Blue Valentine
クイズです。未来人の笑い方は次のうちどれ?
①ア"ダハア"-フヴゥー ア"-
②フフフ ケロケロ フフフノフ
③ゲーラゲラゲラ ミミンガー グーゲラゲラ
答えは文末にて。
(この映画のジャケ写真、観る前と観たあとで、まったく違う風景に見えます)
「ブルーバレンタイン」
前から良い良いと評判で気にはなってたんですけど、観ました。この映画。
フダン、このテの映画は絶対観ないんですけどね。男女の愛憎劇っていうんですか?
なんかメンドクサイし。っていうか、メンドクサイ気分にさせられるので。
結論から言うと、この上なくメンドクサイ気分になりました。
が、評判に違わず、良い映画だったと思います。
似た系だと、ディカプリオの「レヴォリューショナリー・ロード」なんかが、オイラが観た中では近いかと思うんですが、あれはラストがあんまりにアレでアレなんで、もう一回観ようって気にとてもならなかったのですが、こいつは少しねかせてからもっかい観てみようって思います。
一通り、酸いも甘いも噛み分けた大人なら、是非にオススメします。
ただ、付き合いたてのカップルや新婚さんにはその限りでありませんが。
ミシェル・ウィリアムズって女優さんが出てて、この人が出てる映画観たのはタブン3回目なんですが、違う役やってるのにいつも最後に同じ印象が残るんですよね。
(因みに他の映画ってのは「彼女が二度愛したS」と「ブローン・アパート」です。)
けして女性として好感は持てないんだけど、嫌いにもなれない。っていうんですかね。
なんていうのかね、男生視点から見た、女性の環境におもねる強かさ(悪くいうならズルさ)といいましょうか。
あるいは、だらしない男へのユルさ(良くいうと寛容さ)みたいのをどっからともなく醸し出してて、ユカイ不愉快怪物クンな女優さんですね。
とにかく、エンドロールの背景の仕掛けがなんとも言えないモヤモヤした気分を見事に演出してます。
観た人の異性観、恋愛観、結婚観みたいなもんが、作品に投影される映画ですね。
まるで、ヤな純文学小説を読んだあとに残る心地よい不快感(←言ってることメチャクチャですが、褒めてます)がどよーんと体内に残る感じです。
冒頭の飼ってた犬がどっかいっちまったってのは、既に二人の間に失われた重要な何らかがあるって事のメタなんだね。
感想というかただの散文になってしまいましたが。
クイズの答え:映画観るとわかります(←サイテーw)
①ア"ダハア"-フヴゥー ア"-
②フフフ ケロケロ フフフノフ
③ゲーラゲラゲラ ミミンガー グーゲラゲラ
答えは文末にて。
(この映画のジャケ写真、観る前と観たあとで、まったく違う風景に見えます)
「ブルーバレンタイン」
前から良い良いと評判で気にはなってたんですけど、観ました。この映画。
フダン、このテの映画は絶対観ないんですけどね。男女の愛憎劇っていうんですか?
なんかメンドクサイし。っていうか、メンドクサイ気分にさせられるので。
結論から言うと、この上なくメンドクサイ気分になりました。
が、評判に違わず、良い映画だったと思います。
似た系だと、ディカプリオの「レヴォリューショナリー・ロード」なんかが、オイラが観た中では近いかと思うんですが、あれはラストがあんまりにアレでアレなんで、もう一回観ようって気にとてもならなかったのですが、こいつは少しねかせてからもっかい観てみようって思います。
一通り、酸いも甘いも噛み分けた大人なら、是非にオススメします。
ただ、付き合いたてのカップルや新婚さんにはその限りでありませんが。
ミシェル・ウィリアムズって女優さんが出てて、この人が出てる映画観たのはタブン3回目なんですが、違う役やってるのにいつも最後に同じ印象が残るんですよね。
(因みに他の映画ってのは「彼女が二度愛したS」と「ブローン・アパート」です。)
けして女性として好感は持てないんだけど、嫌いにもなれない。っていうんですかね。
なんていうのかね、男生視点から見た、女性の環境におもねる強かさ(悪くいうならズルさ)といいましょうか。
あるいは、だらしない男へのユルさ(良くいうと寛容さ)みたいのをどっからともなく醸し出してて、ユカイ不愉快怪物クンな女優さんですね。
とにかく、エンドロールの背景の仕掛けがなんとも言えないモヤモヤした気分を見事に演出してます。
観た人の異性観、恋愛観、結婚観みたいなもんが、作品に投影される映画ですね。
まるで、ヤな純文学小説を読んだあとに残る心地よい不快感(←言ってることメチャクチャですが、褒めてます)がどよーんと体内に残る感じです。
冒頭の飼ってた犬がどっかいっちまったってのは、既に二人の間に失われた重要な何らかがあるって事のメタなんだね。
感想というかただの散文になってしまいましたが。
クイズの答え:映画観るとわかります(←サイテーw)
僕とリンゴ
大学生の頃、所属していたクラブに比較的裕福な環境の友人がいた。
ある日、部室に現れた彼は小さな黒い箱を大事にそうに小脇に抱えていた。
「なんじゃそりゃ?」
と問うと、彼は
「マッキントッシュだ」と答えた。
「まっきんとっしゅ?・・・なんじゃそりゃ?うまそうだな」
これが私がアップル製品に触れた最初だった。
それが何なのかわからず、「ラップトップ」なんて呼称されるその人工的製造物が具体的に何に利用されるのか知らない猿の如く、意味不明にとにかくそれは魅力的に見えて仕方なかった。
今思うに、それが普通のウィンドウズのノートパソコンだったなら、そこまでの衝撃はなかったのかもしれない。今なら本当にそう思える。
私は当時、貧乏学生だったので、値段を聞いて到底手に入れることは無理だと悟った。
就職して、ある程度自由になるお金が出来たとき、ノートパソコンに対する目的なき執着心が消えていなかった私は、ふと訪れた家電店でほぼ衝動的にシャープの「メビウス」というノートパソコンを買った。ルックスがその学生時代に友人が持っていたパワーブックに少し似ていたからだ。
それ以来、パソコンは普通に生活の一部として私の生活に関わっている。パソコンに触れない日はほぼなく、今、目の前には二つのPCモニターにノートパソコンが一台と、傍らにはアイパッドがひとつ、それぞれなんらかの情報をこちらに向けている。
そう、自他共に認める電脳依存症だw(今数えてみたら、携帯画面とかを含めると液晶画面が目の間に9つもある!ひっぃぃ!!)
仕事専用のモノを含めてこれまで何台パソコン(ノートに限らず)買っただろう・・・
計算してみると、18ヶ月に一回はパソコンを買い換えてる・・・
先に出てきた「まっきんとっしゅ」持ちの友人は典型的な「アップル信者」だった。
私がウィンドウズパソコンを買い換える度に、アップルPCの優位性、マイクロソフトの模倣悪を説いた。彼はビル・ゲイツはダースベーダーだと毒づいた。
まあその例えは面白かったのだが、今日まで公私に至ってマックを日常に使う事はなかった。
ある時、また違う友人が白い小さな箱を自慢げに人に見せていた。
それはまだ出始めの頃の「iPod」だった。
今じゃすっかり・・・のご時世だけど、当時は少なくとも周りの知人の間ではナンセンスな代物だとバカにされてる風だった。性能は今とは比較にならないとして、なんせ値段が高かった。当時の標準的なノートパソコンくらいはしたハズだ。「たかだか音楽を聴く為だけ」にだ。
しかし、当時普及していた「MD」の音質の悪さに辟易していた私はもの凄く欲しくなった。なにしろカセットテープにせよCDにせよ、MDにせよ、「メディアをコチョコチョ入れ替えないといけない」という呪いから開放されるのだ!スゲェ!ってなった。
価格が落ち着いてきた弟3世代あたりから、買い替え買い替えするほどiPodは必需品になってしまった。
今現在、2つのiPHONEとひと世代前のiPod(クラシック)を所有している。
なんの興味もない人に必死にiPodのすばらしさを説き、少なくとも3人に購入させた。
アンチiPodの「ソニーウォークマン信者」と飲み屋で激論した事もある。
客観的に見てどちらもかなり痛い。
でも出会いから十数年を経て、僕はすっかりアップル信者になってしまったようだ。
今日、アップルの創始者、スティーブ・ジョブスの訃報が流れた。
今更だけど、ブログのタイトルとして拝借している
「Stay hungry, stay foolish.」(ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。)
は、彼が2005年にスタンフォード大学でおこなった卒業式スピーチの中の有名な言葉だ。
偶然目にしたものだったが、とても感動した。
かなりの偏屈者だったと聞く。
彼を現代のダヴィンチだと評する人もいる。
まったく同感だ。ダヴィンチの事も、ジョブスの事もそれほど多く知らないけれどねw(←無責任)
とにかく、私はアップルに取り込まれた、典型的ないち消費者にすぎないけれども、訃報を聞いた時のこの一抹の寂しさはいったいなんなのだろう・・・とつい筆をとってしまいました・・・
「ジョブス先生!!マックが・・・マックが・・・MacBook Proが欲しいっす・・・」
(↑スラムダンクの名場面、三井→安西先生風にに読んでね)
ある日、部室に現れた彼は小さな黒い箱を大事にそうに小脇に抱えていた。
「なんじゃそりゃ?」
と問うと、彼は
「マッキントッシュだ」と答えた。
「まっきんとっしゅ?・・・なんじゃそりゃ?うまそうだな」
これが私がアップル製品に触れた最初だった。
それが何なのかわからず、「ラップトップ」なんて呼称されるその人工的製造物が具体的に何に利用されるのか知らない猿の如く、意味不明にとにかくそれは魅力的に見えて仕方なかった。
今思うに、それが普通のウィンドウズのノートパソコンだったなら、そこまでの衝撃はなかったのかもしれない。今なら本当にそう思える。
私は当時、貧乏学生だったので、値段を聞いて到底手に入れることは無理だと悟った。
就職して、ある程度自由になるお金が出来たとき、ノートパソコンに対する目的なき執着心が消えていなかった私は、ふと訪れた家電店でほぼ衝動的にシャープの「メビウス」というノートパソコンを買った。ルックスがその学生時代に友人が持っていたパワーブックに少し似ていたからだ。
それ以来、パソコンは普通に生活の一部として私の生活に関わっている。パソコンに触れない日はほぼなく、今、目の前には二つのPCモニターにノートパソコンが一台と、傍らにはアイパッドがひとつ、それぞれなんらかの情報をこちらに向けている。
そう、自他共に認める電脳依存症だw(今数えてみたら、携帯画面とかを含めると液晶画面が目の間に9つもある!ひっぃぃ!!)
仕事専用のモノを含めてこれまで何台パソコン(ノートに限らず)買っただろう・・・
計算してみると、18ヶ月に一回はパソコンを買い換えてる・・・
先に出てきた「まっきんとっしゅ」持ちの友人は典型的な「アップル信者」だった。
私がウィンドウズパソコンを買い換える度に、アップルPCの優位性、マイクロソフトの模倣悪を説いた。彼はビル・ゲイツはダースベーダーだと毒づいた。
まあその例えは面白かったのだが、今日まで公私に至ってマックを日常に使う事はなかった。
ある時、また違う友人が白い小さな箱を自慢げに人に見せていた。
それはまだ出始めの頃の「iPod」だった。
今じゃすっかり・・・のご時世だけど、当時は少なくとも周りの知人の間ではナンセンスな代物だとバカにされてる風だった。性能は今とは比較にならないとして、なんせ値段が高かった。当時の標準的なノートパソコンくらいはしたハズだ。「たかだか音楽を聴く為だけ」にだ。
しかし、当時普及していた「MD」の音質の悪さに辟易していた私はもの凄く欲しくなった。なにしろカセットテープにせよCDにせよ、MDにせよ、「メディアをコチョコチョ入れ替えないといけない」という呪いから開放されるのだ!スゲェ!ってなった。
価格が落ち着いてきた弟3世代あたりから、買い替え買い替えするほどiPodは必需品になってしまった。
今現在、2つのiPHONEとひと世代前のiPod(クラシック)を所有している。
なんの興味もない人に必死にiPodのすばらしさを説き、少なくとも3人に購入させた。
アンチiPodの「ソニーウォークマン信者」と飲み屋で激論した事もある。
客観的に見てどちらもかなり痛い。
でも出会いから十数年を経て、僕はすっかりアップル信者になってしまったようだ。
今日、アップルの創始者、スティーブ・ジョブスの訃報が流れた。
今更だけど、ブログのタイトルとして拝借している
「Stay hungry, stay foolish.」(ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。)
は、彼が2005年にスタンフォード大学でおこなった卒業式スピーチの中の有名な言葉だ。
偶然目にしたものだったが、とても感動した。
かなりの偏屈者だったと聞く。
彼を現代のダヴィンチだと評する人もいる。
まったく同感だ。ダヴィンチの事も、ジョブスの事もそれほど多く知らないけれどねw(←無責任)
とにかく、私はアップルに取り込まれた、典型的ないち消費者にすぎないけれども、訃報を聞いた時のこの一抹の寂しさはいったいなんなのだろう・・・とつい筆をとってしまいました・・・
「ジョブス先生!!マックが・・・マックが・・・MacBook Proが欲しいっす・・・」
(↑スラムダンクの名場面、三井→安西先生風にに読んでね)