続きを書きます。

 

前回の記事はこちらです。

 

 

ルターの宗教改革に触発され、国ぐるみでカトリックから離脱するケースも出てきました。教会税の負担に苦しむキリスト教を国教としていた国々は、宗教改革は最大の好機だと捉えました。


その代表的な例がイングランドです。
ヘンリー8世の治世の16世紀前半、イングランドのキリスト教徒たちは当然のように10分の1税を払っていました。 これは4分割され、その一部はイギリスからローマ教皇に送金されていました。
税収不足に悩んでいたヘンリー8世は、宗教改革という好機を逃しませんでした。



ヘンリー8世…身長182cm、体重130kg、ウエスト135cm滝汗

元職場にヘンリー8世そっくりなおっさんいましたよ…ガタイ良くて作業着着て厳つくて、ヘビースモーカーでセクハラ発言多くて…あー嫌なこと思い出してしまったあせる

肖像画を見てふくらはぎがパンパンに見えると思うのですが、この時代はふくらはぎがたくましい男性が魅力があるとされたそうです。ヘンリー8世は少しでも良く見せようと靴下止めをきつく締めすぎたため、足の血流が悪くなり、そのためにできた潰瘍の痛みに生涯苦しめられたそうですね。

 

あと、股間の装飾品…コッドピースが流行したそうです。股間をもっこりさせて男らしくゲローだそうです。あ゛~下品。西洋人の趣味がよくわからん…。

気になる方は「カール5世」「アンリ2世」「フェリペ2世」あたりで画像検索かけて肖像画の股間見といてください…。カール5世は私の過去記事にも出てます。信長も南蛮貿易を通じてコッドピースつけていたのかも…。


ヘンリー8世と言えば、スペイン王女キャサリンとの離婚問題のためにローマ教皇から破門された人です。そのため、ヘンリー8世はイギリス国教会をローマ教会から離脱させたと世界史の教科書には載っていると思います。

 

ヘンリー8世もまた人格破綻しています。もう脳内麻薬がバンバン出まくってる時代ですから他国もおかしな方向に向かってしまいますね。

百瀬さんの動画にてエリザベス1世の前振りとしてヘンリー8世取り上げられています。サムネはメアリー1世となっていますが、ヘンリー8世の表舞台の話はこちらで解説されています。

 

 

ヘンリー8世と言えば、ド派手な女性関係のインパクトがあまりにも強すぎて見落としがちなのですが、実は破門そのものは、単なる口実にすぎませんでした。簡単に言えば、ローマ教会から破門されるようにわざと自分から仕向け、ローマ教会とイギリスの関係を絶ち、ローマ教会の収入を奪ったということになるのです。

1534年、イギリス国教会という新しい教会をつくり、国王至上法により、自分がイギリス国教会の最高位者であると宣言したのです。

国王=神であると。君主=現人神であるということですね。
これは、絶対王政の先駆けとなりますが、このような方向転換と再構築もまたインチキ自己肯定となってしまいます。ここで脳内麻薬も出ているのかなと思います。

脳内麻薬さえ出なければ、ローマ教会が腐敗した今、キリスト教から脱却するチャンスはあったのに結局キリスト教の呪縛から抜け出すことはできませんでした。

 

対するフランスではのちにルイ14世が王権神授説を用いて絶対王政を確立していきますが、プロテスタントのイングランドとしてはいち早く乗り出しましたね。後にイングランドではステュアート朝のジェームズ1世が王権神授説を出してくることになります。

ヘンリー8世は、イギリスのキリスト教会の財産をすべて国家の財産にすることができました。10分の1税も、自分に納めさせるようにしたことで利益を独占できるようになったのです。

 

追記:カバー写真変更しました。

聖ピエトロ大聖堂からイギリス国教会に変更しました。

 

 

もう一つ重要なポイントがあります。

キリスト教会の中に含まれる修道院の存在です。修道院の財産もローマ教会のものでした。しかし、ヘンリー8世は修道院の財産も没収するつもりでした。国家至上法の発布から6年以内に全イングランドから全ての修道院は姿を消しました。

修道院があると、信仰を隠れ蓑にして働かず、戦争にもいかない、国家に貢献しない人の寄生先になってしまいます。だから教会だけあればいい。

それがヘンリー8世の考え方だったのです。

 

国家至上法の制定が大英帝国へと舵取りすることになる一つのターニングポイントだと考えられます。先代のヘンリー7世とヘンリー8世では、統治の色がまるで違います。英国が変わった瞬間だと思います。

実は、ヘンリー8世がキャサリンとの離婚を認めるようにローマ教皇に求めたとき、既にヘンリー8世とローマ教皇の関係は悪化していました。というのも国王自身は、ローマ教会への10分の1税の支払いをやめていたからです。
当然のことながら、そういう状況ではローマ教皇が良く思わないのは当然で、案の定、離婚は認められず、破門とされてしまったのです。
しかし、ヘンリー8世にとっては、思惑通りにいったというわけです。

 

ところで、イングランドでは13世紀にエドワード1世がユダヤ人追放したことを過去記事にも書きました。

 

 

それをもって、「中世英国のユダヤ社会は幕を閉じる。再入国は1656年である。」というのが通説とされているのですが、どうやらそうでもないようです。

正式にはヘンリー8世の時から既にユダヤ人は入り込んでいたのです。

 

放浪の民という性質によって築かれた中継ユダヤ商人の独特のネットワークをもつユダヤ人は、薬学や医学、科学技術、国際情報で最先端の知識を有していました。スペインはそれを利用し自国を盛り上げ、イベリア半島のレコンキスタを完成させたのですが、1492年にユダヤ人を追放しました。その推移を冷静に分析していたのがヘンリー8世です。イベリア半島で追放されたユダヤ人の子孫の中には、イングランドにたどり着く者もいました。

 

ヘンリー8世は有能なユダヤ人を密かに呼び寄せ、スペインの内部情報を入手しました。宮廷ユダヤ人と呼ばれる医学、音楽、金融の専門家を登用し、ユダヤ人の情報ネットワークを利用します。ユダヤ人たちは、イングランドの宗教的寛容さと経済的繁栄に惹かれ、ロンドンに100人規模のコロニーを形成しました。

さらに1540年、ヘンリー8世はで初めて利息の上限を10%とする法令を出しました。キリスト教徒が禁じられていた利息徴収を、上限付きとはいえ可能にさせたのです。

 

イギリスが大英帝国として覇権を握るきっかけとなったのはユダヤ人の影響です。ユダヤ人たちの諜報活動が世界史の流れに大きな影響を与えるのはエリザベス1世からとなりますが、その基礎を作ったのはヘンリー8世です。

 

エリザベス1世はスペインに対抗するために「英国・オスマン帝国同盟」という壮大な構想を持っていました。ユダヤ人を優遇しなければ、スペインの無敵艦隊に勝つことなどあり得なかったのです。

 

エリザベス1世の表の歴史はこちらを見たいただくとわかりやすいです。

 

 

 

ただ、イギリス国教会を設立して収入を国が独占しても財政が厳しかったという実態があります。それでもスペインよりはマシですが…。

イングランドは、アイルランド、スコットランドとの統合を目指しますが、イギリス国教会、ピューリタン、プレスビテリアン、カトリックと4宗派に分かれていたため国内の争いが絶えません。カトリック以外の宗派は全てプロテスタントとなるのですが、プロテスタントの中の宗派でも対立したのでかなり複雑です。脱税のために宗派を変えてプロテスタントがこんなにも細かく分かれたとも言えますね。

 

プロテスタントも本来は生まれてこなかったかもしれません。

今ある歴史というのは本来あった国と国との二元性の流れ(宿命)を捻じ曲げた狂わされた歴史です。その責任は1491年のシャルル8世による略奪婚のせいです。シャルル8世については脳内麻薬の記事を読んでください。

 

 

略奪婚がなければ、イングランドとスペインとの間にアルマダの海戦は起きなかった可能性があります。

 

 

ONE PIECEという漫画も存在しなかったかもしれません。

歴史上実在する人物がモデルになっているキャラも多いので。

 

出典:ONE PIECE

 

もし、1491年の略奪婚がなければヨーロッパ諸国の均衡が保たれるのです。ヨーロッパに蔓延るキリスト教の洗脳が溶けたら、各国の君主たちは打倒教皇十字軍結成してたかも…。

 

もしこれが実現していた場合、今日の私たちの暮らしにまで大きな影響を及ぼしていたでしょう。少なくとも今よりは良いはずです。

 

それをぶち壊しにしてしまったのは全部シャルル8世です。

黒幕たちは長い歴史を経て筋書き通りに事が運んでさぞやほくそ笑んでいることでしょうね。

 

続きます。

 

脳内麻薬が消失した2023年4月7日よりオンラインサービスを開始しました。

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