もう一本、突然現れた逸材チョン・ジョンソの初出演作、村上春樹の短編を天才監督イ・チャンドンが映像化…「バーニング 劇場版」

 

イ・ジョンスがバイトで商品をスーパーに運び入れると、店先で踊るキャンギャルが声をかけてくる。小さいころ田舎パジュ(坡州)で近所だったシン・ヘミだと名乗る。その後二人は酒を飲みに行く。ヘミはアフリカへ旅行しに行くと言いながら奇妙な動作を見せる。蜜柑を食べるパントマイムで今習っていると言う。チョンスが褒めると、「そこに蜜柑が”ある”と思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑が"ない"ことを忘れればいいのよ。それだけ」と答える。チョンスは、この出会いが彼のこれからを大きく変えることを、まだ知らない…

 

無職で小説家志望のイ・ジョンスに、もはやベテランの芸達者ユ・アイン、正体不明の富豪ベンに、時折大好きなパク・シニャンを思い起こさせる「ミナリ」で好演のスティーブン・ヨン(クレジットは、ヨン・サンヨプ)、チョンスの幼馴染というシン・ヘミに、この作品まで全く演技歴が見つからない新人チョン・ジョンソ、チョンスの父親の弁護士に、映画界の重鎮でイ・チャンドン作品では「グリーン・フィッシュ」についで2作目ムン・ソングン。

 

原作は、村上春樹の短編集「螢・納屋を焼く・その他の短編」に収録される「納屋を焼く」、Kindle-iPad版でわずか26頁の短編です。この「納屋を焼く」が最後まで読んだ唯一の村上作品なので理解したとはいえませんが、この短編とその映画化の肝は、冒頭の「そこに蜜柑が”ある”と思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑が"ない"ことを忘れればいいのよ。」というテーゼだと思います。イ・チャンドン監督は、その”ある””ない”の部分をさらにデフォルメしているのでしょう。例えば、チョンスの車は、ボロボロの4ドア・トラック、キア(起亜)ボンゴ・フロンティア・サイレントなのに、ベンは、ピカピカのポルシェ911カレラSですし、チョンスの家は、北朝鮮の対南放送がうるさいパジュ(坡州)の古い農家、ベンは漢江南岸の超高級マンション、という風に対比を強調した上で、姿を見せない家猫、消息を絶ったヘミ、起こらないビニールハウス放火、という”ない”ことを忘れることが出来ず、執着していくチョンスの悲劇、といった視点で描かれているように見えます。

 

個人的には、これまで「ペパーミント・キャンディー」「オアシス」「ポエトリー アグネスの詩」と三本の五つ星を輩出する肌の合う監督ですが、後に少し触れるヘミの舞踏シーン、そしてエンディングなど胸落しない部分も残ったので五つ星にはしませんが、おそらく、村上春樹の短編をきちんとその体幹に沿って具象化した優れた映画化なのだと思います。

 

ちなみにこの映画で最も美しいシーンは、上半身裸で夕焼けを背景に踊るヘミのシーンだと思いますが、使われているBGMは、ルイ・マル監督1958年「死刑台のエレベーター」のサウンド・トラックから、マイルス・デイビス「Générique(テーマ、タイトルくらいの意味)」。ジャンヌ・モローが男を探して夜のパリの街を彷徨う姿が思い起こされる名曲です。