前向きな人間です。
正しいと思うことを貫きます。
困ってる人を助けたい。
不正は許さない、断固戦います。
正義の味方です。
言わなくても実行すればいいんじゃない?
言わなくても周囲が判断するんじゃない?
そう見てもらいたいだけで、そうありたい訳ではないのかもしれないが、
何のために?
あまりにもアピールしたがる人は、
「前向きな人間です」という人は、
「悲観的でドツボにはまりやすく人目が気になってしょうがない」に聞こえる。
「優しい人間です」は「自分に優しいから、他人にはきついです。」
「人助けしたい」は「見返りを期待。感謝しろ、優越感に浸たらせろ、世間にお知らせしてね」
「正義のために戦いたい」は「理由つけておっぴらにケンカしたい」
「正義の味方」は「一緒にやって、手柄をもらい、あわよくば自分の発案だったことにしたい」
良い人に見せる為のしつこいアピールって滑稽だ。
聴いてる側は、否定する訳にはいかないから若干褒めながら聞く。
そんな褒め言葉を真に受けて、更に言う。
あとからやり取りした人の「全く調子いい!バカじゃないの」と言う言葉に相槌打ってしまう。
謙遜もあるだろうが、自分を持ち上げた表現のない人が好きだ。
アスリートたちの、ごまかし効かない生き様は、
自分を高めるために必死だ。
何を言おうが、表現しようが、結果はあからさまに出る。
そこへ行き着くまでの努力もまた見えてくる。
これをやったふりしようなんぞ、無理。
なのに、
出れば優勝できたはずだの、
出たこともない大会を話題にして過去制覇したかのように勘違いさせるのは何故だ?
やってから言え。
やりながら言え。
やらない、やったことない人は言うな。
やってるふり、やったふりなんぞ、もってのほか。
もう、、、、しゃべるな!と言いたくなる。
よくも言えたもんだ、やってもいないことを。
気がしれない。
前向いてるように見せる為に、
今や過去を大袈裟に悲惨に言う。
正しいと思えるご立派な事を言うが、それは誰かの話で本人は実行してはいない。
助ける役目のヒーローになる為に困る人を作る。まずは裏で人を困らせておく。
不正は実は自分がしていて、誰かに擦り付けてやっつけてやると攻撃する。
正義の味方になるために、誰かを悪人に仕立て上げる。
ところがこういう事は失敗するもんだ。
大袈裟な見せかけがバレて呆れられる。
言動に行動が伴わず、口先だけと呆れられる。
仕組んだことはバレて呆れられる。
自作自演がバレて呆れられる。
人を悪者呼ばわりして逆襲される、若しくは一人でやってろと呆れられる。
早い話が嫌われる。
ただ嫌いなら放置でいいが、
悪人に仕立て上げられたり、
困らされたりになった人は災難だ。
だけどこの人はヒーローのつもりだ。
誰かから拍手されてなければいけない。
またネットに逃げ込み、人間関係使い捨てで、
次々と誰か誰かと当たりまくる。
アピールしながら。
「私は強く、優しい人間です。どんな逆境にも負けずに前向きに生きてます。」と。
本人を知る人がネットも見てるのは大勢すぎる。
あいつがまたさ。。。。と言われても平気なのだ。
だって、身の回りの人よりもネットが大事なのだから。
病気か性格かは定かではないが、
いざという時のために、自分は病気だからとまで言うのはずるすぎるでしょ。
正義の味方になりたかったら、
まずは「嘘つき」はよそう。
人のものいただくのもダメ。
○○だったことにしようと自分をごまかしてるうちに事実を曲げてしまってる。
言い訳ばっかしないで、事実を認めればいいのに。
正直は、実は楽なんだとわかればいいね。
ネットを架空の世界として、
空想の世界は自分で自由な表現が許されると都合よく思ってるのだろう。
だけど、リアルな通信網であり、現実である。
だから(架空としながら)騙して、(現実)呼び出せると理解してる。
架空としたり、現実にしたりずるすぎる。
嘘つきは泥棒の始まりと言われるが、
嘘つきは全てを失いかねない。
と思う。