続きを書きます。

 

前回の記事はこちらです。

 

 

イングランドは、かなり強烈な方法で教会税から逃れようとしました。 フランスもです。フランスに関しましては、少し時代を遡りますが、1309年にフィリップ4世による教皇のバビロン捕囚によって、フランスのアヴィニョンとローマに2人の教皇がいるという事態が起きて、カトリック教会大分裂が起きていたのです。

フランスの対教皇、対ユダヤ人の政策をこちらに書きましたが、その原因となったものも実は教会税だったのです。

 

 
 
この状態は1417年の公会議まで続いていました。この会議でローマを唯一の教皇庁とすることが決定されられましたが、教皇庁の権限よりも「公会議」の権限を優先することが新たに定められたのです。公会議とはカトリック教会の世界会議です。それ以前はローマ教皇庁の方が強い権限を持っていたのです。

 

イングランドとフランスは、教会税から完全に離脱できたわけではないですが、かなり距離を置くことができていました。

しかし、10分の1税との距離を置けずに、沈んでしまった国もありました。
それがスペインでした。


大航海時代まで、スペインはまぎれもなくヨーロッパ最強の国でした。
アメリカ大陸、アジア、アフリカなど世界中に植民地を持ち、日の沈まない帝国とも称されました。しかしスペインは世紀の後半になって急に、大転落してしまいます。
一時栄華を極めていたのに…です。世界中に持っていた植民地も、イギリスとフランスに持っていかれてしまいました。
帝国主義の時代と言われた17世紀から19世紀には、ヨーロッパの強国の座からは外れてしまいました。


何故スペインが16世紀末に急に衰退したのかというと、やはり教会税だったのです。スペインは、もともと天然資源に恵まれた地域でした。
古代ローマ帝国の属州イスパニアにその起源がありますが、古代ローマ時代から繁栄
していました。金、銀、銅、鉛などが良質な鉱山があり、農地としても豊穣で小麦、オリーブ、ワインなどの産地でした。 広大な古代ローマ帝国の中でも9番目の都市であり、小ローマとすら呼ばれていたほどでした。


スペインが大国としての形を整えたのは、15世紀からです。
中世のスペイン地域はイスラム勢力にたびたび侵攻されていたのを、15世紀になるとキリスト教勢力がイスラム勢力を駆逐することに成功しました。

そして1479年には、この地域の二大王国である「カスティーリャ王国」と「アラゴン王国」が婚姻により統合されたのです。イサベル1世とフェルナンド2世の結婚をもって統合となりました。

※実は、14世紀後半のカスティーリャ王国で不穏な動きがあったことがわかってきました。この出来事が悲惨な未来を作った可能性もあります。この頃はイギリスとフランスの百年戦争の真っただ中であり、どうしても他国がおろそかになりがちですね。やはり歴史は多角的に見る必要があります。

 

イサベル1世とフェルナンド2世の結婚でヨーロッパの大国スペインが誕生します。

 

 


大航海時代になると、スペインは全盛期を築きます。当時のスペインは強力な海軍力を誇っていました。
その海軍力により世界の海に乗り出し、広大な植民地を獲得支配してきました。 1571年にはレパントの海戦で、キリスト教国の宿敵だった大国オスマン帝国を破り、スペインの艦隊は無敵艦隊と言われるようになったのです。

ところが実はスペインは、オスマン帝国を破った当時から、深刻な財政問題を抱えていたのです。スペインは財政危機が慢性化し、デフォルトを複数回起こしていましたた。参考までに各国の財政破産の回数を書きます。

 

19世紀までのヨーロッパでは、スペイン14回、フランス9回、ポルトガル7回、オーストリア・ハンガリー6回などです。

20世紀以降でみると、トルコ5回、ポーランド3回、ルーマニア3回、ロシア3回、オーストリア2回、インドネシア4回、インド3回、中国2回などです。中南米となるとひどく、ブラジル7回、チリ7回、エクアドル7回、コスタリカ6回、ペルー6回、ウルグアイ6回、アルゼンチン5回などです。

 

フランス9回もヤバいんですけど、フランスのデフォルトはルイ14世の戦争のしすぎが大きいですね。そしてスペイン14回は尋常じゃないですね。

デフォルトは戦争と恐慌の時期に多発し、ナポレオン戦争と大恐慌のときには、世界の半分の国が対外財政破産に陥っていたらしいです。また銀行破産の多発時にも増大していました。

 

1556年にスペインの王位を継いだフェリペ2世は、アメリカ大陸などの広大なスペインの版図を相続しましたが、 引き継いだ負債はそれよりも大きかったといいます。



そのためこの国王は、1557年と1575年の二回にわたって破産宣告をしています。
破産宣告といっても、すべての財産を失って無一文になったわけではなく、各地の商人から借りた金を「返せません」と宣言したのです。
つまりデフォルトです。
このデフォルトによって、当時のスペイン最大の商都アントワープの商人などは大きなダメージを受けました。
もちろん、これはスペイン国王にも大きな打撃となりました。


今も昔も同様、デフォルトを起こしたときの一番のデメリットは、信用を失い次に借金がしにくくなることにあります。デフォルトを起こすような人 (国)は、借金をしなければやっていけない状態のことが多いのです。その状態の中で新たな借金ができないとなれば、経済状態はさらに悪化していきますね。悪い条件でしかお金を貸してくれなくなるし、担保などの形で資産を切り売りしなければならなくなります。スペイン国王といえどもそれは例外ではありませんでした。


またこのフェリペ2世の後を継いだフェリペ3世は、王位を継承した時点で歳入の8倍にも及ぶ負債がありました。
世界中に植民地を持ち、アメリカ大陸から膨大な金銀を持ちこんでいたスペインが、何故ここまで財政悪化していたのかというと、その原因はやっぱり教会税でした。
スペインはイスラム世界と接する地域にあり、「キリスト教の砦」を自認していたくらいでした。そのためイスラム圏とは、つねに小競り合いを繰り返していました。その軍備だけでも相当な財政負担となっていました。


かの無敵艦隊も、相当の維持費ががかかっていました。 この維持費は1572年から1575年の間に1000万ダカットかかったと記録されています。これはスペインの歳入の2倍にあたる金額です。

 

 

最初から赤字なのに無理して保持していた無敵艦隊って一体…
スペインはイスラム勢力との最前線に位置しているので、カトリック教会から特別に資金的な支援を得ていました。しかし、それは教会がスペイン国内から徴収している教会税の一部を返還するというだけのものでした。教会税がスペイン国民の大きな負担になっていたことは変わらなかったのです。 また教会の支援額だけではスペインの戦費を埋め合わせることなどとてもできませんでした。

そしてスペインは、キリスト教世界で宗教改革が起きたときも、カトリック教会支持にこだわってきたのです。
そのせいでの10分の1税など教会税の縛りを受け続けることになったのです。

 

続きます。

 

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