続きを書いていきます。

 

書けば書くほど、妨害されている気配がします。こまめに下書き保存しないといけないくらいになってきました。せっかく書いていたのに、ブラウザがフリーズして強制終了になって3分の1文章が消えました。。。悲しい…気を取り直して書きます。

 

前回の記事はこちらです。

 

 

イギリスは国なのにフランスの臣下というのがややこしいですね。ヨーロッパの封建制度というものは、日本の御恩と奉公みたいに臣下が主君に忠誠心を示すとは異なるのです。ヨーロッパの場合は、放っておけばバラバラの小国に別れていってしまうものを一方を封主とし、他方を封臣として相互に主従関係を取り結ぶことで何とかつなぎとめておこうとするのがヨーロッパの封建制なのです。

だからかえって主の方が立場が弱いのです。戦国時代の室町幕府と戦国大名の構図みたいなものです。織田信長は将軍足利義昭に対してかなり強気でしたよね?あんな感じだったのです。中国のように絶対的な権威や秩序がないからヨーロッパでは内乱がとにかく起きやすいのです。

 

 

フランスカペー朝は王の権威としては弱く、中国の春秋戦国時代・日本の戦国時代みたいに群雄割拠しているようなものだったのです。諸侯の癖が強くて忠誠心の薄い諸侯も多かったんです。

 

アリエノールとの離婚によって多くの領土を失ってしまったルイ7世。その屈辱から以後のフランス王家にイングランド王国に対する闘争心の火がともったのです。

 

おのれ…許さんぞ…絶対に取り戻してやるから今に見てろよ!!と言ったところでしょうか。

 

 

この事件の前後でルイ7世の政策は、別人のように変わってしまいました。強くなりすぎてしまったイングランドには一筋縄ではいかないことを思い知って、陰険ともいえるくらいの執拗な策謀を張り巡らせる方針に変えたのです。

ヘンリ―2世とアリエノールは五男三女そこ儲けましたが、仲睦まじい夫婦だったかと言うと必ずしもそうではありませんでした。プライドが高く、気性が激しいが政治能力が極めて高いという癖のある女性だったのです。男だったら君主になれるくらいの素質があって、こういう女性を扱うのは難しくヘンリー2世と息子たちの間で対立が起きました。その隙をルイ7世は狙っていて、イギリスが内部崩壊していくところから漁夫の利を得ようとするところまで考えていたのです。

 

しかし、それでもイングランドの強さには勝てませんでした。そしてルイ7世の体がもたず休戦に。しかし、ルイ7世には最後の希望がありました。王妃に王太子が生まれ、この人物こそが後のフィリップ2世(尊厳王)となるのです。

フィリップ2世の結婚を見届けた後、ルイ7世は安心したように60歳でその生涯の幕を下ろしたのです。

 

こちらの動画もご覧ください。

 

 

 

フィリップ2世は、父ルイ7世の遺志を受け継ぎ無念を晴らそうとしました。頭脳明晰なフィリップ2世は、イングランドの領土の蚕食を目論んでいました。第三回十字軍には神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、イングランド王リチャード1世(獅心王)、そしてフィリップ2世と豪華な顔ぶれが揃いました。

 

    

 

十字軍の遠征の映画は、『キングダム・オブ・ヘブン』という映画があります。私は見てないですけど、キリスト教国側の都合のいいように脚色されているんだろうなと思います。十字軍の遠征はローマ教皇の利権絡みで、十字軍のあまりの残虐行為にイスラム教徒たちもドン引きしたのだとか。こんなに美しいものではなかったはずです。

 

 

相手のイスラム勢力は戦上手のサラディンでした。イスラム軍の圧倒的戦力に無謀な戦いをしたくないフィリップ2世は、病気を理由にさっさと帰国してしまいました。帰国したフィリップ2世は、リチャード獅心王が出兵中で留守になっている隙に、アリエノールの五男ジョンにすり寄って、策謀を巡らし、ノルマンディー・アンジュ―・アキテーヌの領土を少しずつ奪い始めたのです。

 

帰国したリチャード獅心王は、激怒し戦争を仕掛けますが、フランスで流れ矢に当たって死んでしまいます。1199年のことでした。

リチャード獅心王の後を継いだのがジョンでした。

 

 

ジョンは歴代イングランド王きっての愚か者で人格破綻者です。

マグナカルタが承認されたのもジョンの時でした。

フィリップ2世の策略にまんまと引っかかり完全に手玉に取られてしまいました。「欠地王」という不名誉な異名がついています。ジョン以降イギリス王家で「ジョン」の名は登場してこなくなります。フィリップ2世は自らの王領を4倍に増やすことに成功したのです。

 

この頃の時代背景が想像しにくいと思いますが、2010年公開された映画『ロビンフッド』はちょうど、ジョンとフィリップ2世の時代を描いています。ロビンフッドが主役なので影は薄いですが、時代の臨場感は掴みやすいかと思います。

 

そして、ジョンとフィリップ2世のときのローマ教皇はインノケンティウス3世で教皇の権力は全盛期を迎えていました。実はこの2人、どちらもこの教皇に破門されています。見るからに腹黒そうな教皇ですが、イメージ通り指示に口を出すのが大好きな俗物です。

 

 

キリスト教とあまり縁のない日本人の私たちはあまりピンと来ないかもしれませんが、破門はキリスト教徒にとっては死を意味するくらいキツイものでした…。教皇の存在もとても厄介です。フィリップ2世は破門に加えて聖務停止まで宣告されました。キリスト教の聖務は現代で言う役所の機能も備えていて、これが停止されると葬式が挙げられないし、遺体を墓に埋めることもできなくなります。これは国の生活の麻痺を意味します。

 

この理由は、フィリップ2世が王妃を離縁したことで王妃がローマ教皇庁に訴えたからです。フィリップ2世は尊厳王の異名を持ち、世界史マニアの中では大変人気の高い人物です。ただし、政治的手腕が優れていてもパートナーに対する扱い方を見ますと酷いことしてるので、一人の男性としてはマズいですね。

 

王妃インゲボルグは大変な美貌の持ち主だったようで、実際に何も余計な事はしていないし性格も悪くない、むしろデンマークとの同盟も結べて一石二鳥以上のメリットがあったのに王のコンプレックス?下半身が勃たないとかだけで勝手に遠ざけられたりと気の毒な面もあります。

この王妃とは後々王が心から詫び和解したようです。こんなトホホな面もあるフィリップ2世、とても癖が強い人物ですね。

 

女性関係に関しては確かにフィリップ2世にも非はありますが、何でもかんでもローマ教皇が干渉するのもちょっと考えものです。

フィリップ2世がイングランドに遠征しようとするときに教皇が遠征中止を命令してきて振り回され、教皇に対する激しい憎悪を抱いたのだとか。

イスラム教徒のサラディンが羨ましいとも愚痴をこぼしていたそうです。

教皇はどのようなときも権力を笠にやりたい放題です。キリスト教って本当に面倒くさいですね。

 

こちらの動画を見ていただくと理解が深まるかと思います。

追記:百瀬さんがフィリップ2世の動画を2本配信しました。オープニングから歴史ドキュメンタリーのようなクオリティとなっています。

 

 

 

こちらもわかりやすいです。

 

 

中世フランス史上最も面白い時代でもあるため、私自身もこの時代を掘り下げるのはとても好きです。激しい攻防と窮地になったところを一気にひっくり返すさまが鮮やかでもあります。フィリップ2世は癖の強い人物であるため、好き嫌いは分かれそうです。策謀の士でもあり人たらしでもあり…。

特にルイ11世はお手本にしたのかもしれませんが、ルイ11世の人格は極端で鬼畜すぎますが。

そして、この動画ではジョンがアーサーを殺害したと出てきますが、アーサーはブルターニュ公です。その後のブルターニュは、アーサーの母の三番目の夫が行政を担っていて、やがてフランスに反旗を翻すも負けてしまいました。このことでブルターニュでは、親イングランド派が弱体化し、親フランス派の影響が大きくなっていったのです。

 

でもこの時点ではまだ脳内麻薬は出てないですね。何故かというと、カペー家縁戚のピエール・ド・ドルー(後のピエール1世)を公国の管理者兼彼の嫡子ジャンの指導者としてブルターニュに送り込んだとあります。そしてピエールは、アーサーの異父妹アリックスの夫でした。ピエールの代から、ブルターニュ公の紋章にアーミン、シロテンが採用され、フランスへ従順することで領土の独立性が約束されたのです。

 

 

ということは、まだ完全に征服されたのではなく独立は守られていることになります。ブルターニュはイギリスとフランスの狭間で揺れ動くこととなります。

 

続きます。

 

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