ずっと読んで下さっている方はご存知だと思うが
私は、外国人と付き合うのは、アールが初めてである。
(正確には、カレは日本国籍を取得しているので、〝日本人〟なのであるが
外国出身、英語が母語の人、という意味であえて〝外国人〟と書く)
アールは、在日20年をとうに超えて、もう日本の昭和のおっさんみたいだし
ふるまいも、たたずまいも、日本人ぽくて
日常会話も、時々言いたいことが出てこない時はあるけど、ほぼ問題なく日本語でできるので
意思の疎通に、困るということはあまりない。
しかし、
たとえば、一緒にいる時に、テレビを見ていて
それが日本語の番組であれば
アールの理解は完ぺきではなく
私はたびたび内容について質問されるし
英語の番組であれば
立場が逆になる。
ある時、「おいしい給食」というテレビドラマシリーズの映画をふたりで観ていた時に
登場人物たちのセリフのやりとりで、ふたり同時に笑ったことがあった。
それが、すごく嬉しかった。
その時、アールも、すごく嬉しそうで
「今、彼がこう言ったのが、おもしろかったよね」
なんていうことを、英語で言いながら笑っていた。
↑「面白かったことの解説」って、これ、フツウなら絶対にしない、、、よね?
おもしろさ半減するよね?
そういう、ちょっと野暮なことをしたくなるくらい
同時に笑う、笑った瞬間に時間差がなかった、ということが、嬉しかった私たち。
日本人同士なら、当たり前の
何も感じないところに
感動をおぼえた瞬間だった。
今はそういうことも、珍しくはなくなり
同時に笑っても、感動などはしなくなったのだけど
当時は、それがすごく嬉しくて、
また、その嬉しさには、新鮮な驚きがあった。
そんなことを感じたからか
その頃、不安の海で溺れることの多かった私は
時々、長いこと会えなくて、頭がおかしくなる時に生み出す妄想や不安のひとつに
同じシーン、同じセリフ(英語)で
同時に笑える英語が母語、またはバイリンガルの日本人女性には
敵わないんじゃないか
という不安があった。
アールの元カノふたりは英語が母語で、そして日本人の元妻&元カノ達は、みんな程度の差はあれどバイリンガルで、アールとは普段英語で会話していた、というのもある。
同じところで笑える人で、すごくステキな人が現れたら
日常のコミュニケーションに苦労のある私のことなど
アールは、捨てるんじゃないだろうか
と、アールだけでなく、世の中の母国語の違う国際カップルたちの神経を
全力で逆なでする妄想に
時々囚われていた。
(本当に、心底、失礼だったと思う。)
さて、この記事で書いたように
今、私は、日本人相手に日本語で言うことなど到底できないような、
私のどこにそんな引き出しがあったのか?と思うような
Sexyでとろけるような甘い言葉を、英語でも日本語でも、
アールに向けてポイポイ放っているが
女性は恥らうのが美徳という日本の文化で育った私にとって
これは、アールが〝外国人だから〟出来ることのような気がする。
アールの前では、アールにしか見せない、すっごくSexyでSweetな私で
他の人から見たら、50前の小太りのおばちゃんだけど
それが、私の本来の自然な姿なのだと、
私でさえもこの年齢になるまで、自分でも知らなかった本質を、初めて発見したのである。
私は、アールを全力で幸せにしようと、日々楽しく努力や工夫をしていて
きっと、私を得たアールは
さぞかし幸せだろうな
なんて思っていたのだが
アールを得た私は
水を得た魚。
息ができるようになり
自由に泳げるようになった、魚のような気分。
あ、そういえば…初めて会った時から
私が感じたアールのイメージは
私を包み込む、あたたかくて大きな海だったなぁ。