「-Dreaming Girl- 恋 はじめまして」発売記念日
本日9月21日は岡田有希子さんの3枚目のシングル「-Dreaming Girl- 恋 はじめまして」の発売41周年の記念日です。
今回は有希子さんの映像や資料を中心にこの曲での活動の軌跡を振り返ってみます。
新人賞レースの「勝負曲」
「-Dreaming Girl- 恋 はじめまして」は1984年(昭和59)9月21日にキャニオンレコード(現 ポニーキャニオン)からシングル(EP盤)が発売されました。
デビュー曲の「ファースト・デイト」や2作目の「リトル プリンセス」に続き竹内まりやさんが作詞と作曲を手掛け、後に「学園三部作」(または「恋愛三部作」)と呼ばれる作品群の最終作として知られるようになります。
有希子さんは雑誌のインタビューでこの曲について次のように話しています。
「歌の雰囲気が変わったから、ちょっと変えてみたんですよ」
「詞の内容もちょっと背伸びしたいのに、お母さんが反対するんです。彼とつき合うことに。お母さんが彼と仲良くなることを心配してわざと子供っぽい服を着せようとするんです。そうすると、私はもうオトナなのにって不満なんです。そういう内容なんです」
さらに今まで曲と比べて歌いやすいかをたずねられると、
「難しいですね。全部難しいけどね。みんなテンポが難しい。もっと速いとイキオイで歌えちゃうからラクなんですけれど(笑)」
と答えています。
〔ORICON WEEKLY 1984年9月28日号から〕
この時期は年末に向けて歌謡音楽祭の新人賞レースが本格化する頃でした。
当時の音楽祭の新人賞はデビューしたばかりの新人歌手にとって大きなステータスであり、将来の歌手活動の成否を分けるほど非常に重要なものでした。
そのために新人歌手の事務所やレコード会社はこの時期に著名な作詞家や作曲家が手掛けたレベルの高い曲をリリースして最優秀新人賞の受賞を目指していました。
それは有希子さんも例外ではありませんでした。そして難易度が高くなった竹内まりやさんの三部作最終曲でこの年の年末に向けた新人賞レースに挑戦をすることになります。
「-Dreaming Girl- 恋 はじめまして」のPV。
清里のペンションや野辺山の高原などで撮影されました。
CMソングとして知られる
またこの曲は「グリコ セシルチョコレート」のCMソングにも使用されされました。
CFの制作は映画監督の大林宣彦さんが手掛け、撮影はこの年の6月上旬に始まり軽井沢の各所で4日間にわたって撮影をするなどかなりの力の入れ様でした。
CMとのタイアップは当時のサンミュージック社長だった相澤秀禎さんが新人賞レースに向けて有希子さんを売り出すためのイメージ戦略だったとも言われています。
こうした効果もあって有希子さんのCMと曲はメディアを通じて徐々に知られることになります。
グリコ セシルチョコレート「恋 はじめまして編」の30秒CF。
映画監督の大林宣彦氏が手掛けたことでも話題になりました。
テレビ番組などへの出演
「恋 はじめまして」が発売されてからの有希子さんはテレビやラジオの番組に数多く出演するようになりました。
ラジオ番組では恋 はじめましての曲を流し、テレビ番組では実際に曲を披露するなど楽曲の宣伝に努めていました。
曲の発売からこの年の年末までに放送された番組はテレビ番組 59本、ラジオ番組 55本(※注2)が現在までに確認されていて、その数の多さからも彼女の多忙さが伺えます。
(※注2:レギュラー番組を含む)
これらは音楽祭に向けて名前と曲を紹介して存在感をアピールするための一環だったと考えられます。
そうした地道な活動によって有希子さんの名前と曲は次第に人々に知られるようになります。
関西の番組「おはよう朝日です」での出演映像。
発売以降は地方局での番組出演も増えました。
音楽チャートにランクイン
こうしたメディア戦略の効果もあって「恋 はじめまして」の人気と知名度は少しずつ高まりはじめ、それは様々な統計にも現れるようになります。
シングルの売り上げ枚数は 128,830枚(※注)、オリコンのシングル週間売上ランキング最高位は7位で、初めて10位以内にランクインをしています。
(※注:オリコン シングル週間売上ランキングの累積推定枚数)
また当時の人気歌謡ランキング番組だった「ザ・ベストテン」にもこの曲で初めてランクインをして、彼女のデビュー前からの目標だったこの番組への出演も果しています。
2回目のランクインとなった「350回記念 ザ・ベストテンin岡山」での映像。
《 「恋 はじめまして」ザ・ベストテン ランキング表 》
ザ・ベストテン「恋 はじめまして」の順位と得点の推移グラフ。
遺稿集「愛をください」の有希子の日記から。
ザ・ベストテンの出演が有希子のデビュー前からの目標の一つだった。
こうした人気や売り上げを示す数値にも裏支えされて、有希子さんの評価は音楽業界やメディアでも次第に高まって行きました。
最優秀新人賞を受賞
そしていよいよ歌謡音楽祭の出演を迎えることになります。
この年(1984年)にデビューした新人歌手は80組以上と言われ、その中から音楽祭の最優秀新人賞が授賞されるのはわずか1~2組と極めて狭い門でした。
そうした厳しい新人賞レースのなかで、有希子さんはこの曲で7つもの最優秀新人賞を受賞しました。
〈 最優秀賞新人賞 〉
ヤング歌謡大賞'84 新人グランプリ 「グランプリ」
第14回 銀座音楽祭 「グランプリ」
第17回 新宿音楽祭 「金賞」
第10回 あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 「最優秀新人賞」
第15回 日本歌謡大賞 「優秀放送音楽新人賞」
'84 FNS歌謡祭 「最優秀新人賞」
第26回 日本レコード大賞 「最優秀新人賞」
〈 特別賞 〉
第11回 横浜音楽祭 「新人特別賞」
「ヤング歌謡大賞'84 新人グランプリ」での「グランプリ」受賞シーン。
中でもこの年の年末に開催された「第26回 日本レコード大賞」で最優秀新人賞を獲得した事で有希子さんの歌手としての評価は高まり人気アイドルとしての人気も定着し、やがては「ポスト松田聖子」と評されて将来を期待される歌手へと成長して行きます。
成功の要因
「恋 はじめまして」がこれほどの成功をおさめたのは以下の理由が上げられます。
・デビュー曲から続く竹内まりや作品の高いクオリティーと一貫したイメージ性。
・CMやテレビ番組出演などのメディア戦略の効果。
・販売数や人気ランキング等に裏打ちされた実績の評価。
・4年連続で新人賞を独占していたジャニーズアイドルの不在と女性アイドルの新人賞受賞への期待感。
そして何よりも有希子さんの人気と高い歌唱力、日頃からの歌手活動が評価されたものと考えられます。
それは彼女の日々の地道な努力が結実したものであると言っても過言ではないでしょう。
こうして「-Dreaming Girl- 恋 はじめまして」は「ファースト・デイト」や大ヒット曲となった「くちびるNetwork」と並んで有希子さんの代表的な曲の一つとなりました。
この曲はまさにアイドル歌手・岡田有希子の「出世作」になった曲であると言っても良いでしょう。
〔 オマケ 〕
ユッコさんの記事を書いていると気持ちが昂ぶってついつい長文になってしまいます💦
もう少し文章を短くしないとイケマセンねぇ~。
(反省)(^^;)ヾ
岡田有希子さんのファンブログ 「有希子抄」