町は消えたけど | アームレスリング:やれるのかい!?  

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競技と減量と私生活交えてのブログです

大人たちが大騒ぎだったその頃。

デモ行進、
「反対!反対!」の叫び声。

町は大騒ぎ。

そんな中、私はというと、
「転校生」になる事を楽しみにしてる能天気な中学生だった。

町あげての大騒ぎの次にきたのは、
町あげての大失業。
親戚もそろって、
その町に住む友人知人もれなく失業者。
誰もが失業で頼る人はいない。
皆、住むところと、職を同時に失った。

方々から企業が求人に来た。
某企業の集団採用の中に父がいた。

北海道から静岡への引っ越しにもかかわらず、
私には幼馴染みがいるのはそのせい。

早々とその町を離れた為、
バス停に友人達が見送りにきてくれた。

その後は、
自分の行く先も定まらないまま、

一人また一人と見送る側でいた友人からの手紙で町の様子を知らされていた。



二つの小学校を持つその町は、
一社で成り立っていた町と言っていいだろう。
そこに勤務する従業員と家族。
その暮らしを支える公共施設や、病院、商店。
山の中の孤島のようなもので、その中で何もかもを賄っていた。



その町の小学校の廃校式の時、
静岡へ引っ越してきた私にとっての上級生たちが、廃校式に参列しようという事になった。

中学の卒業アルバムがもらえなかった彼らの同窓会ツアー。

学年違いにもかかわらずお言葉に甘えて同行させてもらった。


住んでいた建物は勿論、
中学校も取り壊され、
建物があった場所とグランウンドの区別がつかないほど草が生い茂り、
門すらないその光景に、
そこまで撤去しなければならないの?と、
何かが心の中で折れたような、無情さを感じたが、

その気持ちはどこへ向けていいかわからなかった。


引っ越して何年たった頃だろう?
地図で、北海道のページを開き、
札幌から大雪山へ向けての道を指でなぞると、
ダム、シューパロ湖の先にあったその町の表記はなかった。

理解できなかった。

建物か、道があれば町だと思えてたのだろうか?

表示のないそのページをずっと見ながら、
そんなはずない。と思っていた。

日がたっても、また同じページを見ていた事を覚えてる。

そこでの暮らしは、その地に帰ってもできやしない。
なのに、
雪の日に帰った友人がいた。
誰もいない。
家すらないその場所で、雪の中で眠っていた。

この話は京都への修学旅行の帰りの列車。
他校へ転校した生徒と
偶然同じ列車になり聞いた話だった。

この件を知る前、
彼女と同じヘアピンを持ってた私は、
なぜ三本ある?

一つ多いことを、
同じ部活だった事から、
何かの拍子に間違って彼女のを持って来てしまってたのだろと思っていた。


両親はその後事ある度に北海道へ帰ろうとしていた。

私が入試に失敗したら、

就職浪人になったら、

環境を変え再起するなら北海道でと思っていた。


何があっても何処へ行っても自分事。

己の気持ち次第、行動次第と考える私には、

環境を変える、移動するという考えはなかった。

それは両親が北海道へ帰るきっかけを無くす事であり、

親不孝と思えてならなかった。


結婚、出産、何度となく入院、挙句は手術と、

散々心配させ、

父に、私の病気を持っていけるなら今持ってあの世へ行きたいとまで言わせてしまい、

自分はどこまで親不孝なんだと思えた。


親に心配掛けない、

自分が幸せである事。

安心させる事。

親孝行ってそんなもんだと、

自分が親になって思える。


旦那の会社は合併に伴い、今様々な整理をしている。

息子は嫁の移動にあわせ自分が転職を考えている。

昨年建てた家は、ローンは、、、。

両親は共に病気、通院、入退院。


だけど、

誰も不幸だと思ってない。