母国語が違うということ | ★頑固で石頭*Black無糖のカレ vs そんなカレに恋したワタシ★

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あづきの日常★★独り言★★恋愛★★南米Blackアールとの恋の軌跡を主に綴ります。

ずっと読んで下さっている方はご存知だと思うが

 

私は、外国人と付き合うのは、アールが初めてである。

(正確には、カレは日本国籍を取得しているので、〝日本人〟なのであるが

 外国出身、英語が母語の人、という意味であえて〝外国人〟と書く)

 

 

アールは、在日20年をとうに超えて、もう日本の昭和のおっさんみたいだし

ふるまいも、たたずまいも、日本人ぽくて

日常会話も、時々言いたいことが出てこない時はあるけど、ほぼ問題なく日本語でできるので

 

意思の疎通に、困るということはあまりない。

 

 

 

 

しかし、

たとえば、一緒にいる時に、テレビを見ていて

それが日本語の番組であれば

アールの理解は完ぺきではなく

私はたびたび内容について質問されるし

 

英語の番組であれば

立場が逆になる。

 

 

 

ある時、「おいしい給食」というテレビドラマシリーズの映画をふたりで観ていた時に

登場人物たちのセリフのやりとりで、ふたり同時に笑ったことがあった。

 

それが、すごく嬉しかった。

 

 

その時、アールも、すごく嬉しそうで

 

「今、彼がこう言ったのが、おもしろかったよね」

なんていうことを、英語で言いながら笑っていた。

 

↑「面白かったことの解説」って、これ、フツウなら絶対にしない、、、よね?

おもしろさ半減するよね?

 

 

そういう、ちょっと野暮なことをしたくなるくらい

 

同時に笑う、笑った瞬間に時間差がなかった、ということが、嬉しかった私たち。

 

日本人同士なら、当たり前の

何も感じないところに

感動をおぼえた瞬間だった。



今はそういうことも、珍しくはなくなり

同時に笑っても、感動などはしなくなったのだけど

当時は、それがすごく嬉しくて、

また、その嬉しさには、新鮮な驚きがあった。

 

 

そんなことを感じたからか

 

その頃、不安の海で溺れることの多かった私は

時々、長いこと会えなくて、頭がおかしくなる時に生み出す妄想や不安のひとつに

 

 

同じシーン、同じセリフ(英語)で

同時に笑える英語が母語、またはバイリンガルの日本人女性には

敵わないんじゃないか

という不安があった。

 

アールの元カノふたりは英語が母語で、そして日本人の元妻&元カノ達は、みんな程度の差はあれどバイリンガルで、アールとは普段英語で会話していた、というのもある。

 

 

同じところで笑える人で、すごくステキな人が現れたら

日常のコミュニケーションに苦労のある私のことなど

アールは、捨てるんじゃないだろうか

 

と、アールだけでなく、世の中の母国語の違う国際カップルたちの神経を

全力で逆なでする妄想に

 

時々囚われていた。

(本当に、心底、失礼だったと思う。)

 

 

 

 

さて、この記事で書いたように

 

今、私は、日本人相手に日本語で言うことなど到底できないような、

私のどこにそんな引き出しがあったのか?と思うような

 

Sexyでとろけるような甘い言葉を、英語でも日本語でも、

アールに向けてポイポイ放っているが

 

女性は恥らうのが美徳という日本の文化で育った私にとって

これは、アールが〝外国人だから〟出来ることのような気がする。

 

 

アールの前では、アールにしか見せない、すっごくSexyでSweetな私

他の人から見たら、50前の小太りのおばちゃんだけど

 

それが、私の本来の自然な姿なのだと、

私でさえもこの年齢になるまで、自分でも知らなかった本質を、初めて発見したのである。

 

 

私は、アールを全力で幸せにしようと、日々楽しく努力や工夫をしていて

 

きっと、私を得たアールは

さぞかし幸せだろうな

なんて思っていたのだが

 

 

アールを得た私は

水を得た魚。

 

息ができるようになり

自由に泳げるようになった、魚のような気分。

 

 

あ、そういえば…初めて会った時から

私が感じたアールのイメージは

私を包み込む、あたたかくて大きなだったなぁ。