またしても何か始まりそうで、ワクワクと不安が入り混じります。
とある会議で、
私なんかが何ができるって、、、と、尻込みばっかですが、「言え❗️」「話せ❗️」と、ホントに尻叩かれて、モゾモゾとこんな事したいんです、今、こんな活動してますと話し始めたら、そりゃ皆んな私の野望(?)にビックラポンよ。
面白い❗️
やらなきゃ❗️
と、周辺がざわつき始めてます。
アームレスリングで、大会やイベント、この春からは教室となり、次は、色んな人達巻き込んで何が始まるやら?
私がやりたいのは、ジュニア育成。チームからも周辺からも、色んな意見いただくけど、動かなきゃ始まらない。
大概の意見は、この十数年でやり尽くし、もう3周くらいしたかな?(^。^;)
そんなにやってたんだ⁉️
写真や動画はないの?と聞かれ、
「あるよ。」とは、答えたけど、写ってるのは、イベント風景や他の人達であって、私は写ってない。
私は撮る人で撮られてはいないから。
1人で、競技台車に積んで会場行って賑やかして帰って来る。楽しんでもらえるかも知れない、競技を紹介できるかもしれない。けど、無理がある。
この競技やってるおかげで、筋トレ好き、格闘技好き、元気な人と凄い勘違いをされて来ました。
真逆です。病気ばかりで入退院繰り返し、筋トレ嫌いで、頑張ると頭痛がきてトレーニングできない。格闘技は見る事もない。
私、来年生きてるのか?車椅子生活か?と思える病気をした時、自分の人生振り返りると、昭和のハラスメント当たり前の時代のおかげで、無駄に厳しい父に嘆き、結婚後は、ワンオペ当たり前、始終倒れ、病院運ばれ、ボロボロって感じ。
命に関わる病気をするようになり、このまま死ぬの?と思ったら、冥土の土産にするぞ❗️一発やらかしちゃえ❗️とルールも知らない癖にアームレスリングの大会に申し込んだ。
いつどうなるかわからないからと、できる時にできるだけのことをしていたら、なんでも引き受ける親切な人と勘違いされたようだ。
おかげで、やたら「荷物運んで〜」と頼まれたり、数人で出掛ける時は運転手にされ、頼もしい人扱い。思い込み激しい人からはしきりに「貴方は攻撃的だから。」と言われたり。私、いつあなたに絡みましたか?と聞いてみれば良かった。
長いリハビリ生活と思いながら普通に過ごすのが目標と頑張ってきたけど、下り階段を荷物持って降りるのは危険すぎて、サボりたいのでも、甘えたいのでも無い、キツイのよ手を貸して欲しい、できるならばあえて私にその役目ふらないで欲しいと色んな場面で思っていた。
この競技してるから、あえてそんな役目にされてきたけど、辛かった、本当に辛かった。階段の途中で動けなくなって泣けてきた事もあった。
人の痛み苦しみは他人にはわからない。
しかし、ある時、一目瞭然になった。
手がギプスで固定された。
膝固定で松葉杖になった。
これらは一目瞭然、読んで字の如く、見た目のおかげで荷物運びからは解放された。
手足の一本位、痛いだけじゃん、メンタルは病気の苦しみからしたらどうってことはない。
未だできない動作あるし、TFCC(手首のトラブル)で、フライパンも振れない。
競技台の積み下ろしで、しばしば〝手首激痛、以後、固定〟と言う流れになり、大会前は気をつけたいと言うより、やるべき動作ではない。
その競技台は4台用意した。
アームレスリングは、準備がいらない、誰でも手軽に始められる。と言われるが、大きな間違いだ。
誰がが競技台を購入するか作るかして、練習会場手配しないとならない。それを人任せにして、気軽に始められると言って良いのか?
体育館でバレーボールするように、そこに行けば、ネットもボールもあるというのとは違う。
バレーボールの練習の度に、ポールとネットとボールを車に積んで運ぶ事を想像できるだろうか?練習終えたら家に持ち帰り保管する事も。
アームレスリングは、それをやらなければならないが、ほとんどの人はそんな手間は考えない。
このところは、台持参で練習会に参加の人も現れ、大変助かってます。
この春、2ヶ月分の給料つぎ込んで台を用意したけど、新たに何か始まりそうな気配に、更なる出費かとビビるのは言うまでもない64歳最後の日の呟きでした。
65歳も笑って過ごせるだろうか?