有希子抄「喜多見不動堂よ永遠に!」 | 岡田有希子さんのファンブログ「有希子抄」

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喜多見不動堂 閉鎖の衝撃

 

喜多見不動堂の入口に掲示された不動堂終堂の告知文。

 

 

先月下旬に都内の成城にある「喜多見不動堂」が「2025年11月末をもって終堂(閉鎖)になる」という話題がXの岡田有希子ファンの間に広まって衝撃を与えました。

このお堂は岡田有希子さんがデビュー前によくお参りに来ていた事からユッコファンの間では「聖地」の一つとして崇められていた場所でもありました。

 

今回は間もなく消え行く喜多見不動堂の話題について取り上げます。

 

 

喜多見不動堂とは

 

喜多見不動堂の本堂。


「喜多見不動堂」は東京都世田谷区の成城にあるお堂で、小田急線の成城学園前駅から徒歩で10分ほどの場所にありました。

国分寺崖線(多摩川北岸の河岸段丘)の上にあったことからお堂の入口付近に湧水があり、かつては信者がそこで水行をしたと言われています。

また毎年冬至の日には「星祭り」という行事があり、かぼちゃに自分の名と真田幸村の名を書いて護摩供養するという珍しい風習もありました。

この不動堂は地元の人々からは「喜多見のお不動さま」と呼ばれ長く親しまれて来たそうです。

 

 

喜多見不動堂の歴史

 


(出典:喜多見不動堂内 世田谷区教育委員会掲示板 )


喜多見不動堂は1876年(明治9年)5月に当時の喜多見の住人だった浦野半次郎が発起人となり、6人の有志の協力を得てこの地にお堂を建立したのが始まりだとされています。

本尊は不動明王像で、明治初期に発生した多摩川大洪水の時に喜多見川原に流れ着いた木像を浦野と6人の有志たちが不動明王を祀る成田山新勝寺まで持ち運び魂を入れたものと伝えてられています。

そうした経緯からこの不動堂では「村内安全」「諸難消除」「各願成弁」などが主な願目とされています。
 

明治から昭和初期にかけては信者も多く栄え、1941年(昭和16年)に喜多見の慶元寺の境外仏堂となった後も地域に根付いたお堂として最近まで親しまれて来ました。
 

 

喜多見不動堂と岡田有希子との関係

 

アイドルコミックス「実録まんが岡田有希子」から。



この喜多見不動堂は岡田有希子さんとも深い関係があります。

有希子さんは芸能活動を始めるために1983年(昭和58年)の8月に故郷の名古屋から上京して、当時の所属事務所の社長だった相澤秀禎氏が住む成城の自宅に下宿をしていました。

そして有希子さんは歌手デビューを目指して相澤社長と一緒に毎朝ジョギングを続け、この喜多見不動堂で歌手としての成功を願ったと言われています。

デビュー後の雑誌の取材などでも何度か訪れていた事からファンの間でもよく知られ、彼女の早世後にはユッコとのゆかりのある場所としてファンの参拝者が訪れるようになりました。

喜多見不動堂はユッコファンにとっての貴重な「聖地」の一つでもありました。


閉鎖の理由


本堂に掲示された不動堂終堂の告知文



11月下旬に本堂に掲示された告知文によると「本堂裏の崖地に安全上の懸念があることを踏まえ、当該土地は世田谷区に引き渡す事を予定しております」と書かれていました。

そして終堂後に建物は解体されて、ご本尊などが慶元寺に安置され引き続きお参りができるようになるとされています。


やむを得ない事情とは言え有希子さんとのゆかりが深かったファンにとっての聖地がまた一つ消えて行くのは実に寂しい限りです。

 

 

不動堂を後世に残すために…

この消え行くユッコゆかりのお堂の姿を記録として残して後世に伝える事は出来ないかと考えて、不動堂への参拝を思い付きました。

しかし、今まで有希子さんの墓所の撮影に反対し続けてきた私が不動堂の撮影をするのは矛盾があるのではないかと思い、数日間慎重に考え続けて来ました。

結局、消え行く不動堂の今の姿をアーカイブとして記録する事が目的であり、墓所の撮影とは趣旨が異なりご遺族の方々へご迷惑をお掛けする恐れがほぼ無い事から、この不動堂への参拝を決意しました。

そしてお堂の管理人さまからの撮影許可をいただいた上で参拝と撮影をする事にしました。

 

 

参拝の当日に管理人のお母さんから撮影の許可をいただきました。ありがとうございました。m(_ _)m

 

 

《  喜多見不動堂の見取図 》

 

 

 

喜多見不動堂 参拝の記録

終堂の2日前の11月28日に私は初めて喜多見不動堂への参拝に行きました。

 

消えゆく不動堂の姿を後世に伝えるべく参拝の記録をここに残す事にします。

 

不動堂を過去に訪れた方も訪れた事が無かった方も、ぜひユッコの聖地の最後の姿を心にとどめてください。


参拝日:2025年(令和7年)11月28日(金) 

 

自宅から4時間をかけて成城学園前駅に着きました。駅の姿は当時とはだいぶ変わってしまったようです。

 

 

しばらく歩くと成城からの道と合流します。ユッコと社長さんはこの道を走って来たのでしょうか?

 

 

すぐに急坂になります。思ったよりも急な下り坂です。

 

 

成城学園前駅から10分ほどで喜多見不動堂の前に到着しました。どこか小さな公園のような佇まいです。

 

 

門をを入るとすぐ目の前に不動池と不動滝が現れます。

 

 

不動池の前では小さな毘沙門天像が出迎えてくれます。

 

 

不動池の内部。かつてはここで熱心な信者が滝行をしていたそうです。

 

 

不動池の右手にある階段を昇ります。

 

 

階段を昇るとすぐに本堂が見えてきます。

 

 

階段の途中に手水舎がありました。今は使えないようです。

 

 

階段脇の灯籠はユッコが上京して間もなく設置されたようです。もうすぐ本堂です。

 

 

階段を昇り終えると目の前に喜多見不動堂の本堂が見えます。思っていたよりも小さな境内でした。

 

 

参拝の前に手水舎で手を清めます。

 

 

最初に本堂から参拝をします。ここはユッコが何度も参拝に訪れたゆかりの深い場所です。

 

 

本堂での拝礼は仏式なので、鰐口を鳴らしてから鐘緒の前で手を合わせて拝礼をし、その後に一礼をします。

 

 

この場所にいるとユッコと一緒に参拝をしているような気分になります。(※イメージ画像)

 

 

本堂の左側には「玉姫稲荷(たまひめいなり)」というお稲荷さま(稲荷神)を祀る祠があります。

 

 

祠の両側に小さなお狐さまの像がありました。左側のお狐さまは木陰に隠れています。

 

 

このお狐さまの表情が何ともいえません。(^^;)

 

 

こちらは神道系の神様なので鈴を鳴らしてから「二礼二拍手一拝」の作法で拝礼をします。

 

 

玉姫稲荷の左手にはクロマツの大木がそびえ立っています。とても圧倒的な迫力です。

 

 

クロマツの大木の前には「成田永世護摩講」の石碑がありました。成田山への護摩講に参加した人の名簿でしょうか?

 

 

クロマツの左側に東屋があります。ユッコがここに腰掛けて社長さんと将来の夢を語り合った姿が目に浮かびます。

 

 

まるでユッコがここで見守ってくれているような気がします。(※イメージ画像)

 

 

 

本堂の右側には2つの祠と何やら怪しげなトンネルらしきものがあります。

 

 

右側の祠には「魚藍観音(ぎょらんかんのん)」という煩悩や悪鬼の害などを除くという観音さまが祀られています。

 

 

左側の祠には「蚕影大神(こかげおおかみ)」という養蚕の守り神が祀られています。

 

 

トンネルの正体は「岩屋不動(いわやふどう)」という洞穴でした。この奥に不動明王を祀った祠があります。

 

 

洞穴の前で拝礼をします。中はいったいどうなっているのでしょうか?

 

 

洞穴の中の祠。ユッコと社長さんはこの洞穴にもぐって拝礼をしたのでしょうか?

 

 

手水舎の前には小田急線が走っています。ユッコはここから当時の電車を眺めていたのでしょうね。

 

 

手水舎の右側にも成田山護摩講の石碑がありました。

 

 

境内の紅葉がとても鮮やかです。

 

 

境内には静かな風情を感じるも物が数多くありました。

 

 

喜多見不動堂はユッコファンにとって癒しと元気を与えてくれる場所でした。

 

 

そしてこの青空のように人々の心を晴れやかにしてくれる場所でもありました。

 

 

参拝を終えて帰途につきます。

 

 

朝の日差しに神々しさを感じます。

 

 

喜多見不動堂は地元の人々から親しまれていたお不動さまでした。

そしてユッコファンにとっては有希子さんの「生の日常」を感じて癒しや活力が得られる貴重なパワースポットでもありました。

不動堂は間もなく消えてしまいますが、有希子さんが遺してくれた笑顔や喜びとともにこの不動堂の姿や想い出を心に留めて人生の励みにしたいと思っています。

そしてこれらの記録や想い出を多くの人たちと共有して、有希子さんが生きた証を共に後世に伝えて行きたいと願っています。
 

 

ユッコゆかりの喜多見不動堂に心から感謝を申し上げます。

 

 

 

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