こんにちは。

私たちは、日常生活の中で知らず知らずのうちに二元論の善悪のジャッジで裁いてしまいがちです。キリスト教やイスラム教といった一神教を信仰している人は、常に二元論で裁くことが無意識化に固定されてしまうのですが、一神教を信仰していない人でも、二元論に囚われてしまうことはよくあることなのです。何故なら、日常の中で善悪で区別されている概念があまりにもたくさんあるからです。

 

例えば、

 

・正しいは良い      ・間違いは悪い

・優れているは良い   ・劣っているは悪い

・得は良い        ・損は悪い

・愛することは良い   ・憎むことは悪い

・成功は良い       ・失敗は悪い

・勝利は良い       ・敗北は悪い

・便利は良い       ・不便は悪い

                                                      ………etc

 

私たちの周りで、二元論の中に当てはまる概念は驚くほどたくさんあります。ですから、こういった概念に自動的に縛られて、自分自身をジャッジし責めてしまうのです。大切なのは気づくこと。

思考が乗っ取られて、自分を責めている時の感覚がどのようになっているかを観察してください。身体の状態はどうなっているか、どのような思考になっているかです。

 

例えば、私が前回二元論にハマってしまった時は、「比較してはダメだ」と自分を抑えつけていました。この時、「比較しないようにしなくてはいけない」という強迫観念がありました。自分を責めている時は「~しなくてはいけない」の強迫観念が必ずついてくるのです。強迫観念があると身体の方は、緊張状態で力が入り、硬くなります。頭の方も圧迫されているような感じがあり、体が重い感じで動きも悪くなります。

 

 

このような状態になることを思えておいてください。反対に、「私は比較しているんだな」と自己受容した場合は、体がゆるみ、楽になる感じがしてきます。身体が軽くなり、動きもスムーズです。縛られていた状態から自由になったような解放感です。こんなに明確に差が出ます。

ですので、身体に違和感を感じたら、思考が乗っ取られている時です。そこで気づいて、自己受容するようにしましょう。