クルマの撮影の仕事は絵コンテ上で描いていた事を、実写で立体的に作り上げる楽しい仕事だった。
監督、キャメラ、照明、美術、特機、仕掛け、カメラカーとドライバー等のチームワークが重要で、一つでも欠ける事や失敗は許されない世界ですし、狭い業界で悪い評判は広がってしまう。
そして、クルマをぶつけようなら、この撮影業界では生きていけない厳しい世界でもあります。
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撮影の仕事をしていて感じた事は、日本で仕事を続けるには業界は短命であると言う事だ。
アメリカなどはユニオンが強い権限を持っている関係で、雇用に関して問題が無く自分で引退を決める事が出来るが、日本の場合はユニオンが無く年齢が増えるにつれて仕事量も減っていく。
現在の業界では「安い、早い、文句を言わない」スタッフが受けが良いと言われている。
技術職の仕事は技術を覚えてしまえば、独立心があれば自分で始めてしまうのが常だ。
26年間仕事をして従業員を雇い、時間を掛けて技術を教えても独立して競争相手になってしまう。
大きなパイを3社で食いつないでいたが、数が増えればその食える量が減っていく訳だ。
自分が引退して食いつないでゆく次の仕事は、人を雇わず一人で出来る仕事と考えていた。
私も40歳始め頃は仕事は忙しかったが、自分が引退をしてその後に生きてゆくには、何の仕事で幾らぐらい収入があれば、引退後の生活に不自由しなく生きていけるのかを考えていた。
そして41歳でネットでの中古車輸出を始めて、撮影の仕事と並行して順調に軌道に乗り出した。
同時に勉強していた不動産投資も実となり、43歳でフルローンで1棟マンションも買う事が出来た。
自己資金も使わず不動産投資も2棟に増えて順調だったが、中古車輸出のネット販売もリーマンショック以降、円高や過当競争で減ってゆき値段競争に入る様になった。
私がターゲットとしていた、チューニングカーの輸出にも旨味を知った同業者の参戦で、高価格で美味しかったパイもやがて奪い合いになり陰りが見えてきた頃だった。
会社は4年前に閉めて不動産投資だけの収入で暮らせるようになっていた。
3.11後に不動産バブルが始まり、私の物件も購入価格を上回る価格で売却してしまい、現在は別な投資の配当で暮らしているが、日本で撮影の仕事をもう一度やってくれないか?と言われれば私は断るだろうが、アメリカでこの様な楽しい撮影の仕事だったら引き受けるかもしれませんね。
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