脳内麻薬の件について引き続き書いていきます。

前回の記事はこちらです。

 

 

フィリップ2世の功績によって、名ばかりだったカペー朝は押しも押されもしない、ヨーロッパ第一等の勢力に成長しました。
 

そして孫のルイ9世の治世には王の品格も兼ね備えました。優秀な王の後は何故か暗君が出るというのが世界のどの王朝でもお約束なんですけど、珍しく

 

フィリップ2世→ルイ8世→ルイ9世→フィリップ3世と治世が続きます。

とまぁ、表向きの世界史ではそういわれているんですけど、ルイ9世は超キリストオタクでして、それをはがしてしまえば大したことのない王です。結局、君主というのは俗世のリーダーなので信心深さはプラスにはならないです。
ルイ9世の時にイングランドとの領土問題の解決に当たって、イングランドはノルマンディーやアンジューなど、ジョンが失った領地を正式に放棄することを条件にフランス領地はアキテーヌ地方のガスコーニュのみ認めるという条件で1259年パリ条約を結びました。平和的共存を図りたいという狙いがありました。

ルイ8世からフィリップ3世まではキリスト教徒でローマ教皇との関係も修復しました。ただし、ルイ9世の治世の時のローマ教皇は悪名高いグレゴリウス9世がいて、この人物からローマ教皇に悪神が入るようになりました。

 

 

さて、次のフィリップ4世です。端麗王と呼ばれています。

※肖像画に誤りがあったので差し替えました。申し訳ございません。

 

 

容姿に関してはここの記事ではどうでもいいかな。

はじめにローマ教皇に喧嘩を売った人物だと書きました。ローマ教皇は諸悪の根源なのでどんどん叩いてもOKです。

 

 

この人もカペー朝屈指の名君だと世界史では言われているんですね。イングランドとの均衡はパリ条約で保たれていたのですが、それを無視してイングランドとの闘争を再燃させたのです。
 

その原因は、1292年のノルマンディー船とバイヨンヌ船が起こした小競り合いで、この事態にフィリップ4世は封主の名において封臣アキテーヌ公でもあるイングランド王エドワード1世を宮廷に召喚したのにエドワード1世が応じなかったためです。
それを理由にフィリップ4世はエドワードの与えられていたフランスにおける領土の没収を宣告して戦争がはじまりました。しかし、戦争はお金がかかります。慢性的な財政難に苦しみます。そこで教会への課税を思いつきますが、教皇ボニファティウス8世は聖職者への課税を禁止にして妨害してきました。

 


これに怒ったフィリップ4世はフランスからローマ教会への送金を打ち切ってしまったのです。それに対して教皇は、ユダヤ教の50年祭をパクって聖年という宗教儀式を始めます。聖年とは、本来は、ある一定の期間をおいてローマを訪れ、決められた条件に従って祈る信徒たちに、教皇が聖年の大赦と呼ばれる特別免償を与える一年のことを言います。
この狙いはローマ教会の利権絡みです。ローマ教会も贅沢するためにお金が欲しかったんです。フランスが送金できないなら、信者にお金を持たせてローマに巡礼させればいいと考えたのです。これが思いのほかフランス庶民に受けました。これにはフィリップ4世も干渉の余地がありません。教皇の狙いは聖ピエトロ寺院まで来てもらって賽銭とお土産、食事代などでローマにお金が落ちウハウハしたかったのです。馬鹿馬鹿しい…。



 

しかし、フランス王にとってはフランス人のお金は全て自分のものです。それがローマ教会に集まるのはとても許せません。そこで、先代の残した貴族叙任状を制度化させて貴族ではなくてもフランス王の一存で貴族になれるようにしました。これが功を奏し、フランス貴族は王に対して好意的になりました。
フィリップ4世は教皇に破門されても強気な姿勢を崩すことなく、法曹官僚ギョーム・ド・ノガレを派遣して教皇が故郷アナ―二でバカンスしているところを捕らえ軟禁します。教皇ボニファティウス8世は憤死しました。この事件のことをアナ―ニ事件と言います。


アナ―ニ事件の後、フィリップ4世は教皇がローマにいる限りフランスからお金を引き出そうとしてくるから、いっそのこと教皇をフランスに住ませようと考えます。
そうすることで、教皇が贅沢してもフランス国内なのでフランスにお金が落ちます。そうすれば税金もかけられるし国外流出も起きない。
ローマ教会にとっては神への冒涜とも言われるくらいの無礼な行為かもしれませんが、そんなのは知ったこっちゃない、教皇選挙に介入してフランス人の教皇を選出し、1309年にアヴィニョンに教皇宮殿を建ててそこに住まわせました。

 

 

これを教皇のバビロン捕囚(アヴィニョン捕囚)と呼びます。1377年まで約70年続きました。もちろん選ばれた教皇は全員フランス人でした。

こちらの動画も見ていただくと理解が深まります。アナ―ニ事件とローマ教皇のことを扱っています。

 


そんなフィリップ4世の治世にネールの塔事件が起きます。

 

 

王子の妃たちが不倫をしたとして告発されたのです。

 

 

妃たちは姦淫の罪で有罪判決になった者の慣例に倣い剃髪され、黒い服を着させられ頭には黒い布を被り、ガイヤール城に投獄されました。

 

 

また、不倫相手の男性たちは拷問を受けた後、グレーヴ広場にて処刑されました。

 

 

この事件を機にサリカ法が厳格化され女性の相続は例外なく認めないことになり、フランスの男尊女卑はより一層強まりました。

 

このサリカ法の厳格化で有利になる国といえばイングランドです。

この事件はイングランドによる陰謀説も出ています。

 

また、イングランドとのもめごとで万年財政赤字に苦しむフィリップ4世は、テンプル騎士団に目をつけました。テンプル騎士団も多額の寄付を受けていたのです。十字軍の終了した今、テンプル騎士団の存在理由はないと判断し、テンプル騎士団の幹部たちを一斉に逮捕し死刑にして財産を没収してしまったのです。この事件の後、フィリップ4世は死去し、フィリップ4世の嫡子が全て死去し、カペー朝が絶えてしまい350年の幕を閉じました。
テンプル騎士団が黒魔術や悪魔術を使ったのかどうかはわかりませんが、この事件を「テンプル騎士団の呪い」とも騒がれました。この辺も本当かどうか怪しいです。

何かが暗躍しているのかもしれません。


 

この後のフランスの王位は、フィリップ4世の弟ヴァロワ伯シャルルの子が継いでフィリップ6世となります。従弟が継ぐのでカペー朝のままでも大丈夫そうなのですが、イングランド側からクレームがあったのでカペーと区別してヴァロワ朝となりました。イングランドとは依然対立したままです。カペー朝が断絶したのを機にそれに乗じてイングランドが戦争を仕掛けてきます。

フィリップ4世の娘にイサベラがいました。「佳人イサベラ」の異名を持つ美女です。イサベラの嫁ぎ先がイングランド王のエドワード2世でした。

イングランド・フランス両国の家系図を見てみましょう。

 


その子がエドワード3世です。

 

 

フィリップ6世の王位継承に異議を唱えてきました。
母がフィリップ4世の娘でフランスの王位継承権を持っている。その息子である自分の方が王位に近いと主張してきたわけです。エドワード3世はカペー朝の直系になります。また王位継承に異議を唱えることでジョンの時代に手放してしまったアンジュー家の失地回復が目的だったりもします。
そして様々な揉め事があったなかでフランスに戦いを挑んできました。1337年のことです。


そうしてかの有名なイングランドとフランスの百年戦争がはじまったのです。百年といっても百年間ずっと戦争していたわけではなく途中で休戦してまた戦争を再開していました。

百瀬さんの動画でヴァロワ朝のはじまりがわかりやすく解説されています。佳人イサベラの正体もここで語られています。

 

 

 

百瀬さんが一生懸命説明している百年戦争クレシ―の戦いについてはこちらがわかりやすいかと思います。

 

 

ただ、海外の動画なので日本語字幕の設定をオンにしてください。英語のためフランス君主名の訳が微妙なところもあります。シャルルがカールになっていたり、フィリップがフェリペになっていたり。まぁ、正しいっちゃ正しいんですけど、英語、フランス語、ドイツ語でのニュアンスで変わっちゃうんですよね…ただ、勢力図や戦争の臨場感を感じやすいと思います。

 

結果はイングランドの圧勝で終わり、1347年に一旦休戦協定を結ぶ運びとなりました。

実は、フランス国内でも内乱が起こり始めます。ブルターニュの地でも百年戦争の代理戦争としてブルターニュ継承戦争が勃発しました。ヴァロワ朝は百年戦争なしには語れません。そして、ヴァロワ朝の家系は毒親が続く恐ろしい家系となっていきます。王朝をまたいで脳内麻薬発生への下地が少しずつくられていきます。続きます。

 

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