50代となり、「人生の残り時間」を意識しだしたせいか、「一期一会」の感覚を強く持つようになりました。
ムダな時間を排して、意味のある時間だけの塊にする。失礼なモノいいですが、マインドの低い方たちと過ごすよりも、ギラギラした熱いものがある人たちと過ごす。そんな生意気な生き方を選択してもいいお年頃になりました。
1.一期一会
その昔、千利休は、
「あなたと今こうしてお会いしている時間は、二度と巡ってこないたった一度きりのもの。だからこの一瞬を大切に考えて、最高のおもてなしをしましょう」
といいました。
この姿勢は、ある意味では非常に手前勝手なものかもしれません。
場合によっては暑苦しくて迷惑に感じることもあるからです。
どういう前提条件を持って人と接していくかだけの話なのですが、人は人との関わりあいの中でしか意味を持たないという諦観からいけば、暑苦しいという結果に終わったとしても、一期一会の精神でコトにあたる事に後悔はないと思っています。
2.人は変わらないって本当?
ところで、よく、
「人は変わらないよ」
「できるのは、変わる環境をつくるだけ」
という、達観をよく耳にします。
もし人を変えることができないというのなら、世にある研修や教育というのは、何を狙っているのでしょうかね。気付きを与えるとは言いますが、気付きってまさに人を変えるってことではないでしょうか。
で、人は変えられます。
というか、人に向かって何か行動を起こせば、必ず化学変化が起きてしまうもので、それが大きいか小さいかだけで、なんかしらの影響を与えるわけです。
3.話を聞くだけでも
例えば、不満ばかりで仕事に腰の入らない社員に対して、「おい、どうだ。今晩一杯やるか?」と誘い、彼の悩みを散々聞いてみたけど、翌日やっぱり何も変わらないだろうね。
だとしても、少なくとも、
「いままでは誰も話を聞いてくれなかった。自分はここでは必要ない人間かもしれない」
というマインドだったのが、
「話を聞いてくれる人がいた。少なくとも気にかけてくれている人がいた」
という一歩すすんだマインドになったかも知れない。そういうことってけっこうあったりする。
すぐに何かの変化がなくても、将来という時間軸でみたときには、必ず何か変化を起こす。
自分のとる行動や発言にはそんな作用が内包されている。そう信じていかないと、日常が軽くなるのでコワい。
大切なのは、いまこの瞬間の行動が、誰かを変えていってしまっているという責任を感じ、少なくとも自分の判断に照らし合わせて”善き行動”を選択する、ということではないかと思っています。
なんか偉そうなポストですみませんでした。