたりする作品があります。
これまででいうと、『クリストファー・ノーラン監督作品』と『LA LA LAND』でした。
ノーランはおよそ3年サイクルで新作を送り出してくるので、2023年は『オッペンハイマー』でもお祭りになる予定だったのですが、諸事情により日本のみ未公開となっております。
ということで映画ファンとしては寂しい夏だったのですが、ここにきてゴジラです。
久しぶりに"推し活"をしておりますw
自分にとってそれだけ魅力がある存在なんだなーと痛感する日々。
というかゴジラは怪獣という存在でありつつ、東宝の”大スター”なんです。
その大スターをずっと追いかけ続けてるという感覚です。
大スター主演の映画が7年ぶりに公開となります。みなさん、是非劇場へ。
「あれが、ゴジラ…」
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■『ゴジラ -1.0』あらすじ
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出兵していた敷島浩一は日本へ帰還するが、東京は焼け野原と化し、両親は亡くなっていた。
人々が日々を懸命に生き抜いていく中、浩一は単身東京で暮らす大石典子に出会う。
しかし、これから国を立て直そうとする人々を脅かすように、謎の巨大怪獣が現れて……
(映画ナタリー『ゴジラ -1.0』より)
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■全体評
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ここから先、ネタバレありです。
未見の方は鑑賞後にお読みください。
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「主人公にフォーカスを当て、それ以外の描写を極力排除したこと」
「復興しきっていない昭和の東京を舞台にひたすらに市井の人々がゴジラと闘う話にしたこと」
これにより反戦のメッセージも織り交ぜつつ人間ドラマとゴジラが混ざり合う効果をもたらし、前作『シン・ゴジラ』との差別化を図り、改めて本来の生身の人間として「怖いと感じるゴジラ」を復活させるということを大成功させています。
銀座襲撃シーンではゴジラがガッツリ人を踏み潰しているなど、なかなかに攻めた仕上がりになっております。
(ちなみにこの描写についてスタッフから「レイティングなど考慮すると(このシーン)大丈夫っすか?」と言われた監督が「大丈夫。ガメラ3の渋谷のシーンとか前例あるから大丈夫」と言ったそうでw)
また、本作が過去一で素晴らしいポイントの一つは「人間ドラマとゴジラの融合」ですね。ここはすごい。
ここまで混ざり合えるのは戦後すぐという時代設定が功を奏してる感じがします。
しかし、それゆえに主人公が感じる「戦争」そのもののメタファーとしてはきっちり描かれていますが、そこに終始してしまいゴジラの核や戦争の恐ろしさの痛感やそれを劇中の多くの人が感じる場面がありません。
ひたすらに取り除くべき脅威として存在しています。
本作の感想をざっくり言ってしまうと、ゴジラまわりで+150点!人間ドラマで−30点!総合120点!という感じです。
もうね、ゴジラが出ているシーンはシリーズ中でもかなり大満足の部類!もう最高!
それだけで映画館に観にいく価値が十分すぎるほどあります!ありすぎます!
一方、人間ドラマ部分は脚本開発に3年もかけた割に薄いというか粗い感じがしてしまいました。
あらすじやプロットはいいんですが、脚本に落とし込む中でセリフがややスベってしまっている、演出で説得力に欠けてしまっているような感じがしました。
なので本作、大雑把に観ることをオススメします。
個人的には初回鑑賞時にとにかく前のめり前のめりに観てしまったため、全部の詳細を理解するぞ!どんな細かいことも逃してなるものか!という姿勢で観てしまったので、要所要所ツッコミどころでつまづいた瞬間があったもので。
(ただし、つまづいてる自分を劇中4度出てくるゴジラ(と呉爾羅)が蹴っ飛ばしてくれたので前に進めましたw)
本作では、ゴジラは既にいるモノ・在るモノとしての世界を描いてます。
びっくりしたのが、冒頭も冒頭の5分くらいでゴジラ───否、ゴジラになる前の呉爾羅がいきなり出てきたこと。
出てくるだけでなく、「あれ?ジュラシックパーク観にきたかな?」ばりのジェノサイドシーンから始まるわけです。
(この辺り、ジュラシックパークやジョーズの匂いを作品から感じ辺り、洋画やVFX作品を原点に持つ山崎監督らしいなーと思いました。良い意味でスピルバーグの影響を隠さず出していってる感じ)
本作のポイントである体感や絶望感で言うと、個人的にはここが一番怖かったかもw
ここの絶望感を生んでいるのは、呉爾羅と演出、そしてあとはワンカット撮影が大きいと思います。
若年兵が呉爾羅の恐怖に負けて発砲してしまってからは、敷島が吹き飛ばされるまで実はカットを割らない映像になっています。
これがだいぶ臨場感を生んでおり、その場にいるような感覚になります。
ゴジラになってからは生き物と神的存在の中間の何かになっているので、格好良さや迫力も相まって、(例えば)歌舞伎で主役が登場した時やプロレスで悪役レスラーと登場した時のような感覚になれるのですが、呉爾羅の段階ではまだシンプルに恐竜の生き残り的な生物感が満載なので、「喰うか喰われるか・殺るか殺られるか」という側面が強いのが理由かもしれません。
本作は初代『ゴジラ』へのオマージュも多数見受けられますが、設定としても初代のものを引き継いでる感じがします。
なので、これまでゴジラにあまり触れてこなかったという人が持っておくと良い予備知識としては・・・
・大戸島という架空の島で呉爾羅という存在が言い伝えられている
・呉爾羅は恐竜の生き残りのような怪物で、まだゴジラではない
・ゴジラはビキニ環礁の水爆実験「クロスロード作戦」の影響により生まれる
この辺りを押さえておけば良いかと思います!
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■タイトル・ビジュアル(造形や設定)などについて
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山崎監督作品の通例として「作品タイトルが英単語+サブタイトル日本語」というものがあります。
・ALWAYS 三丁目の夕日
・GHOST BOOK おばけずかん
・DESTINY かまくらものがたり
・SPACE BATTLESHIP ヤマト
正直、最初にゴジラ映画のタイトルが発表された時は「今回はルール適用外にして欲しかったから良かった」とホッとした気持ちと、風の噂程度に流れてきた『ゴジラ・ゼロ』が格好いいなぁと思ってたので、マイナスワン…?という気持ちもどこかにあり、若干の引っ掛かりを覚えた自分もいました。
今では全く違和感ない上に、シリーズの中での差別化としても良いなと捉えられている自分がいます。
根拠のない予想ですが山崎監督による本作の続編構想は間違いなくあるだろうと思っており、次がゴジラ・ゼロになるのでは?と思っていたり。果たして───。
キャッチコピーも格好いいですよね。
「生きて、抗え」
『シン・ゴジラ』の時の「現実(ニッポン)vs 虚構(ゴジラ)」というコピーもかなり秀逸でしたが、今作のコピーもだいぶ格好いい。
映画を観終わった後にさらに響くコピーになっています。
そして、何よりゴジラのビジュアルね。
王道!
そしてその王道感が最高!
顔つきや全体のフォルム含め、非常に格好いいですねー。
ゴジラのビジュアルって過去29作品でマイナー・メジャーアップデートを繰り返していますが、一般的に「ゴジラ」と聞いて想像する姿は平成ゴジラシリーズのそれが多いと思われます。
『ゴジラ-1.0』におけるゴジラはその辺りを継いでいる感じがしており、平成ゴジラファンとしては非常に嬉しい気持ちでいっぱいです。
ゴツゴツした見た目、マッチョな体型もイイですが、特に背びれと胸・肩周りのシルエットが格好良くて好きです。
目については結構はっきりした造形なので、ここだけ少し可愛すぎ?とも思いましたが、映画を観た後だと、ばっちり目線が合う感じ(見られてる感)が出て、ここもしっかり恐怖を感じる造形になってると感じました。
また、『〜 -1.0』におけるゴジラは体高が50.1mなんですが、初代ゴジラと同じサイズ感に戻ったことで、人間と同じフレーム内に収まるギリギリの大きさであるが故に、非常に怖さを感じるものになっています。
あと、ポスタービジュアルに使われいる振り返りゴジラより、後発でリリースされた銀座襲撃シーンにおける直立に近い歩行ビジュアルがねぇ、たまらんのです。
これがめちゃくちゃイケメンで格好良くて。。。。惚れました。
王道のゴジラ、復活!という感じがします。
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■音楽について
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スピルバーグといえばジョン・ウィリアムズ。
ノーランといえばハンス・ジマー。(最近はゴランソンかもですが)
宮崎駿といえば久石譲。
そして、山崎貴といえば佐藤直紀。
盟友というか戦友と呼ぶに相応しい存在なのだと思います。
ゴジラで育った自分が、高校生の時に佐藤さんのファンになり、20年経って佐藤さんのサウンドでゴジラ映画を聴ける。
こんな幸せなことありません。
まずは、「ゴジラのテーマ」ね。
もう、最高。
とてつもない高揚感を感じることができます。
このテーマ曲について、今作では全編を通して大きく三度聴くことができますが、この曲がかかるたびに「よっ!待ってました!」と合いの手を入れたくなりますw
現代のサウンドや音響、演奏・収録技術を駆使して、(もしかしたら)当時伊福部先生が本当に奏でたかった音を実現しているような感じを受けます。
サントラ収録リストとしては、[04.Godzilla Suite Ⅰ] [13.Godzilla Suite Ⅱ] [17.Godzilla Suite Ⅲ]が該当します。
今回はその中でも[〜Sulte Ⅱ]が『ゴジラvsデストロイア』のエンディング曲とほぼ同じ構成なのがグッときました。
あの有名なゴジライントロともいうべきファンファーレは、ど頭の一音の厚みがすごい。
腹にズシっとくる感じがたまりません。
また、テーマ曲のサビとも言えるドシラの旋律の後に流れる、スタッカート調のアウトロの格好いいこと格好いいこと…!
今回のアレンジではかなりアタックが強いので、その前のドシラの繰り返しとの対比というかメリハリが効いておりワクワク感が増してます。
とてつもない重厚なサウンドが跳ねまくってる感じに、劇場で観ている観客の鼓動も跳ね上がります。
このゴジラのテーマは伊福部昭が当初人間のテーマとして書いたものらしく、今回はそれを意識したのでは?と思うくらい、"人間たちのためのメロディ"に感じました。
今までは100%ゴジラのテーマとして耳に届いてたんですが、本作はかかってるシーン故か、不思議と「あ、これは伊福部先生が最初意図してた形の使い方・アレンジってこれなのかも」と思った自分がいます。
ゴジラという戦争の影を背負った存在、核の申し子に抗う人間の姿を表現した勇ましさや必死さをメロディから感じ取れたからかもしれません。
そして、伊福部昭のテーマが使われてるのは当然(と言っちゃいけないかもしれませんが)として、肝腎要の『ゴジラ-1.0』としてのスコアがどうだったか。
これがね、また格好いいのよ。大好きっす。
サントラ収録リスト中、[05.Divine]が佐藤流ゴジラのテーマ、[12.Resolution]が佐藤流人間のテーマとなっています。
いずれの楽曲も、(ご本人がインタビューで言っていましたが)伊福部昭の楽曲がかなりメロディーが強いので、オリジナルスコアについてはメロディラインのない、雰囲気で語る曲が中心となっています。
『アルキメデスの大戦』『寄生獣』『永遠の0』『海賊と呼ばれた男』などのサウンドメイクと近いかと思います。
05,12あたりをとっかかりに、[07.Mission][14.Unscathed][15.Last]あたりをよく聴いてますが、どれもストイックでエモーショナルなBGMとなっており、現在毎日ヘビロテしております。
★余談
サントラ購入後気づいたのですが、パンフレットの佐藤直紀さんのインタビューに出てる「Despair」というタイトルは、実際に収録されている「Divine」に該当するそうです。
(ライナーを書かれた小林淳さんにX(旧Twitter)で確認しました)
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■シン・ゴジラとゴジラ-1.0
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『シン・ゴジラ』は終映後、(あの日あの時に限って言えば)「自分が大好きなゴジラが汚された」みたいに感じていたのが正直なところです。
あまりに愕然となりすぎて映画館外のベンチに座り、同じくゴジラファンの弟と愚痴の言い合いになったのを覚えています。
公開前に情報統制が敷かれており、知り得たのは「ほぼ劇中音声のない予告」と「メインビジュアル」のみだった中で、静止画でのゴジラのビジュアルは禍々しくて大好きだったのと、予告編の雰囲気が良かったので、鑑賞前まではとても期待していた自分がいました。
ところが蓋を開けてみたら形態変化という設定の導入、放射熱線時のゴジラの造形など、とにかく「ゴジラ周り」の全部が違和感しかなく。
また、使徒的な描き方やカット、音楽もエヴァと同様のものが使われるといった点への抵抗感が強すぎました。
さらには、国産ゴジラとして初めてフルCGで描かれたゴジラでしたが、庵野総監督曰く「特撮での動きをCGを使って再現しようとした」らしく。
その試みについて心意気は買うけども、仕上がりには違和感しかありませんでした。
格好いいと思えるカットももちろん多々あるのですが、歩行一つとってもぎこちないと感じるシーン(野村萬斎のモーションピクチャー採用シーン、鎌倉上陸後の林越しのシーン)があったり、神がかったような歩行を見せたと思ったら、放射熱戦の時はやたら動くし。その動きもなんかチープでしたし。
全編を通して変なシーンと格好いいシーンがガチャガチャしており、歩調や動き含めた存在のトーンが統一されてない印象を受けました。
と、色々言いましたが、今では『シン・ゴジラ』を好きになってる自分がいます。
それは1996年にコケたハリウッド版ゴジラ(通称「エメゴジ」)を「ゴジラ」とは切り離して観ると、シンプルに面白いモンスターパニック映画と感じるようになったのと似てるかもしれません。
「東日本大震災」をテーマにしたモンスターパニック&政治風刺映画として観ると、抜群に面白い。
あれだけ大変な目に遭い、至らぬ点(もちろん美徳も示しつつ)を世界に晒した日本人が、「こういう国や政府だったらよかったよね」という最大限の皮肉と風刺も込められているようにも感じ、非常に興味深いです。
あと、庵野組の特徴として変わったアングル・既存にないアングルで撮ろうするところがありますが、『シン・ゴジラ』ではそれが成功しており映像的な面白さが満載でした。
第一作目の『ゴジラ』が太平洋戦争と核という当時の日本人がまだ生々しい記憶を呼び起こしつつ、エンタメに昇華し、文化的にも大きな影響を与えたわけですが、『シン・ゴジラ』についても正当な現代版アップデート作品(語弊を恐れず言えば「現代版リメイク作品」)として日本人の生々しい災害の記憶を呼び起こす快作なのだろうと思います。
また、伝統あるシリーズゆえに、そこから脱却して新しいモノ・新鮮で面白いものを届けるというのは至難の業になってもいるわけです。
そこまでトーンや作風を変えつつ、ゴジラのビジュアルも変えつつ、面白い映画にして、稼ぐ。
なんと難易度の高いことでしょう。
それをやってのけたということ、正に長い伝統におけるゲームチェンジャーになったことへの尊敬の念が強くなっています。
ただ、やはり「ゴジラ映画」と捉えきれない(というより災害映画やポリティカルサスペンスとしての側面の方が強いと感じる)のも正直なところです。
そういう作品がシリーズ歴代興収1位となり、社会現象やブームになったことに対する複雑な感情というのがあるのって、、、分かって頂けますでしょうか・・・?笑
そこへのカウンターパンチとして王道を走らんとする本作『ゴジラ-1.0』の姿勢は、もう『推しが武道館行ってくれたら死ぬ』レベルの嬉しさがあるわけです。
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■ゴジラの描き方
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ゴジラは怖い存在、核や戦争のメタファーとしての存在だと個人的には捉えているので、人類にとって怖いゴジラが一番歓迎なのですが、それを最大限に表現するのはやはりゴジラ単体の作品(あとは『ゴジラvsデストロイア』と『GMK』)ですね。
・1954年版:『ゴジラ』(本多猪四郎監督)
・1984年版:『ゴジラ』(大森一樹監督)
・2016年版:『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督)
・2023年版:『ゴジラ-1.0』(山崎貴監督)
こう並べてみると、ゴジラ単体の作品って全体の作品数30作品に比べて非常に少ないですよね。
一番最初のオリジナル作を除けば、3作のみ。
役割としては原点回帰や再スタートが強いですが、本作はひたすらゴジラの脅威・怖さ・絶望感を令和の世に甦らせるというポイントに終始しています。
そのポイントは非常に好感が持てます。
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■海のシーン
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今作の多くが海のシーンなんですが、人間を相手にしつつここまで徹底的にゴジラを海で動かした作品は過去なかったと思います。
怪獣同士のバトルで海が舞台というのは多々ありますが、その場合も怪獣同士の俯瞰だし、海といっても海中だったりすることが多いんですが、人間目線で海が舞台でゴジラの脅威をここまで描いたというのは映像的に天晴れ!
撮影がかーなーりー大変だったらしいですが、その甲斐ありまくりです。
「画」としてめちゃくちゃイイ!
印象に残る「画」が多数ありました。
例えば───海中を泳ぐゴジラはこれまでも多数ありましたが、そこから顔を出しつつ、人間が乗る小舟をすぐ後ろから追いかけるという絵面はね、すごい!このカットはめちゃくちゃ強烈です。
今回はゴジラのサイズ感が人間と同じフレームに収められるものなので、ゴジラに追いかけられる漁船の画などはまさにそれを活かしつつ、これまでにない画になってましたね。
これだけでも今作がシリーズの中で存在する意味や価値があります。
他にもクライマックスに「海上で」「人間が」決着をつけるというのもなかなか無かったもので、観ていてとてもワクワクしました。
どうやって倒すのかという重要ポイントも、「水圧を利用して倒す」というのはよく考えるとぶっ飛んでて穴だらけだけど、映画を楽しく観るためのフィクション性としてバランス感覚に優れた内容だと思います。
また、その設定を推し進める上で吉岡秀隆演じる野田が放つ「海の力でゴジラを殺す」という台詞も効果的です。
(またまた余談ですが、個人的に今回の映画でこれと「あれが、ゴジラ───」がかなり好きな台詞です)
あとね、本作がすごいのが間違いなく現時点で邦画の娯楽大作として最高点に到達してること。
VFX周りで違和感を感じることなく、物語に入り込めてエンドロールに突入できたこと。
これってすごいことです。
製作費がハリウッドのうん分の1である邦画の制作環境において、これだけのクオリティを送り出せるのですから。
それを最も象徴してるシーンで、個人的に好きなのがこちら!
これCGっすよ?
特撮か実際にいるものを撮った映像にしか思えない。
初見時から度肝抜かれてたシーンです。
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■放射熱線の演出
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『シン・ゴジラ』のゴジラの熱線に関する設定改変はかなり抵抗感が強かったのですが、今回のは格好良かったですねぇ!
①熱線発射までの準備としてというか儀式的にゴジラの背鰭が盛り上がり、核爆弾発射のスイッチを押すかのようにガシャン!と元の位置に引っ込むというと同時に熱戦が発射される。
②熱線が弾着したグラウンドゼロには壮絶なキノコ雲があがる。
③放射熱線を頻発するわけではなく、一撃必殺的なもの───ゴジラにとっても制約のあるもの
このあたりが今回改変された部分になってます。
後述しますが、今作において、ゴジラがどういった負の側面を背負ったキャラクターなのかを劇中の人物が感じることはありません。その中で、この熱線の脅威・威力とそのビジュアルは「核」を思い起こさせる重要な要素となっています。
②はもうそのままですね。その後の黒い雨と相まって怖かったなぁ、この場面。
あと、①の改変により、発射されるまでのサスペンス感がこれまでのゴジラシリーズ中でも群を抜いています。
(というか放射熱線にこういったサスペンス展開を持ち込んだのは国内シリーズ初と言ってもいいかもしれません)
この演出により、当たり前になりつつあった放射熱線に新たな効果や緊張感・特別感をもたらしており、非常に良いなぁと感心してしまいました。
この背びれの仕掛けは、実際の原子爆弾の仕組みにある「インプロージョン方式」に着想を得たものらしく、その辺りもかなり核のメタファーとしての存在であることを想起させるものになっています。
その背びれがせり上がっていく中で、銀座にいた人々が本能的に恐怖を感じるシーン、スローで各人の表情を捉えているのですが、ここも良いですねぇ。
ちなみにここでチラっと映るのは橋爪功ですw
特にノンクレジットなので、完全にエキストラとして出演されたんですねw
『アルキメデスの大戦』など過去作で山崎監督と仕事された縁からですかね?それとも彼が生粋のゴジラファンだったり…?笑
そして、発射後に悠々と銀座を闊歩するゴジラは、くぐもった太陽の光を浴びてある種の神々しさを讃えています。
このシーンのゴジラ、格好いいんだよなぁ。
ゴジラをやる上でどんなゴジラにするかってやっぱり大事ですし、それぞれの監督が作家性をレギュレーションの中でうまく差し込んでくるところだと思うのでw
山崎ゴジラ 改め マイゴジ最高っす!
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■惜しいと感じた点
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【人間ドラマパートにおける脚本と演出】
とにかく人物造形と、彼らの心情変化についていけなかった点に尽きます。
個人的にはですが、今回は主人公に感情移入できなかったなぁ…。
主人公の心情の移り変わりがマイナスに転じるところはとても分かりやすく、且つ感情移入しやすいのです。
例えば冒頭の怖気付くところや臆病風に吹かれるところ、銀座で大切な物を奪われてしまうところなど「マイナス」に転じる瞬間は、もう神木くんの演技と相まって非常によかったです。グッときました。
でも、典子と明子のことを前向きに捉えようとしたこと、作戦に参加しようとしたこと、最後生き残ろうと決意したところの「プラス」に転じる部分が「なぜ?」と唐突に感じてしまいました。
(これは役者の力量かもしれませんが)神木くんって子供慣れしてなさそうor苦手?なのかも?と感じました。
「海神作戦」の出撃前夜にあきこと二人だけで話すシーンは、仮にも数年ともに暮らした子供にしては、なんとも言えない距離感を感じました。
少なくともあきこが「とうちゃん」と呼ぶにしては遠い距離感です。
また、ラストに典子の病院にあきこを抱えたまま駆け込みますが、その際抱き抱えられた明子が敷島を見る目ってあれでいいのかな・・・?
などなど。
これは敷島が感じるためらいや、擬似家族である故の遠慮など、あえて意図して描いたものならばいいのですが、ちょっと役者の力量と現場での子役のディレクション不足に感じました。
あと、典子のキャラ、途中で人変わった?くらい変わってたような…。
まぁ、自分の了見の狭さや見識の狭さがあると思うので、戦後直後の殺伐とした空気や荒廃した環境で生き抜いている時と、比較的安定してきた状況では安心感が段違い故に気持ちが穏やかになるであろう、とは思います。
子供を育てる中で母性が強くなり、親としての雰囲気を大きく纏うようになったから、という解釈もできます。
ただ、後半につれ穏やかな人物像になっていくのがちょっと違和感を拭いきれなかったのも正直なところです。
あとは、ゴジラを倒そうとするこの民間主導の作戦会議の場で、「なぜまた戦争のように命を懸けろと言われて行かなければいかないのか」という空気から、自らの意思で志で、そして若者を送り出すのではなく若者を残し大人が行く、という決意までの重要な「転」の部分で、なんというかわざとらしさや狙いすぎ、言葉や表情に説得力が感じにくい演出になってしまってました。
また、安藤サクラ演じる澄子さんも気付けばただの良い人になっており、、。
子供を失ったものの隣人の訳あり一家とその子供を世話することで戦後の自らの気持ちの拠り所としたであろうことは想像つくものの、そのあたりの変遷を描く描写もなく、良い人になってからは特に物語に影響してこないので、彼女のとてつもない演技力をもってしてもこの役が記号的に扱われてる印象は拭えませんでした。
秋津もなぁ、、、佐々木蔵之介のすごい演技力がまったく活かされない役だと感じてしまいました…。
大きな声を出して大局観を演出したり唐突に主人公にただ怒鳴ったり、というキャラクターに感じてしまいました。
また、野田の出自もよく分からず。。。
ここは劇中で秋津も「そんなに偉かったのか?」や「作戦は穴だらけだな」とつっこんでますが、つっこめば解消されるわけはなく、政府とどういう繋がり?と感じるような唐突にとんでもない作戦の先頭というか主導者に躍り出てる感があり、、、
あと、主人公の物語が全体の物語になってるのですが、キャラクターの相関が物語にあまり影響してこないのが物足りなかったなぁと。
それぞれの関係性が点と点になっており、各人の中で変化して完結する感じがしました。
まぁ、そのあたりもとにかく主人公の敷島目線で進めると振り切ったゆえに篩から落ちたものと解釈すれば気にならないところもあるとは思います。
各人が何故そう振る舞うのかについて、背景描写が圧倒的に足りてないので致し方なし。
【ゴジラとは?の割愛】
今回のゴジラはもういきなり現れてひたすらどう倒すか?という点に注力してるので、ゴジラがなんなのか?やその来歴や来し方などはほぼ描かれてません。
登場後からひたすらに倒すべき存在として描かれています。
また、冒頭から大戸島にはゴジラなる恐竜が住んでいることをサラっと伝え、ビキニ環礁の水爆実験の因果関係や何が起こったかは数秒のイメージカットのみで物語が進んでしまっています。
なので、怖い・体感するゴジラにはなっているものの、第1作が提示したような「核の恐ろしさやそこへのアンチテーゼ」みたいなものはほぼ感じることができなかったですね。
(「核」のメタファーとして描かれていたゴジラが今回の物語では「戦争」のメタファーに切り替えて描かれているというのもありますが)
種々のインタビューや記事を読んでいると、今作で描きたいテーマに沿って、上記のあたりはスポットライトを浴びせるのを敢えて省略し、戦後日本の民間人たちが立ち向かう話に終始したという気もします。取捨選択としては正しいと思います。
ただ、やはりゴジラ本来の持つ「核」というものへの痛烈なメッセージ感や風刺を出せるのは国産ゴジラならではですし、ゴジラにとってその「存在の意味」って非常に重要じゃないかと思ってるので、そこに言及されなかったのは少し残念でした。
…というところまで考えましたが、現在進行形で「戦争」というものが起こっている世界においては、「戦争」としてのメタファーのゴジラが、出るべき時に出たのかもしれないとも思いました。
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■その他好きなポイント
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【山田裕貴の細かい演技】
本作で水島を演じた山田くんさすがだなぁと思うシーンが多々。
・敷島新居のお祝い宴席で典子にお酌してもらおうとするがスルーされる水島
・重巡高雄!?って喜ぶ水島
・特対の会議が始まるところで海軍の兵士たちが集まっている様子に少し興奮する水島
・会議中、敷島を気にかけ肩に手を置いたり心配する表情を見せる水島
【遠藤雄弥】
山崎組として最強の布陣で臨んだ本作に、『ジュブナイル』で主演した遠藤雄弥が出ているのが個人的に非常に嬉しかったです!
【銀座のアナウンサー】
銀座襲撃の際、マツダビルの屋上で中継するアナウンサー達がいますね。
ここは完全に初代『ゴジラ』へのオマージュです。
演じたのは須田邦裕さん。
よくお見かけする俳優さんですね。
あとは、谷口翔太さんという俳優さんは、『シン・ゴジラ』でもゴジラと戦って、『ゴジラ-1.0』でもゴジラと戦った稀有な方です。
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■ラストシーンについて
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これ、ちゃんと観ると限りなくバッドに近いビターエンドですよね…!
ラスト、典子は生きてはおり疑似家族が本物の家族になるチャンスが与えられハッピーエンド──といった様相を呈しつつ、その直後に、意味深に典子の首元がクローズアップされます。
そこには黒く変色した皮疵が見えます。しかも現在進行形で侵食が進んでいるような描写まで。
既にこのシーンついて様々な考察が飛び交っていますが、これを被曝という現実路線にするか、G細胞の感染やパンデミックという作品の世界観に思い切り囲い込みをかける路線にいくのか、そのあたりが気になります。
山崎貴監督と彼率いる白組という製作の座組で続編やシリーズ化の構想がすでに在るのか、これから決まるのか、はたまたまったく違う制作者に託すのか。
(ちなみに、一作ごとに長い間隔をあけて、毎作ことなりつつもカラーの強い監督に託して作家性を爆発させてもらい、世間に爪痕を残す作品を作ることでゴジラというブランドを継いでいくという戦略はとても興味と好感が持てます)
ただ、今回についてはこのまま山崎監督が続編を作りそうな匂いがしています。
『-1.0』というタイトルに込めた意味の一つに「助走」という言葉がありました。
本人もやりたいという話をどこかのインタビューで話しており、東宝×山崎監督でいくつものシリーズ化を経験していることもあり、確度は高いと思ってます。
(『-2.0』とかではなく、次作は『ゴジラ0(ゼロ)』とかが良いなぁ)
議事堂をふっ飛ばしたり、銀座が危険なレベルで放射能汚染されてしまっていたり、皮膚の黒い変色という謎を残したり、ゴジラ復活の兆しがあったりetc. いろいろと謎を残したりクリフハンガー的な要素もあったので、是非このあたりは次回。ね、東宝さん。
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■ハリウッドでの公開
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国内マーケットとしては『シン・ゴジラ』を興収で超えることはないかと思いますが、おそらく海外興収は圧倒的大差で本作が勝つと思います。
もしかしたら、山崎監督のハリウッド志向は戦略的に発動したのかもしれません。
国内としては貧乏くじを進んで引いたけど、海外を意識して収益としてはトントンに持ち込める、と。
山崎監督は自らの志向や得意分野をわかってると思うので、本作を国外でもちゃんとウケる作品にしてきました。
その点、シン・ゴジラは海外の人が観て面白いかというとそこは疑問符がつきそうですよね。
面白いポイントやネタ的に見られる部分がことごとく日本人のツボだからです。
実際、『シン・ゴジラ』は公開規模も少なく、期間も限定的で一部の人に向けた「イベント上映」的な扱いでした。
アメリカのマーケットとしてはそっぽを向かれてしまった感じです。
でも大味映画としてエンタメしてる本作は、非常に海外向きなので、完全に通常上映のアメリカで普通の作品を公開するのと同等の扱いをされています。
・公開規模1500館
・RottenTomatoで高評価
・12/1の公開を目前に席が埋まり始めてる状況
・公開期限は最初から設定はせず
昨今の邦画としては異例づくめです。
快挙といっていいレベル。
12月以降は海外興収の推移が楽しみで仕方ありません。
アメリカ版ポスターの一種
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■あとがき
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本作、公開3日で観客動員数64万人・興行収入10.4億円という初動で、最終興収80億円を叩き出した『シン・ゴジラ』との観客動員対比で114.7%・興行収入対比で122.8%という成績を残しております!拍手〜!
ただ、正直『シン・ゴジラ』の時と比べ物にならないほどプロモーション費をかけてる気がするので、初動はそりゃめっちゃ来るよね、と。
なので興行成績としては「最終いくらまで行くのか?」がとても気になっています。
是非『シン・ゴジラ』を抜いていただきたい!と思いつつ、『シン〜』がリピーターを生むような映画だったのに対し、本作は何人もの人間が2度3度4度5度と観たくなる作品とも少し毛色が違う気がするので、興収は50〜60億くらいかな?という勝手な予想をしております。
(本音としてはめっちゃ推したいけど、思ったほどいかなかったら悲しいので、あえて控えめに言ってる節もありますがw)
ただ、一つ思うのは、内容や作品のトーンとして、海外配給では『シン・ゴジラ』よりウケるのではないでしょうか。
なので仮に国内成績が『シン〜』より低くても、トータルでトントンくらい行くのでは?
ちなみにIMAXももちろんいいですが、額縁上映(フレームがIMAXと同サイズに大きくなる作品ではなく、通常のシネスコサイズをそのままIMAXスクリーンで上映するので上下に黒の余白が存在すること)なので、今作はDolbyCinemaやDolbyAtmosをオススメします。
本作のプロモーションはずっと追いかけていますが、製作発表の会見で、監督が『らんまん』よりこちらがキャスティング先!って言ってたのがめちゃくちゃ面白かったですw
ほんとその辺り誤解されやすそうなので、ここでも監督に代わり言っておきます。
『ゴジラ-1.0』が先です!
…ただ。
同じように『屍人荘の殺人』のスタッフも同じこと言ってるかもしれませんねw
「うちがもっと先っ!」ってw
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■予告編
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