第11回山梨甲斐腕倶楽部杯
アームレスリング大会行ってきました。
毎年この時期に開催される、
アームレスリング始めた頃から参加してきた思い入れのある大会です。
ここに限らず、どの大会も女性の参加が少ない為、対戦相手はいつもの顔ぶれという事がほとんどです。
女性の部を設けてくれる主催者様には感謝します。
私を非難するために、女性選手が少ない事まで非難する人は、
表面上アームレスリングの普及活動やみんなで楽しみましょうと言ってればウケはいいが、
本心は違う所にあります。
女性選手たちはお互い手の内を知ってる為、対策も練られてるのでなかなか厳しい。
ダメですね、優勝には及ばない。
さらっと負け過ぎです。
まずはぶち当たりたい、力で押し倒されたいと思えます。
選手間仲良すぎて、試合終えた後も、そこがここがと自分の弱いとこ白状しちゃってたり。
トレーニングどうしてる?
最近こんな事してるよ等、かなりの情報交換。
ここで倒しあってるだけじゃない。
もっと上の選手めがけてお互い頑張ろうと言う気持ちや、
一緒に世界行こう等と言う気持ちがあると、こんな会話になっていくのかな?
全員がライバルだけど、全員が仲間と思ってるのですが、、、
スポーツ精神をどういうのを言うかはわかりません。
上を目指すではなく、人を引きづりおろす、イベントの邪魔を頑張る人もいるわけで。
どこの世界も同じかな?キレイ事だけじゃないんです。
どこそこで戦ってるんです。
見ないふりや、感じない心で戦えてるかはわかりません。
具体的に日の丸背負う事目指したら、余計な事に気持ち向けないという事が起きてきた。
ぼんやりと、世界を見てた頃は煩わしいと思えてた。
残念だけど、みんなで仲良くしたいと思っても、そこには相手の気持ちもあって無理なんだ、
本当に無理なんだ、どう自分が頑張っても無理なんだとわかった。
勝手に作られる「私」のイメージや中傷を信じてしまうというのは発信者にそれだけの力があって、私にはかなわない所なんだろう。
なんの説明も確認もされずに負けるわけだ。
真逆の二つの中傷が多々あって、面白い。
イチイチ怒りになっていたが、ある時、これはどういう事かと考え始めた。
更に、「欲深い女」とかその他諸々(書くのもおぞましいので省略)が飛び交い一体なんだ?と思ってる所へ、バッサリと切り捨てた人がいる。
「言ってる人の行動、思い、癖がそのまま誰かの影口に出てるんだよ。
言ってる事は実は自分の事。」と。
∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
この一言で、誹謗中傷してる人自身を理解できました。
確かに!この人は、お金に執着してるだけでなく、人の物まで取る、使う、借金する。
確かに欲深い奴。
この人は、、、、と、私に向けてる言葉が、実は、自分自身の事だと気づいた。
一方で、面倒くさがりで、文句の一言すら言い返さず、こだわりも執着もせず、手放しすぎ!も言われた。
言った人は、店を手放し、離婚もしたが、再婚して子供も授かり、夫婦でそれぞれ安定した職にも就いた。
確かに自分自身だな。
手放すとね、身軽になって動きもよくなり、新しい物が入ってくるよね。
それがわからず、人の物までいただいちゃう人は、人の出したごみまで一緒にいただいて、
抱えてるうちに腐って匂ってくるんだわ。あ~臭い臭い。
大きな違いだ。
面と向かって悪口を聞かされたある時、否定しなかった。
だって、、、、
「それは私自身の事ではなく、私がこんな奴だったらいいのにという願望。」だから。
人が願う事や考える自由までに口出ししません。
そうやって、人の事悪人扱いで、自分はヒーロー気分で独り舞台描きやがれ。
ヒーローになる為には、悪人が必要だもんね。
自分を正当化する人は誰かを悪人にしてるから迷惑だ、あくまでも独り舞台でいるべき、妄想とかね。
仕返しはないが、私も陰口言う事がある。
こんなこと言われちゃったよ(ノ_-。)と第三者に愚痴った後に、
この人って、10センチの物差しよね。
それで1キロメートルの私を計ろうなんて無理なのよ、
おーーーっほっほ、
計れもしないくせに、私について語るんじゃないわよ!(独り言です)
聞いてる友人は笑うしかない。
会場で、女性トレーナーやってる人と終始雑談してました。
私は、言葉一つでもありがたくいただいちゃって、ラッキーな日にしてしまう癖があるような。
「脱力」のトレーニングを聞いてきいてきました。
力んじゃいけない、力は抜く。
プールで水に浮くだけでもOK。
これ聞いて、ヨガの世界をイメージしました。
水の音も心地良さそうです。
ゆったりと泳ぐという事が出来ない私。
必死なんです、力んでます、苦しいです。
身体的にはあからさまに苦しいのです。
気持ちの上では、、、
これまでの私はこんなじゃなかっただろうか?
分厚いヘドロが見えていて、その上を沈んでなるものかと必死に手足をばたつかせてるのが自分。
バタバタすればするほど、ヘドロの表面が浮き上がってくると言うのに。
ヘドロはなくならないし、そこからプクプクと泡が出てるような状態が現実だろう。
見れば汚いし、匂っても来そうな、過去には足を突っ込んでそりゃ気持ち悪かったなんてもんじゃなかった。
二度とそこには沈みたくない、できれば見たくもない。
そんなところでアップアップしてるのが自分と想像していた昨日。
随分早くから、くだらない事に目を向けず、
大海へ、世界へと言われてたけど、心に落ちてこなかったと言うのだろうか、
それで何がどうなるって?と思えてた。
「結果じゃない、とにかく世界へ行け。絶対変わるぞ。」背中押した某県理事長。
行ったら、メチャクチャ楽しかった。
これか?いや違うでしょ。
世界大会に来てる選手たちだ。今はそれしか、浮かばない。
彼らの行動、思い、、、その後も、関わらせてもらえるありがたさだが、
彼らにない物がある。それって「無駄」。
私が大騒ぎしてるような無駄な事が彼らにはない。
それって、何の為?それで何か進歩できる?
簡単に言えば、それを考える時間を持つべきか、行動する程の意味あるかの選択だ。
得るものがない事には考える時間すら与えない。
くだらないと思ったら、一瞬にして目の前の事実も抹殺してる。
よく言う、「相手にしない」というやつね。
賢いのだろう。
悪口言われようと、少々の事仕組まれようと、事件として通報してお巡りさんに処理してもらうか、自己処理で心で抹殺して瞬時になくしてるかと言う勢いだ。
いいなそれ、私もどんどんぶっ殺していこう、気持ちで抹殺。
北斗の拳、「お前は既に死んでいる」言ってる自分を思い描く、凄いおばさんだよな私。
ところで誰を殺してるかって?
夫じゃないから、ご心配なく。
大会終えて帰ると、褒めて褒めてと言わんばかりに、壁を拭いたことをアピールしてきた。
見ても、「どこが?」思えて、
「ね、家の事なんて毎日頑張っても人には認めてもらえないもんだよ。」と
私の家事は夫には何もしてないと判断してる事を言ったのだが、理解はしてないようだ。
あ~ここでも無駄な時間を持ってしまった。
しかし、壁拭きをしてた事はちゃんと感謝して、ありがとうを言うべきなのだろう。
ここを深くえぐると、家事育児に「手伝う」という言葉出てくるのはどうかという事にもなる。
「手伝ってもらって」ありがとうはありか?
色々してもらうのは「ありがとう」だが、
家事や育児、夫婦一緒やっていれば当たり前のことで、手伝いではないのだ。
でも、ありがとうやお疲れ様はこまめに言っておくほうがいい。
まだまだだな私。
私にとって家は修行の場か?
夫がお題をくれるわ。