一昨日28日の朝、この日は偶数日なので邪気が消える日なんですが、この日の朝突然バーンと大きな音がしました。明らかに車がぶつかった音です。どうやらうちの倉庫の擁壁に車がぶつかったようなのです。
現場を見に行こうと思ったら、両親が対応するからと止められたのでその時の状況をよく知りませんが、車は前がグシャグシャになっていたんだとか。



撤去した後の様子です。
 

 

音的に、擁壁が凹っとえぐれるくらいの損傷を受けたのかと想像していたのですが、角の部分が削れているのと擦れた跡が残っている程度で電柱があったからそんな感じになったのかなと思われます。
子どもが飛び出してきて避けようと思ったらぶつかったそうです。人身事故にならなかったのが幸いですが、物損事故ですね。
加害者の人が家に謝罪に来たのですが、左腕が痙攣しているように見受けられたので、父は直ぐにでも病院に行くように促し、うちは特に気になるようなことはないからと全面的に許したのでした。


私の家の前の道はいわゆる生活道路で、主道路ではありません。ですが、朝の通勤ラッシュ時はバンバン車が走ります。そもそも時速30km以下で走ることが常識です。しかしながら、時速50km以上で走ることはザラです。
そうして走っていった車はどこへ行くのかというと、脇道から主道路に再び強引に割り込んで合流するのです。そうまでして、 横着をしたい気持ちですが…実は私、理解できます。何度もやって特に大丈夫であれば、それが気の緩みになってしまいますし、他にもこんなことやっている車はたくさんいるという同調圧力に屈してしまいます。
そして、運転している時の思考パターンは確実に早く会社に行かなくてはいけないです。
この思考パターン、本当にマズい状態なのです。強迫観念に支配されている状態であり、焦っている状態なのです。過去の記事にも書きましたが、焦ることは視野を狭め冷静な行動ができなくなり、大惨事につながりやすいのです。

 


波動の観点から言いますと邪気発生源にも載せて注意を促しているくらいで、悪神に乗っ取られた状態です。
焦っている状態を展開してみますと、思い通りにいってほしい、ここで言うと早く会社に到着すること、始業時間までにタイムカードを押すことに執着しているわけなんですよ。

 

 

で、時間までに出社する自分は良い、遅刻する自分はダメな奴だという二元論までセットで絡んできます。

 

 


確かに遅刻はマズいとは思いますが、無茶苦茶にスピードを出して交通事故を起こして加害者になってしまうくらいなら、会社に遅刻する連絡をしておいた方が遥かにマシです。職場の上司に叱責されたり、恥をかくかもしれない恐れなど大したことではありません。どうしようもないものは仕方ないのです。プライドは捨てましょう。

 

 

いや、俺は大丈夫。今までそんなことを起こしたことはないし、これからも起こすことはないなんて自分自身を過信していても、全く予想外の動きをして出てくるのが子どもだったり、学生やおばちゃんの自転車だったりするんですよ。彼らは弱者なので何かあれば必ず車の方が悪くなるんです。

死亡事故を起こしたり、運転手自身も大怪我をして半身不随になるのとどちらがマシですか?
経済的にも精神的にも身体的にも大ダメージを受けたいですか?もちろんそんなの御免ですよね?

で、通勤で自宅を出るのがギリギリになってしまう根本的な原因が必ず隠れています。そこを見つめること、受け入れることは怖く勇気がいることなのかもしれません。
しかしながら、根本的な原因から目をそらして誤魔化し、ただ気をつけて運転すればいいでは一時的な対処にしかならず、忘れた頃にまた元に戻ってしまいます。わかりやすく例えるならダイエットのリバウンドと同じ。根本的な解決にはならないのですよ。
自分の中の何が原因なのか、冷静に観察してみてください。