続々・ついに日本の時代=本物の時代がやってきました | 中讃ミドルクラブログ

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陸上は楽しくありたい!が原則で,それでも本気で世界一のアスリート育成を目指す,うどん県骨付鶏市を拠点に活動中!陸上クラブの日常を書き綴ります。

どんどん続きます。
では,なぜここに来て日本の時代がやってきたのでしょうか。
その前に私の少年時代の状況をもう少し詳しく書きますから我慢して読んで下さい。

私は1964年の東京オリンピックの年に小学校に入学しました。
ですから当然日本中がオリンピックに沸き立っていて,スポーツに縁のなかった人たちまでもがスポーツに詳しくなり始めていました。
当時の日本の期待は,女子バレーボールでした。
東洋の魔女と言われた大松博文監督(坂出出身の郷土の偉人です)率いる日紡貝塚単独チームがそのまま日本代表チームになり,見事に金メダルに輝き日本中が大感激でした。
もちろん私も幼少ながら嬉しかったことを覚えています。
ちなみに私のアイドルは,サウスポーで細身のアタッカーの宮本恵美子選手でした。
おっとどうでもいいことでしたね。
日本対ソ連との決勝戦の視聴率は66.8%という驚異的な数字でスポーツ中継としては今なお破られていない記録です。

次に注目されたのは男子マラソンです。
マラソンは戦前(1928~1936)のオリンピックでは毎回複数の入賞者(これまた坂出出身の山田兼松選手は4位に入賞しています)を出し,3連覇した三段跳びに次ぐ得意の種目でしたが,戦後は惨敗が続いていました。
そこで日本オリンピック委員会が最も力を入れた種目です。
その甲斐あって円谷幸吉選手が大会最終日に3位入賞して日の丸を揚げることができ日本中がほっとしました。

しかし,その活躍も地元で開かれるオリンピックということで,予算も莫大なものだったし,マスコミもオリンピック一辺倒の報道で国民の関心がそこに集中していた,いわば一大イベントになっていたからに過ぎませんでした。
その証拠にオリンピック熱が下がり始めるとともにメキシコ,ミュンヘン,モントリオールとどんどん入賞が減ってきたわけです。
モントリオール大会に至っては,ついに日本陸上は入賞者ゼロという惨憺たる結果になりました。
この時私は19歳,翌年から本格的に陸上を始めました。
そういう時代でしたから,もう日本人は外国には手も足も出ない,もともと体格にも筋力にも劣るのだから無理だったのだ,というあきらめにも似た空気が日本中を支配していたのです。
ですから,私も国立競技場に国際大会を見によく脚を運びましたが,それは日本選手の応援というよりも,世界の一流を見ることができるという気持ちの方が大きかったわけです。
その位世界との差は開いていました。

その具体的な数字が,当時の100mの記録です。
世界記録が9秒95,日本記録は10秒48です。
一緒に走れば約6mの差をつけられる計算になります。
100mの0.5秒がどれほど大きいかは100mを走った人ならわかるはずですね。
ちなみに私の最高記録は10秒8ですが,ベストの頃はどんなに調子が悪くてもベストが11秒3の人には負けることはありませんでした。
言うなれば大人と子供ほどの差があったわけです。

では,なぜそれほどあった差がどんどん縮まってきたのでしょうか。
大人の人は「最近の若い者は根性がない・・・」とよく言いますが,じゃあどうして根性があったはずの昔の人がそんなに情けなかったのでしょうか。
それに対する私の答えは「根性では勝てない」ということです。
では根性などいらないのでしょうか?
いいえ違います。
スポーツの世界において「根性がある」のは当たり前だからです。
数学の勉強をするのに「九九を知っているのは当たり前」と同じことです。
今更「根性,根性」などと言っている人は「技がない」「思考力がない」「方法論を知らない」人たちでしょう。
考える力のない人がそれをごまかすために言ういいわけだと私は思っています。
数学の問題が根性で解けますか?
解けないでしょう。
では,難しい問題はどうやって解くのでしょう?
そうです。正しい解き方に沿って考えていくから答えに到達するのです。
そしてその場合に「根性」に相当するのが「面倒くさがらずに筋道を立てて考える粘り」なのです。
そう考えればスポーツに「根性がある」ことは基本中の基本だと言うことがわかると思います。
だからいつも私が言っているように,スポーツができる人は,必ず勉強もできるようになるんです。

続きは次回。
では,また!!